オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

成果主義とインサイダー取引は友達なのか

 某証券会社でインサイダー取引があったらしい。またまた、証券業界の不祥事である。

 事件を起こした会社幹部によると「コンプライアンスが徹底できていなかった」、新聞に言わせると、「成果主義に走るあまりに」と言うことらしい。役員自ら、減俸処置をとり、深く深く反省するアピールをしてるが、恐らく、この手の不祥事はなくならないと思う。

 「教育を徹底する」とは言っても、その傍らで、「売上予算を死んでも達成せよ」、「出来なければお前は犬以下だ」、「死んでしまえ」と言っているのであれば、社員から見れば二律背反著しい。そもそも証券会社の業務の本質は、人に株券を買ってもらうこと。極めて単純化してしまうと、ただ、これだけ。何も物理的には生産をしていない。

 

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 商品開発はするが、それは特定のサービスを組み合わせてメニュー化したものであって、実態を表すものはコンピュータの中にあるプログラムである。この方達は、トレーディング(ものの交換行為)によって、手数料をとり、それを商売としている。従って、そのトレーディングを数多く発生させる事が事業そのものであり、売上拡大のための必要要件となる。そして、労働の成果は、その取引量の多さ、手数料総額の多さで計られる。成果の把握は、相当、単純な計測でできてしまう。人格やプロセスの優劣が入る隙間はない。優勝劣敗は明白、社員同士にとっては弱肉強食の世界だ。

 これは、良い悪いの世界ではなく、石油業界が二酸化炭素を排出する事を生業としていることと同じであって、よそ者が否定できるものではない。銀行と似ていて、この業界の製造原価は、大半が情報システムと人件費だ。人の営業活動によってのみ、付加価値を創出できる、知識集約型の仕事である。

 当然、成果報酬は人件費と情報投資に振り分けられる。サラリーが恐ろしく高額で、さらには個人毎に大きく変動する事はある意味で必然と言える。勝ち組の人は羨望されるが、相当な(それこそ死ぬような)努力をしているはずだ。だって、先に言ったように、「人に株を買ってもらってこそ、なんぼのもんじゃい!」だから。

 競争の源泉もそこ(トレーディング)にある(そこにしかない?)。全ての格差は、どれだけトレーディングを発生させたか、から始まる。

 というわけで、インサイダー情報は彼らにとっては、単なる販促品である。間接的に顧客にそのような情報を伝える事によって利益供与、便宜を図り、同業他社、自社のライバル達からの競争優位性、アドバンテージを確保しようとする心理は、かなりシンプルな性向であり、行動として分かり易い。例えそれが違法であろうとね。

 この世界で生きていこうとしたら、競争に勝たなくてはならないし、勝ち続けなければならない。そのためには、グレーゾーンは、グレーなエリア内にあると識別できる限り利用するだろう。

 

 グレーゾーンを活用することは違法ではない。ただ、倫理的に問題はないのか、道徳的に正しいのか、人としてそれで良いのか、プロとして恥ずかしくないのか、子供に説明できることなのか、という問いがなされるだけである。お縄にはならない。グレーであればね。今回の事件は、一線を越えた、ということだろう。口の悪い人は「ヘマをやった」と言うだろう。

 

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 因に、小沢一郎はグレーでも捕まるし、検察が不起訴にしても市民が起訴して犯罪者として処分される。彼にグレーはない。シロ以外は全てクロ・・・だ。彼だけは特別。

 

 このような所行は、言い方を変えれば高度なプロの仕事ぶりとも言える。よって、なくならない・・・と思う。どんだけ教育しても、ね・・・。

 成果主義が悪いと言いたげな第3者は結構いらっしゃると想像する。しかし、報酬の与え方として、沢山売った人が沢山のサラリーを貰うという仕掛けは合理的だ。これに勝る単純な納得性の高い方法論は中々見つからない。

 とは言ってもインサイダー情報をダシにした商売を肯定することは出来ない。

 銀行員が預金者のお金をネコババしていいのか、警官が住民情報を活用して泥棒をしていいのか、学校の先生が生徒を脅してセクハラしていいのか、消防士が専門知識を利用して放火していいのか(バックドラフトであったね)、建築デザイナーが構造計算を誤摩化してまがい物を建てていいのか、政治家が自己目的の為に政権公約を破棄して政策を進めていいのか、電力会社が制御できない機械を使って電力を供給していいのか、等など、これらの腹の立つ行為を認める訳にはいかない。しかし、完全撲滅は相当に難しいだろう。

 

 これらは全て、職業倫理に関わる問題である。

 私たちは、今、神様に試されている。

 だれも見ていないと思っても、自分の心と神様が見ている。

 人はその中でどう生きていくべきなのか、よく考えよ、と神様は言っている。