オスプレイよりも危険なものを忘れてはいませんか
岩国へのオスプレイの配備が随分と話題になっている。
マスコミは韓国から出港した輸送船を上空から追っかけるというフィーバー、はしゃぎぶりだ。この暑く、うっとおしい時期に、かの業界にはありがたい話題提供になっているのであろう。
一方、地元では、当然のごとく配備反対のデモが起きている。いつ墜落するかわからない危ない兵器がおらが街にやってくる、という認識らしく、政府対応の冷静さ(まずさ、でもないと思う)も相俟って(逆撫でですね)、感情論がヒートアップしているようにも見える。
本来、オスプレイという兵器は、USAの基地に配備されるモノであるから、それが安全か危険かは、日本サイドから質問することは出来ても、「配備を許さず」とは言えるものではあるまい。
これは、日米安保とか、法律的に云々する以前に、常識的に考えてそのような結論に至るはずである。・・・が、そうなっていない。
何故か、マスコミもこの事態を面白がって報道している。
「日本政府は、USAに対し弱腰である」、「地元市民の安全は全てに優先するのであるから、USA当局にもっと強行に申し入れをせよ」、と煽っているようだ。
しかし、この言い分には相当無理がある。
先の理屈に加え、「絶対安全な乗り物」なんてこの世には存在し得ない。「安全性が証明されるまで配備は許さない」というのは言い掛かりに等しい。そんなもの、どうやって証明しろというのだ。
例えば、先日打ち上げられたH2Bロケットが、”安全な物体である”事を証明せよと、近隣の韓国や台湾、カンボジアあたりから言われたら、一体どうやって我々は証明できるのだ。
中国はそういうことは言ってこない。自分たちの庭先のオモチャの方が圧倒的に危険だということを知っているから・・・H2Bもこれまでの開発過程では、何度も打ち上げに失敗している。
「安全とは言えないから配備を許さない」、との理屈はUSA forceには通用しない。 私は、安全係数で計るのであれば、ヘリコプターという機械自体がNGだと思う。ジェットで飛ぶ飛行体よりも空力的に無理があり、一旦バランスを逸すると墜落するリスクは相当高いと思う。
それよりも、世界の多くの軍隊がヘリコプターを使っているのは、その兵器のもつ戦略面での運用の有用性だ。垂直に離着陸できる、という特性の有用性は、戦闘機のもつ高速性を状況によっては凌ぐ場合がある。攻撃力は戦闘機と変わらない。空中戦は無理だが、それは戦闘機に任せておけば良い。この兵器は、空母、戦闘機隊と併せてシスティマティックに運用した場合、とてつもない威力を発揮する恐るべきモノ、だ。
「危ないから」、なんて言い分、世界を制する軍隊相手に言っても無駄と言うものだ。
それよりも、絶対的に危ないのは空母だ。
承知のように、今や日本に寄港する空母の全ては動力が原子力だ。原発が洋上を移動しているのだ。「再起動反対!」なんて言っている場合ではない。今、そこに移動する原発があるのだ。
原子力空母のもつ潜在的リスクは、テロの対象となるリスク、仮想敵国からの絶好の攻撃対象となっているリスクがある。こんなものが国内に停泊している事が、大変な危険性を持っているのだ。このことを忘れてはいけない。TVでは報道されないが、佐世保や横須賀の市民は日常的に肌で感じているはずだ。
USAに文句をいうのであれば、非核3原則に基づいて、原子力空母の寄港禁止、母港廃止が先であろう。大人の頭で考えればそういう優先順位になる。
本当は皆分かっているはずだ・・・。
オスプレイの安全論議については、これ以上の進展は恐らくない。ず〜と、平行線だ。USAは、今は日本政府の顔を立てているが、一定のプロセスを経たら既定路線に戻ると考えられる。
彼らのロジックは明瞭だ。
我々よりも遥かに。
彼らは安全保障(対象は日本だけではない)を行動の基軸においている。その論理展開は、我々が日常的に見ている日本政府のそれとは明らかに成熟度が異なる。
この件に関連して、今後も飽き足らず反対を唱える主導者達は、別の思惑をもって地元のデモを先導するつもりなのだと思う。
TVのデモ映像を見ると「XX自治労」や「XX労組」、なかには「国労」という旗まで見える。JR労組ではなく、”国労”・・・だ。
この人達が出てくると、一転して趣旨は”安全”ではなく、反体制デモの色彩を帯びてくる。オスプレイは単なるダシだ。
共産党系の団体や労組が絡んでくることも容易に想像できる。そう考えると、アホらしくてこれ以上目を向ける気にはなれない。
いや、TVは分かって食いついているのだと思う。一種の政府批判キャンペーンだ。あれだけ、消費増税に加担しておきながら、こちらでは、間接的に政府を陥れている訳であるから、もう支離滅裂である。
一体、どっちの味方で何を言いたいのかさっぱり理解できない。
喧嘩をしているときの女性の主張と同じ(失礼!)。
本当に危険なのは、オスプレイではない。
その映像を流している媒体とその意図的に作られたムードに乗っているかもしれない我々の意識だ。