オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

セーラー服と柔道着

 私のいた高校は、1年生の時、週に2回体育科目があり、そのうちのひとつは柔道が必須科目だった。

 よって、好き嫌いに関係なく、在校生全員が1年間、柔道の基本を学んだ。

 貴重な経験だったと思っている。

 私は高校ではバレー部だった。体育館の隣が柔道場。そのまた隣が水泳部の聖地。夏はここのシャワーを良く借りた。

 うちの水泳部はあまり難しいことは言わない。私たちがたまにお風呂代わりにプールを拝借する事も笑ってOKしてくれていた。

 うちの高校は良いヤツばかりだった。皆、仲良くしていた。男女交際(死語?)もOKで校内にカップルが数多く生息していた。

 今、騒ぎになっているイジメも喧嘩も暴力もなかった。

 高校生活の運営は、生徒会が中心。先生方はウルサイことは言わない。校則は当然あるが、意識させられたことがなかった。

 年頃のガキ達を自由奔放にさせていた訳であるが、不思議なもので、おかしなことをする者はいなかった。

 風紀も乱れない。皆、いたってフツーの格好をしていた。

 ただ、イケてる女子は、スカートを短くしていた(この当時は極めて珍しかった。特にヤンキーの街、大阪では)。膝上くらいまで。

 これに、我々男子は色んな意味で相当に参っていた。

 我々男子は、スカートの短い女子にものを頼まれたら、何でも叶えて差し上げなくてはならない。それは、暗黙の了解であり、男としての使命であり、厳然たる社会ルールだった。

 そして、夏は目のやり場に困っていた。

 

 話は戻り、体育の柔道授業では、立ち技として、膝車、支えつり込み足、跳ね腰、体落し、大外刈り、大内刈りを教えてもらったと記憶している。

 柔道部の友人には内股も教えてもらった。

 その年の校内の柔道大会(恒例行事ではなく、自分たちで企画した)に参加し、この技で「技あり」を取ったのであるが、その後押さえ込まれて、結局、寝技で負けた。

 相手を投げておきながら、詰めが甘い。その頃から私はへたれだったのだと思う。

 

 柔道部には、女子マネージャーがいた。1年生の時から彼女の名前と顔は知っていた。練習場が隣同士だからね。

 この彼女、柔道部のエースと付き合っているというもっぱらの噂だった。

 彼は、背が高く颯爽としていた。確か、2年生で既に2段の黒帯だった。

 彼女に、おかしなちょっかいを出す男は皆無である。そりゃそうだ。黒帯に喧嘩を売るバカはいない。

 3年生の時、彼女と同じクラスになった。彼女は、人の面倒見が良く、また勉強も良くできた。確か国語、古典、日本史、英語あたりはいつも80〜90点を取っていたと思う。

 彼女は、家庭的な雰囲気があり、男子からは結構人気があった。

 この女子マネージャは、練習場だけではなく、自宅も私の家の近所だった。

 時々、学校帰りが一緒になると、私の自転車の後ろに載せて、駅から家まで送る事があった。

 このとき、彼女はいつも私の腰に手を回して自転車に乗っていた。半分抱きつかれているようで、胸が爆発しそうだった。

 

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 彼女は、手先が器用で手芸が上手い。よく、クラスメートの女子が誕生日に彼女に人形を作ってもらっていた。編み物も得意で、彼女が身につけている手袋やマフラーはハンドメイドだった。

 料理も上手で、家庭科授業で作ったケーキをバレー部員に振る舞ってもらったこともある。

 その後も、体育祭、文化祭、ラグビー大会、クリスマス会とイベントがあり、彼女と一緒にいる時間、話す機会は多かった。

 彼女の事が気にならないと言ったら嘘になるが、賢明かつ慎重で臆病でへたれの私が、黒帯の敵になることはなかった。

 その冬、寒がりだった私に彼女がマフラーをくれた。私が厚かましくも「君の編んだマフラーがほしい」と言ったら、わざわざ作ってくれたのだ。

 

 この冬は、暖かい気持ちで冬を越す事ができた。ありがとう・・・

 

 その後、本格的な受験シーズンがやってきた。

 彼女とは、図書館で一緒に勉強し、一緒に帰る時もあったような気がするが、勘違いでそんなことはなかったかもしれない。でも、彼女を自転車の後ろに載せて帰るシチュエーションはそれからもあったと思う。

 記憶の片隅に残っているから。

 それから卒業までのこと、皆との別れの間際のことは思い出せない。

 気がついたら私は大学生になっている。

 

 高校を卒業して2年後、彼女は私のバイト先に突然現れた。

 その日は、彼女の通った専門学校の卒業式だったらしい。私は、彼女はてっきり大学に進学したものだと思っていた。

 店頭エプロンをした私と、袴・着物姿の彼女は、喫茶店で1時間ばかり話をして、別れた。

 「じゃあ、またね」と言って。

 しかし、「また」は無かった。

 分かっていたけど。

 彼女は、何であの時、バイト先に現れたのだろう。たまたま、帰り道だったから?

 たぶん、そう。ここは大阪の中心地だ。誰もが通り過ぎる場所。

 それに、運命の流れはその時、方向を変えた訳ではなかったから。

 これは、セーラー服と柔道着の思い出。

 今でも、柔道は好きだ・・・