オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

通り過ぎた夏

 暑い日が続いている。

 今年は、天気が今ひとつの日が多いが、それでも夏らしい気候が続いている。青い空の入道雲を見ると、子供の頃の夏の日を時々思い出す。

 

 私は、小さい頃、お盆は必ずと言っていい程、”両親の田舎”に帰っていた。

 両親の実家は湾の河口傍にあった。家の真ん前に大きな川(対岸が相当向こうに見える)があったが、そこの水は塩辛かった。ハゼ等の川魚が河岸沿いに見る事ができた。

 海のような川に、塩辛い水、そこに川魚を見るのは、今考えると不思議な光景だ。

 家にはニワトリが何匹かいて、毎朝玉子を産んでいた。この玉子を取りにいくのは、私の日課だった。このニワトリ、可哀想なことに私の誕生日が来るたびに、毎年一匹づつ減っていった・・・

 

 朝一番で、実家の叔父は小さな船を川から出して湾口で魚を捕って来た。これを、さばいたものが刺身として、毎朝の食卓に並んでいた。

 食卓を大勢の従兄弟、親戚の人達と囲むお盆の食事風景は、「サマーウォーズ」の1シーンに似ている。

 昼間は、おばあちゃんと一緒に畑に入り、スイカやトウモロコシを山ほど取ってきたのを覚えている。おばあちゃんは、100歳近くまで健在だった。

 小さい頃、茄子が嫌いだった。どうしても食べられなかった。昔の茄子や人参や大根は、今よりもはるかに野菜臭い味がした。何で今の野菜はこんなに食べ易いのだろう?

 河口が近い地域なので、道端には磯カニが当たり前のように歩いている。家の畳の上にカニが歩いている事も日常茶飯事である。このカニ、食べてみたが美味しくなかった。

 昆虫も数多くとれた。そう言えば、段ボール箱一杯分のカブト虫とバケツ一杯の蛙を取った事がある。バケツ一杯の蛙を見て、実家の叔母が悲鳴を上げた。

 

 当時は、水は井戸水、トイレはボッチャン式、お風呂、釜戸は薪を焼べる方式だった。風呂は五右衛門式で、入るときは必ず誰かが、外で火を焼べてくれていた。

 明治時代の話ではない。昭和の片田舎での話だ。この家にガスが入るのは私が中学生になってからだ。

 

 ある夜、田んぼの畦道を歩きなが見た星空は、満天のエンターテイメントだった。地平線まで、溢れる程の星々が見えた。この記憶は今でも宝物。今の趣味は、この体験が影響している事は間違いない。

 

 実家は、基本的には自給自足の生活様式だった。

 とても貴重で贅沢な体験だった。

 例え今、そうありたいと願っても、実現できまい。

 麦わら帽子とサンダル、スイカと向日葵、蜻蛉と虫取り網、蚊取り線香と茅、そして花火・・・

 通り過ぎた夏の思い出。