日韓戦に見る未来志向の将来
オリンピックのサッカー日韓戦で、韓国選手が領土問題を記したプラカードを持ってウィニングランをしたことが少なからず話題になっている。今後の調査結果によっては、厳しい処分がなされるケースもあり得るという。
この試合は、私も早起きして見ていた。
日本は、終止、韓国に押されていたし、2得点のプレーは圧倒的なゴールで文句のつけようがない。試合は韓国の圧勝と言っていいと思う。
韓国は、随分なラフプレイをするもんだと見ていたし、日本もそれを受けてやり返すようなシーンもあった。いい気がしなかったが、サッカーはこんなもんだと思うようにしていた。
しかし、このような1件があると、オリンピックという晴れ舞台に、スポーツマンシップ以外の感情を韓国選手は持ち込み、サッカーの栄冠以外のものを求めてプレーをしていたのかと疑いたくなる。
非常に不愉快で残念極まりない行為である。
善戦のあとには爽やかな気分が残るのがスポーツの素晴らしさであるが、これでは不快感と憎しみ、排他的な感情が湧いてくる。
直前の大統領の政治行動が刺激材料になったという意見もある。
正直なところ、彼らが、韓国チームがどのような精神状態で試合に臨んだのか気になっている。万一、政治的信条とスポーツマンシップに隔てをつける必要がないと彼らが考えているのであれば、我々はお付き合いの方法を考え直した方が良い。
私たちの持つ政治的思想とその行動、スポーツへの情熱への姿勢が、彼らのそれは相容れない関係であるからだ。
もしそうであれば、彼らと真の友邦となれるのは、諸般の政治課題が解決されてからである。一体、今からどれくらいの気の遠くなるような時間が私たちには必要なのであろうか。
極めて残念なことだ。
私は戦争経験のある世代ではない。よって、特定の年代の方々のような微妙な意識を韓国に対しては持っていない。しかし、相手はそうではないようだ。
彼らはこれからも67年前に集結した戦争の歴史を引きずって生きていく決意のようだ。隣国の中国も含めて、未来にわたって近所付き合いは難しそうだ。
領土問題については、気になることがある。
政府は北方4島以外の領土問題は、それ自身が存在しないと言っている。
本当にそのスタンスで良いのか?
ロシア、中国、韓国に対する領土問題についての日本政府の姿勢は、相手国の国力を評価した結果、差別化したものになっているように見える。
有り体に言えば、日本政府が一番強気で対応しているのが韓国で、逆に中国、ロシアに対しては言うべき事を言っていない、避けている感がある。
相手側の国力に見合った対外交渉は、外交の常と言うかもしれないが、真にアジアの平和や共栄を指向するのであれば、それは違うだろう。
そんな割り切った考え方は、アジアの住民ではないUSAの考え方だ。彼らだって、カナダ/メキシコとの付き合いの仕方は、日本のそれとは異なるはずだ。
日本にとって、ロシア・中国と韓国はアジアの隣国で、外交の基本姿勢に敵味方の区別などない。先の戦争では争った相手であるが、今は国交が開かれている隣国である。しかし韓国から見たら、各国の地政リスクは決定的に異なる。
その要因は、北朝鮮の存在だ。
この3国は、あの理解し難い独裁国を巡り、微妙な関係にある。
韓国は、常に”北”の脅威に晒されている。365日間、臨戦態勢にあるのだ。
あの独裁国家は、政治的パフォーマンスとして民間人のいる島を突然砲撃したり、艦船に宣戦布告も無く魚雷を撃ったり、民間航空機を撃ち落としたりする野蛮人である。
それを支援しているのが中国とロシアだ。
これらの支援国と国境を接しており、北との軍事衝突については、いつ起きてもおかしくない状況の中で、丁々発止の外交を繰り広げているのが韓国だ。
韓国にとっては仮想敵国とかの問題ではない。日常の現実なのだ。
韓国国民にとっては、大統領がどこかの島に上陸した事は、天地がひっくり返るような事件では無いだろう。
無防備で無神経な日本へ、目覚めのご挨拶をした程度の行動だ。
「忘れたか?ここは俺たちの遊び場だよ」と。
ジャイアンというより、スネ夫に近いな。ジャイアンは中国とロシアだ。「おまえのものは俺のもの」まさにそれだ・・・。
この3国と未来志向で付き合っていく覚悟が私たちには必要だ。
韓国は、日本/中国/ロシアに挟まれている地域柄、はっきりと主張すべき時に主張し、自らの考えを行動に表さないと、じり貧になるという危機感があると思う。
ましてや、大統領制をとる政治的には強い共和制の国だ。政治行動は直接的になりがちだ。
私たちのノンポリ(政治に対する無関心)は彼らから見ると、怠惰であり堕落に見えるかも知れない。その結果、「日本なんかに頼っても、アジアの将来はない」と考えているのであろう。
もしそうであれば、私たちは国内の政治情勢について隣国に対しお詫びせねばならない。
アジアの政治的不安定を払拭できない理由の一つは、日本の政治体制の脆弱さであり、理念なき外交の所産である訳だ。
私たちは、韓国の身にもなって考えてみるべきかもしれない。
韓国曰く「日本って目障りで何の足しにもならない国・・・」
日韓は、2002年にサッカーワールドカップを共同開催した。
あの時、世界中のサッカーファンは、これを機に日本と韓国が歴史的なわだかまりを乗り越える事を期待していた筈だ。だからこそ、大会を私たちに委ねた。
しかし、その想いは実現されなかった。
何のためのワールドカップだったのか。お互いにとって、早すぎたのか?
このままでは、日韓の融和は、次の世代、時代に持ち越す事になってしまう。
今回の1件は、明らかに「韓国の暴走」だ。
しかし、日韓の将来を放棄するものでもないだろう。相互理解の方法はあるはずだ。
サッカーファンであるからこそ分かり合えると思いたい。
私たちの「未来志向」が今試されている。
追伸
報道によると、話題の韓国選手は観客席にいたサポーターからプラカードを受け取ったようだ。私の一番の心配は杞憂であったようだ。しかし、韓国のマスコミは今起きている事、世界がこの件にどのような視線を投げ掛けているかに思いがいかないようだ。かつての開催国として、政治から独立したオリンピックの素晴らしさを思い出して欲しい。オリンピックにスポーツ以外のことは似つかわしくない。閉会式を見ていて改めてそう感じた。アスリート達に拍手。
(8/13、8:00)
追伸2
文面を若干見直した。韓国の態度に正直、ウンザリしている。私が考えていることは奇麗事かもしれない。
(8/15、9:00)