オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

67回目の夏

 今年も8月15日がやってくる。

 もう10年以上前になるが沖縄に行った。

 平和祈年公園の戦没者慰霊碑を見て胸を締め付けられた。

 ひめゆりの塔にも行った。

 彼女らにまつわるエピソードは悲しくてやりきれない。

 67年前の戦闘では、20万人を超える人が亡くなっている。心より冥福をお祈りする。

 

 当時の軍部は、本土決戦を覚悟し「1億玉砕」などという今では考えられない民族滅亡を覚悟した戦闘方針を掲げていた。非戦闘員であろうと、全員が武器を持ち、死ぬまで戦え、と国民に命令しようとしていたのだ(したのかも知れない)。

 どう考えてもクレイジーだ。

 国民の生命よりも、国家の威信の方が大切な国なんて世界中を探してもそうあるものではない。

 当時、日本人は優秀な民族であり、故に亜細亜に君臨し、それを治めるに相応しいと信じられていたらしいが、何を根拠、拠り所にそのような思想を持つに至ったのであろうか。

 

 まだ昭和の時代、当時の中曽根総理は「日本民族は優秀だ。アメリカも優秀だが、プエルトルコがいるから日本の方が上だ」という信じられない暴言を吐いている。

 まだ、そんなことを信じていたんだね。

 おめでたい人だ。

(彼は、日米安保に関連し「日本国土を不枕空母として使う」とまで発言している)

 

 日本人が、本当に優秀な民族であれば未来を見通せたはずだ。

 当時の軍部にほんの少しの想像力があれば、昭和20年の8月まで戦争を長引かせることはなかったはずだ。

 そして、3月10日の東京大空襲、沖縄での凄惨な地上戦、広島と長崎の被爆、これらを優秀な頭脳と民族性をもって回避できたはずだ。この4つの事件だけで少なくとも、55万人もの方が亡くなっている。

 硫黄島が占領された時点で、そこが長距離爆撃機の戦略拠点となることも、USAが原子爆弾という大量殺戮兵器を開発していることも、そして、わざわざウランプルトニウムの2種類の原子爆弾を開発し、その核実験を日本国民を相手に行なおうとしていることも、軍部は分かっていた(想像できた)はずだ。

 とてつもなく、恐ろしい災禍がまもなく日本国民に降りかかろうとしていたことを予想できた筈だ。

 

 何故、避けられなかったのか・・・。

 何故、想像できなかったのか・・・。

 

 私は戦争を経験した世代ではない。

 だから、夏が来たらそのことを毎年考える事にしている。

 年中考えている訳ではない。8月15日だけだ。

 

 私たちにできる最低限のことだ。