オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

”せどり”の嫌らしさとその限界

 先日、某古書チェーンからセールのメールが来たので朝一で行ってきた。単行本が半額とのこと。

 掘り出し物があればいいな、と思いいそいそと出かけたのであるが、店に着いてみると何と人で一杯。それも、多くがバスケットを幾つも持って、片っ端から本を買っている。凄い勢いで。

 何やら、しきりにケータイを打ちながら、棚から次々と本を取り出している。どう見ても、本の中身を見ていない。子供を連れて来ていて、手伝わしているおっさん、おばはんもいる。

 一体、何の騒ぎだ?

 とても、ゆっくりと本を物色している雰囲気ではない。バスケットを覗くと比較的新しい本がセレクトされているように見えた。しかし、辺り構わずに本を取り出すとは、一体、何を目的にこんなことやってるんだ?と思った。

 実は、このような類いの連中を最近良く見かけるようになった。古書店で本を見ないでケータイを一生懸命使っている連中。

 この人達がやっていることは、”せどり”というらしい。

 ケータイを使って古書の市場値を調べ、高く売れる本を買い取り、ネット等を使って転売し、その価格差で儲けようという商売(アルバイト/内職)だ。

 ネットで”せどり”を探して見ると、「”せどり”で儲ける!」等のネタが結構拾える。主婦が「1ヵ月でウン十万円稼いじゃった♡!」みたいな記事がウジャウジャ出てくる。ちょっとした手間で儲かる内職として、流行ってるみたいだ。

 

 私は閉口した。

 もはや古本屋で”掘り出し物”をゲットする楽しみも無くなってしまったようだ。

 この人達は、まるでハイエナだ。

 この人達は、本の中身を見ずに良いモノ、そうでないモノも含めて、根こそぎ持って行ってしまう。後には、何も残らない。

 これでは、古本屋にいく楽しみもあったものではない。

 私のように、古書を探すことを楽しむ者にとっては、このような人達は”秩序破壊者”だ。邪魔者以外の何者でもない。

 もちろん、違法ではない。お店も在庫処分ができるので見て見ぬ振りをしているとか。

 であれば、このお店は一体誰を相手に商売をするつもりなのか?と思う。

 ”せどり”をする人相手に今後もビジネスをやり続けるつもりなのであろうか・・・

 この某古書チェーン店のビジネスモデルは、ざっくり言うと、「比較的新しい本は、定価の1/10あるいは、50〜100円で買い取り、半値+100円程度で売る」というものだ。

 新しくない本は、みんな10円あるいは0円。これを105円で売る。

 だから、相手が”せどり”であろうと、私のような、ぼ〜っと本を見ているおっさんであろうと、店の儲けは同じ。

 しかし、この”せどり”を見過ごしていると、純粋な古書ファンが離れることは間違いない。だって、店に行ったって残りカスしかないもん。

 いや、カスの中にも掘り出し物はあるかもしれないが、正直、私はあの”せどり”をやっている連中は不愉快だ。

 本を読む気がないものが、本を根こそぎ買って行くというのは楽しみを奪われているようで不愉快だ。だから、見たくない。違法じゃないから文句も言えないしね。

 これと似たようなシーンは、4年前に某家電量販店のお得意様向けセールでも見た。グループでやって来て、カメラ等、特定の商品を根こそぎ持って行く。しきりにケータイで連絡を取り合っている。恐らくこれも転売目的。不快である。何だか”さもしく”見える。今の世の中、”さもしい”なんて死語だろうけど。

 

 書籍は再販商品だ。定価が決まっているので中古品にこのようなはっきりとした価格差が生じる。そして、”せどり”は販売先であるamazonヤフオク(多くはここだと思う)や市中の古書店がなければ存在できない。

 某古書チェーン店と古書店に価格差があるからこそ、存在できるビジネスなのだ。中間搾取みたいなもの。

 こんな商売が存在するのは、販売価格システムか流通経路に硬直性の問題がある間。つまり、amazonと某古書チェーン店に価格差がある間だけだ。

 いつまでも書籍が再販商品であるとは思えないし、間もなく電子書籍の時代が来る。書籍に中古という概念は無くなる可能性もある。

 いずれ、このいやらしい商売は淘汰されるだろう。

 今の内にせいぜい頑張ってちょーだい。

 私はみっともないと思う。