三権分立していない、できない、しない
一票の格差問題は未だ解決していない。
最高裁から憲法違反の判決をもらってから久しいが、我が国の最高審議・議決機関である国会とそれを構成する先生がたは、この問題の解決にどうしても真剣になれないようだ。
「泥棒が自らを縛る縄を結う訳が無い」というような例えがあるが、まさにその通り。
手っ取り早く「選挙無効」と裁断すれば良いだけなのに、社会への影響が大きいから、との言い訳で言わば”厳重注意”に留めてしまっている。これは、馴れ合い、もたれ合い、”良識”という名の下での怠慢、責任放棄である。
判決文で如何に論述しようとも、実効性がないことが既にこの数年感の判例で分かり切っているのに、それ以上踏み込もうとしない。
「行政に影響を与える事は私達の本分ではありません」と涼しい顔。
要するに人ごとなのだ。
誰も困っている訳ではないし・・・ということだろう。
一票の格差問題は、政治家を選定あるいは、輩出する側としては大変な問題だ。
例を挙げると、私は神奈川県に住んでいるが、この中で見ても、県議会あるいは市議会議員をトップ当選させようとすると横浜市の人口集中地区と、そうでは無い地域を比較すると、極端な例では、必要な得票数は10倍違う。
3万票と3千票の違いだ。
ピンとこないかもしれないが、後援会の組織化、地域廻り等の選挙運動を行おうとした時の運動員の必要数(選挙資金)が全く異なる。
投票するだけの人(多くはそうだ)、投票すらしない人にとっては、全くどうでも良い事だが。
だから、最高裁であっても、あのような不作為を堂々と続けていられる。
最高裁が、”良識”を優先するということは、三権分立が機能していないと言うことだ。 前回選挙において(最高裁判事の)”国民投票”の不信任数に大きな変化はなかったようだ。
これまた、民主主義のシステムが機能していない。
どうしようもないね・・・
選挙制度改革は、民主党と自民党の解散問答時における共通の公約であるが、公明党が与党にいる限り、「党利党略」に振り回され、なかなかスマートな結論は見出し難いと思う。
先ほども言ったが、彼らは、縄は結わないから。
選挙制度における比例票は、政党政治に”良識的バランス”をもたらす。
性善説で言えばセーフティネットのようなものだ。しかし、国民新党や社民党、共産党、そして宗教団体を支援母体にもつ政党等が、その歴史的使命を終えつつあるかもしれない中で、今でも衆議院で議席を維持できている根拠のひとつが、このシステムに起因する事は間違いない。
「少数政党への配慮」という理屈は、与党にとっては「地方への配慮」という政党内力学に変換される。
全くもって無視できるものではないだろう。
何故か、実力者、有力者は地方議員だ。彼らの多くは、一票の格差を最大限に活用している。こんなもん、無くても平気な議員もごく一部にはいるが。
さすがに議員先生方も、事ここに至っては重い腰を上げざるを得ないだろう。早晩、つまらない結論に至ると推測するが、恐らくそれ自身は、日本的な妥協の究極形として、醜聞な、あるいは全く意味をなさない無駄なシステムの象徴として制度化されることだろう。
小学校で学んだ社会科の授業内容には嘘が多いが、その最たるものが「国会は国の最高決議機関である」と「より良い政治システムを指向した三権分立」であろう。
今この国で、そのシステムのまっただ中にいる当事者たちは、そうではないし、それをしていないし、できないし、やっていない。
国民をこんなに馬鹿にした国が他にあろうか・・・