本気なら富士山は「立ち入り禁止」に
5月に入ってから、”私の周り”ではこれといった事件もなく平穏な日々が続いている。実に平和だ。最近の円安、株高は、企業業績好転への寄与も認められ、世間的には良いニュースなのだと受け止められている。
新政権は、この経済状況(一時的かもしれない)を根拠に、暫くは好評価、高支持が続く事だろう。夏まで続けば良いけどね。
そして、平和なニュースの典型、富士山の世界文化遺産登録に関する話題は続いている。
今朝の日経の特集コーナーは「世界遺産になると大変?」。。。
要するに、世界遺産に指定されると、それを保全する義務が発生する。富士山の場合、それを如何に実現するか、今後、自治体・観光客は知恵を絞らなければならない、という記事だ。
不思議なことをいうもんだな、と思う。
そんなこと、既に腹案とコンセンサスがあるんじゃないの?
入山料の件は、ニュースで静岡/山梨の首長さんが言及していたので、それで行くってことだと思っていた。まだ、決まっていないのかしら・・・。
まさか、自然遺産保全のスキームをこれから、じっくりと日本式で議論するつもりなのかしら。だとしたら、世界遺産登録は、余りに拙速、行き当たりばったり、出たとこ勝負なんじゃない?
ユネスコのルールを熟知して申請しているんだから、そんなことでつまずいたりしたら、世界中から笑われるよ。
「えっ?駐車場もないのにベンツ買ったの?」
「だって欲しかったんだもん・・・、買ってから考えるつもりだった」
富士山は、ご存知のように以前から自然遺産としての登録を目指していた。もう10年以上前になるが、富士山への登山経験のある友人は言っていた。
「ゆずさん、富士山の自然遺産登録は無理だと思うよ」
「どうして?」
「富士山には自動販売機があるんだよ」
「えっ、そうなの?知らなかった」
「近代文明の象徴的な人工物だよね。世界遺産には相応しくないんだ」
その友人は、はっきりとは言わなかったが、今、話題になっているゴミ問題をその時、暗示したのだと思っている。
自然と人の共生、知名度向上による観光客誘致と自然破壊、環境保全と経済性の両立・・・。
別に富士山で初めて問題提起されたことではない。尾瀬や知床の景観保全で既に誰でも認知している問題だ。
人類にとってかけがいのない文化遺産を残そうという崇高・高邁な理念のもと、富士山を推挙するのであれば、保全スキームと関係者のコンセンサスをセットで申請するのが ”スジ” というものだ。
一体、自治体の関係者はこれまで何をやっていたのだろうか。
私は、「知床方式」が理にかなっていると思う。
入山制限だ。
これであれば、富士山を守れる。反対意見は相当あると推測するが。
これ以外であれば、早晩、富士山は他の山々と同列の自然環境に転落してしまうものと推測する。
富士山には、わざわざ産業廃棄物を捨てにくる人がいる。たかだか、数千円を出せば産廃業者がトラックで自宅に取りにきてくれるのに、わざわざ自家用車で富士山まで運んできて捨てて行く人達がいるということだ。
その人達にとって富士山は「霊峰」でなければ「自然遺産」でもない。
そこらにある雑木林と同じ、だ。
神様が宿る山とは思っていないし、日本人の心情を現す自然風景でもない。
今後富士山への観光客は間違いなく増える。そして、人が増えれば、草木が生える地面を踏んづけることが多くなり、排泄・廃棄物が増える。よって今以上に、環境破壊が進むのは当然の帰着だ。
犯罪的な廃棄行為をしている人はともかく、見せる事(観光)は止めない。しかし、自然破壊は避けたい。
この相反する課題の解決法をもった自治体・地域住民がいるからこそ、「自然遺産・文化遺産」の称号が与えられるのだ。
どうやら、富士山にはまだその資格が実質的には備わっていないようだ。
見かけは美しいが、その内実は残酷な現実に晒されている。
もちろん、富士山の責任ではない。彼は十分に頑張っている、あれだけ踏み荒らされたのに文句も言わず・・・。
これは、私達の問題であり責任だ。
目的、理念のない行動は、無意味である事が多い。
しかし、人は時々、そのような行動をとることがある。
「トイレのないマンション」。
これは原子力発電を揶揄した表現だ。
使用済み核燃料の廃棄方法(リサイクル技術を含む)を確立する前にプラントを山ほど建設し、政府方針として既成事実化する。
リスクマネジメントを行わず、事故が起きたら「想定外」。
「電気がなければ生活が維持できないだろう?」といって安全確認もそこそこにプラントを再稼働。
「できちゃった婚」に似ている・・・。これを「授かった婚」に言い換えるのがトレンドであるが、如何にも現代日本的、だ。
「常任理事国」になって何がしたいのだろう・・・?
近隣諸国との付き合いも上手くいっていないのに・・・。
有事の際、どのような理由に基づく「拒否権」を発動するつもりなのであろうか。
自前の軍隊を持たない国が、世界の安全保障について言及できるのだろうか。
安保条約があるのに「集団的自衛権行使」もできない国が、世界平和のための理念を実力行使できるのだろうか・・・
憲法改正のハードルを下げて、何をしようというのだろうか。
変えやすい憲法を私達は望んでいるのだろうか?
そして、一部に噂されるように、「愛国心」と「徴兵制」を強要されるのであろうか・・・
皆がやっているから私も。
先進国なんだから当たり前。
こういうことは、「目的」「理念」とは言えない。
私達は、一体、何がしたいのであろうか・・・・