歴史の審判とは何か
世の中、何が正しくて何が間違っているのか、どの道を選択することが正解であるのか、その答えを導き出すことはなかなか難しい。
私何ぞは、こんないい年になりながら、未だに仕事で人生で、果たして正しい選択が出来ているのか、全くもって確信が無い、あるいはそれを持てないでいる。情けない限りだ。
しかし、以前も書いたが「more better」な選択を敢えて行うことも重要だ。態度保留が最もたちが悪い。それは、最大多数への無条件委任を選択していることであり「安易」だ。思考停止だ。
自ら思考し、その結論に精神的・道義的責任を取ろうとする姿勢は重要で、そこから逃避する人は子供と程度が同じだ。
「しまった!」と後悔してもいい。自らが選択した道なのだから、諦めて事後の善後策を考えるステージに移行するしかない。
「失敗する」のは私をはじめとして脳みそがバカだからかもしれないが、「失敗しない人」は「選択しない人」であったり、「チャレンジしない人」であったりする場合がある。
それは如何なものか、と思う。
「失敗」してもいいんじゃないか。
そんな大層で重大な「決断」を迫られるシーンは私のような一般ピープルにはまず無い。命にまで危険が及ぶような人生の岐路に立つことなど、そうそうあるものではない。
ある人の決断の正当性が、その個人だけではなく、所属する組織・団体、地域、国、国家間の関係等を跨いで、あるいはそれを超えて評価を求められることも永い歴史の中ではあるかもしれない。
その決断が5年、10年、いや100年経っても評価しきれないような物事もこの世の中にはある、かもしれない。
具体的には、どのようなことだろうか・・・?
AHO副総理のおかげで振り返られているナチスの件に関連すれば、1919年ベルサイユ条約はそれに相当するかもしれない。
この無茶苦茶な制裁が果たして当時のドイツに対し本当に必要であったのか?
1947年のパレスチナ分割決議。
この後、延々と続く負の連鎖、世代を超えた怨念を生み出し、今も紛争が絶えない。
1945年3月東京、8月広島・長崎に対して行われた無差別大量殺戮。
このホロコーストは戦争終結のために本当に必要であったのか。
2001年アフガニスタンへの侵攻、2003年大量破壊兵器保有を理由とした対イラク戦争は、「正義の戦争」だったのか。
歴史の審判はまだ下ってはいない。
こう考えてみると、「消費税の導入」やその税率変更、「国産スーパーコンピュータへの税金投入の是非」などは、極めてドメスティックな問題であり、「歴史の評価」などには全く値しない。
「歴史」という表現が関係者から発せられてはいるが、お門違いだ。
言っていることのレベルが低過ぎる。そんなこと、自分達で考え決断すれば良い。いい年喰った大人達が何もかも「歴史さん」のせいにするものではない
そしてまた、ここに新たな歴史判定に関する問題が提起されている。
「飛ばないボール」、「統一球」に関連するNPBコミッショナーの進退問題は「歴史の審判」に委ねられたそうだ。
こんなミクロの問題に、何で第3者委員会と「歴史さん」が必要なんだろうか。
「すみませんでした。私の不徳です」の一言で退任すればいいこと。
つくづくこの国においては「歴史」が軽く取り扱われる・・・
私達は「歴史を忘れた民族」ではない。
しかし、隣人の言うことにも一理ある。