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オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

高校野球に見える縮図

 昨日の高校野球済美VS花巻東」の試合はナイスゲームだった。

 済美の安楽投手は、延長10回まで一人で投げきったが接戦の末の敗退。熱投だった。

 昨日は「済美VS花巻東」「明徳義塾VS大阪桐蔭」戦が行われたが、かねてからの楽天田中投手の快進撃や、元ヤンキース松井氏の話題などから、過去の高校野球の名試合を思い出しながらTVを見た。

 「済美VS花巻東」を見始めて、駒大苫小牧:田中投手(マー君) VS 早稲田実業:斉藤投手の投げ合いを思い出した。

 ご存知、引き分け再試合の末、早稲田実業が優勝したあのシーンだ。

 当時、私はあの試合を見ていて「駒大苫小牧:田中投手」は随分と不利な状況におかれているな、と感じていた。

 早実には控えの投手がいるのであるが、駒大は基本的に投手はマー君一人だった。

 延長18回を一人で投げて翌日再試合、そしてまた、マー君がマウンドを任されるであろうことは確実と思われた。

 彼の後に試合を託せるピッチャーは駒大にはいなかった。

 同じことは昨日の「済美VS花巻東」にも見えた。

 安楽投手の「次」はいない。

 彼は、一人で投げきるしか選択肢は無かった。

 一方、花巻東の継投は巧みだった。よくもあれだけ投手がいるもんだ。

 それも、皆、中の上のレベル。

 こりゃ、不公平だ・・・。マー君の時と同じ・・・。

 安楽君がいずれ打ち込まれるのは分かっていた。

 

 しかし、このような不公平は高校野球ではいくらもある。

 そもそも、これは「不公平」ではなく、各校個別の環境要因と言うべきなのかも知れない。

 甲子園で優勝する為に、全国から「ほどほど」の選手を集めてきてチームをつくる。その中でオンリーワンに成長する選手がいればラッキーだ。お金に余裕があれば皆そうするだろう。その結果、地元選手がいないチームが出来上がってもやむを得ない、となる。

 実際、現状の有名高校のチーム作りは基本的にそのような考え方で行われているはずだ。選手層を如何に「厚く」形成できるかが決勝戦までの5試合/6試合を闘いきる為の必須条件なのだろう。

 だから、安楽君、マー君の取り巻く環境は「不公平」ではない・・・?

 

 安楽君の熱投を契機に「投球数の上限を設けるべき」との意見が再登場している。

 それもありかもしれない。

 でも、それはないだろう。

 この「不公平」「不健康(投手にとっての)」を甘受しながら高校野球の伝統的大会は継続されて行くものと想像する。善し悪しの問題を無視して。

 

 考えてみれば、高校野球には色んな「理不尽」がある。

・投手一人で5〜6試合こなすことが当たり前のようにある

・そもそも各校の練習量に差がある。総じて、西日本勢が多く確保でき(雪が降らない)、また、公立より私立の方が圧倒的に多い傾向

・野球に関連する学校施設に大きな格差がある(PL学園は良い方の代表例)

・遠い地域から遠征してきて2週間を闘いきらねばならない。体調管理が難しい。当たり前だが、大阪桐蔭や西脇工は甲子園まで「通い」だ。練習もいつも通りホームグラウンドでできる。持参する弁当もいつも通りお母さんが作ったものが食べられる

・同じ地域事情で、地元チームはアルプススタンドに溢れかえるほどの応援団を動員できる。地方は経費の面からムリ

・北国の出身者は経験したことの無い「炎天下」でプレーしなきゃダメ。わざわざ東北勢には不利な季節である真夏に大会を開催する

・浜風を始めとする甲子園独特のグラウンドコンディション。これは「練習」のしようがない。地元有利だ。

・地方予選の試合数や難易度に大きな格差がある。大阪では昔から甲子園の近道は「島根」だ、と言われてきた。恐らく遠いのは東京、大阪、神奈川だろう。多くの場合、投手は地方予選で体力を相当消耗する

 

 挙げれば他にも色々考えられるが、これらの「不公平」「理不尽」を平準化することは恐らく不可能であると想像する。

 そう、社会にはこういう「不公平」「理不尽」が存在するのだ。色々な形で。

 人はその個別環境の中で「競争」して生きていく。

 最初から条件的に有利で圧倒的アドバンテージを有して社会を渡って行く人はいる。その反対側のエッジにいる人も。

 だからと言って、これらの環境条件を底辺にあわせて「公平・平等な競争」を演出しようとする関係者はいないであろうし、それを求める高校野球ファンもいないだろう。

 それが「社会の仕組み」であり、それが今のところ「正しい」と皆納得しているから。残念ながら高校野球に必要な「レギュレーション」とは認知されない。

 

 駒大苫小牧VS早稲田実業の「理不尽」にも見えた決勝戦は、早実に軍配が上がったが、その後、二人の投手が辿った道は対象的だ。

 だからこそ、この「理不尽」なルールも許容されているのかもしれない。人生における勝者は、最後までやってみないと分からない。

 安楽君は、きっと来年甲子園に戻ってくる。そしてまた、勝てない、かもしれない。

 私は、彼にマー君と似た運命を感じている。きっと、プロにも進むと思っている。

 

 

 ある活動家が言っていた言葉を思い出す。

 「”公平・公正・平等”は社会においては重要な価値観だ。これが蔑ろにされるような世の中にしてはいけない。しかし、この中に一つだけ注意すべき価値観がある。それは”平等”だ。この言葉だけ”悪”という言葉を付けられる。”悪平等”はいけない。それは公平・公正とは相容れないものだ」

 

 高校野球には、社会の縮図のような一面がある。