オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

ジャーマン・スープレックス

 1981年、蔵前国技館で行われていたプロレスの試合に、突然、その男は現れた。

 彼は、3段のロープを軽やかに駆け上がり、コーナーポストの頂上に立った。そして、羽織っていたマントを脱ぎ捨てリングに立った。

 相手は、ダイナマイトキッド。

 試合が始まると観客は息を飲んだ。やがて、それは大きな声援と歓声に変わった。

 彼は、ロープを華麗に操りながら空中を舞って見せた。

 尋常ではない跳躍力、小刻みな動きと敏捷な回り込み。グランドも強く、立ち技も強力だった。ジャンプしながらの後ろ回し蹴りは、相手選手だけでなく、観客の度肝を抜いた。

 しかし、彼の決め技はフライングボディーアタックでも、ローリングソバットでもなかった。

 彼は、ダイナマイトキッドの背後を取ると、両腕で腰をかかえ、そのまま背面に投げ技を打った。その軌道は、大きな弧を描いた。

 美しく、見事なスープレックスだった。

 彼は、スープレックスからブリッジしたまま、ダイナマイトキッドをフォールした。

 「ジャーマン・スープレックス・ホールド」

 プロレスの中で、もっとも、難しく、美しく、危険な技。

 久しぶりにこの技を使うレスラーが現れたのだ。

 これが、タイガーマスクのデビュー戦だった。

 

 

 若い頃のアントニオ猪木は、カールゴッチ直伝のジャーマン・スープレックス・ホールドを駆使したが、年齢を重ねるにつれ使わなくなった。

 この頃、日本人でこの技を使うレスラーは限られていた。

 上手い、下手もあったらしい。

 前田日明は、シングルアーム、ダブルアームを始めとし、7種類のスープレックスを使うと言われていたが、ジャーマン・スープレックスが上手いというのは聞かなかった。

 藤波辰巳は、通称「ドラゴン・スープレックス」という決め技を持っていたが、余りに相手側レスラーに与えるダメージが大きいとの理由でこの技を封印していた(と、言われていた)。私は、この技を一度しか見た事が無い。藤波VS猪木戦で、彼はこの技を使った。

 ジャンボ鶴田も使ったかもしれないが、あまり強烈な印象はない。

 浜口京子さんのお父さんは、世界選手権でメダルを取ってくる程のレスリング選手であったが、プロレスの試合でこの技を見せる事は無かった。それよりも、アントニオ猪木の試合に乱入して、世間のヒンシュクを買う事の方が多かった。プロレス好きの女友達が「何なの、アニマル浜口!」と言って怒っていた。

 当時、ジャーマン・スープレックス・ホールドは、なかなか見る事ができない技だった。

  そう・・・、ジャーマン・スープレックス・ホールドはプロレスの華だった。

 

 この技は、そもそもはレスリングから派生したものだそうだ。鍛え上げられたレスラーだけが使いこなせる高等技(今のレスラーの皆さんは結構使う。素晴らしい・・・)。

 古代ローマの拳闘士たちもこの技を駆使したのだろうか。

 

 肉体と肉体のぶつかり合いで、どちらが強いかを競う。殴らない。蹴らない。ただ、相手の体の動きを封じ、制覇したほうが勝ち。これが本来のレスリングという競技。

 極めてシンプル。

 古代オリンピアの時代から続いている競技だそうだ。

 今、東京は、日本は2020年オリンピック招致成功に沸いている。

 確かにめでたい事だ。

 

 でも、私はレスリングがオリンピック競技に残ったことが嬉しい。