オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

企業に宿る人格

 検察審査会の議論を経て強制起訴されたJR西日本の歴代3社長に無罪判決が言い渡されたとのこと。

 悲惨な脱線事故とは無関係の私であるが、個人的な心情としては、強制起訴にまで持ち込んだ遺族の思いは理解できる。

 個人を断罪しても致し方ない面はあるが、「このまま終わらせたくない」との感情には共感を覚えざるを得ない。遺族にとっては、無念の判決であったと推察する。

 一方で、企業経営の責任者として「事故を予見できたか」との命題に対して「やはり、それは難しい」との判断が下されることについては、やむを得ない部分も相当分あると感じる。

 いくら何でも、日常の事業運営があのような悲惨な事故に至るとは、想像できるものではない。

 経営陣にとっては、痛惜の念、大いなる後悔は存在するであろうが「予見」「その事態を明らかに予測できて不思議ではない」とまでは断言できるものではないだろう。

 遺族、原告共に、救いの無い事故であった。

 JR西日本は、今後の事業運営の中で、社会における自らの存在価値を証明していくしか遺族への謝罪の方法はないと考える。

 

 一方で「企業」としての事故責任・経営責任を強く認識すべきであったのは某自動車会社の「リコール隠し」の方ではなかったか。

 私は、あの事故・事件は「常識」を備えた経営者が率いる会社であれば「あり得ない」と思う。

 経営会議で全役員が品質上の欠陥が分かっているにもかかわらず「リコールの必要なし」と判断したのだ。自分達が、ひとつ間違えば「走る凶器」を製造しているという現実から明らかに逃避しており、事前の事故回避処置を「確信犯」として怠った。

 自らの社会的存在価値を否定したに等しい。

 もう一度言うが、それを経営会議で決定しているのだ。

 今更蒸し返して恐縮だが、このような会社は存在価値がない。

 断言する。

 このような企業を社会に存続させてはいけない。

 「”人の命” よりも大切なものがある」と判断する恐ろしい(企業としての)人格を持つ存在なのだ。

 これは、例えれば改悛しない殺人者が社会に生息することを認めるようなものだ。

 この某自動車会社がリコールを見送った経営判断の理由は「会社のブランドに傷がつく」と言うものだ。

 この会社では、人の命よりも会社のプライド、命脈が優先されるのだ。

 恐ろしいことだと思う。ゾッとする。

 私はこの会社の経営会議に参画した全ての関係者は断罪されるべきだ、と思っている。全ての結果責任を負うべきだと考えている。ここに一切の弁解の余地はないと思っている。これに異議を感じるものは、企業経営に携わるべきではないと思っている。

 何があっても「企業」が人を殺してはいけない。

 企業などが「人」の上に君臨する事なんてあり得ない。

 その点で言えば、一方の雄、「トヨタ自動車」の経営理念は潔い。

 意外な事であるが、あそこの経営陣は「会社なんて、いつ倒産しても不思議ではない」と考えている。

 あの会社がキャッシュを蓄積する事に余念がないのは、その基本理念の表れだ、と言われている。「倒産の危機」などは、何時来てもおかしくないと思っているからこそ、元気な時に現金を貯めているのだ。いつでも社員に「退職金」をキャッシュで払えるように準備しているのだ。

 だから、あの会社はリコールを恐れない。

 自社の車が「低品質」とユーザから評価される事の方を恐れている。

 この2社を見ていると、同じ自動車製造会社と言えど、経営陣のポリシーによって全く異なる「人格」が企業に宿る事が理解できる。

 企業は「人」なのだ。

 

 ・・・

 

 今、どのような形になるのかは知らないが「法人税減税」が行われ、震災復興を目的としていた「特別法人税」が前倒しで廃止される方向にあるそうだ。

 例の経団連会長は大層喜んでいる。

 「これが賃上げにつながる」という趣旨の事を宣っている。

 ・・・ホントか?

 

 私は、「それはない」と考えている。

 そもそも、経団連は、ずーーーーーーっと前から「賃上げは個別企業の対応」と言い続けている。企業が、皆で仲良く賃上げをすることなどあったら、太陽が西から昇り、猫が2足歩行で会社に通勤するような事態だ。

 賃金は経費であり、法人所得から払われる税金とは直接の関係性は無い。

 賃金等を支払った結果、企業に残った所得に対し「課税」されるのだ。だから、法人税減税されても、賃金は支払った後だから、労働者は誰もその恩恵には復せない。

 そんな事「常識」だ。

 何で今更そんな理屈が世の中にまかり通るのだろう?

  それとも、「風が吹けば桶屋が儲かる」方式の屁理屈であろうか?

 

 単純に考えれば「法人税減税」を行って直接利害が生じるのは「投資家」だろう。

 法人税を治めた後の ”利益処分” が「配当」であるからだ。

 減税分は「配当」か、あるいは共産党が大嫌いな「内部留保」になるかのどちらか、だ。

 企業の会計年度は1年であるから、「あぶく銭」が次年度に賃金原資として利用される事など「あり得ない」。資金のキャリーオーバーは考えられない。

 普通の「人格」を持った企業経営者であれば、減税と賃上げは別物だ。

 敢えて付け加えておくが、減税で企業業績が伸びる事などもあり得ない。

 「配当性向の上昇が企業価値を高める」との考え方も全否定はしないが、そんなこと「働く者」にとってはどうでもよい事だ。

 給与所得が上昇するのか、が勤労者にとってのイシューであるのに「減税」とセット論になっているのは実に腹立たしい。もう少し、真面目に議論してもらいたい。

 政府と経団連は、減税と賃上げの相関について、”あいつらは、どうせバカだから分かりはしない” とタカを括っている。

 

 まさしく「人格」が欠落した人達だ。