ヒッグス粒子に騒ぐ前にやるべきことがある
2013年のノーベル賞が発表され、物理学賞は昨年大きな話題となったヒッグス粒子の存在を提唱したピーター・ヒッグス氏、フランソワ・アングレール氏が受賞する事となった。
ノーベル賞は、必ずしもその年にブレイクした学者を表彰するものではないため、両氏の受賞は長年の歴史の中でも極めて早い評価・受賞なのではないだろうか。
両氏の偉業がこの上ない形で証明されたものだと感じる。
しかし、「ヒッグス粒子」とは難解なものだ。昨年から、関係雑誌に時々目を通すのであるが、やはり分からない。分かったような気になってはいるが、分かっていない。
「物質」に質量を与えるというが、それでは「ヒッグス粒子」には質量が存在するのであろうか?
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よく分かりません。
しかし、以前、日本の大手新聞社が使っていた「重さ」を与える、という稚拙な表現はここのところ全くと言っていい程、目にしなくなった。さすがに、彼らにも知恵が付いたのか?
量子学における画期的な発見であり、故に学問的に正確な説明がなされることはいい事だと思う。これからも、正しく正確な報道に務めて欲しいものだ。
昨年の「ヒッグス粒子発見」の報があったときから感じていたのであるが、このような理論は一体いつ頃からあったのであろうか?
情けないことだが、私は「素粒子」の存在を最近まで知らなかった。
子供の頃、学校で学んだのは全ての物質は「原子」で構成されている、ということだ。
この概念で恐ろしい事についこの間まで生きて来た。
物質は「素粒子」なるもので構成されている、と知ったのは、NHKの「銀河宇宙オデッセイ」を見てからだ。
この番組を見て私は心底驚いた。
「自分が学校で学んで来た科学、物理学は事実と違う」と感じた。
ニュートリノって何だ?
レプトンって?
超ひも理論とは?
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この世の中は、計17個の素粒子で構成されているそうだ。
「そんなこと教えてもらわなかった・・・」
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ラザフォードが原子核を実験により観測したのが1911年。
湯川秀樹が「中間子理論」を発表したのが1935年。
ヒッグス粒子の提唱は、1964年・・・だ。
私が学校で理科の時間に「原子」を学んだのは1970年代だ。
おかしくないか?日本の教育は?
私は大学でも「原子物理学」を学んだが、シュレディンガーの波動方程式は知っていても、「素粒子17種」は知らなかった。
何でこんな大切な、基本的なことを学校は教えてくれないのだろうか?
ヒッグス粒子は、「神の粒子」と呼ばれているそうだ。
私は「神様のつぶつぶ」をこの年になるまで知らなかった・・・
量子学における日本人科学者の活躍は目覚ましい。世界の最先端に位置する方々もいるらしい。それはとても誇らしい事だ。
で、あるなら、その最新研究成果は「仮説」としてでも構わないので、教育現場にいち早く降ろしてはどうか?
リベラルアーツで「中間子理論」も教えない日本の大学って一体何なんだ?
巨大加速器を日本に作る前に、やるべきことは他にあると思う。