オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

タイフーン・てんでんこ

 グラマラスで大味な彼女が走り去った後の日本列島には、大きな傷跡が残った。

 首都圏の交通システムが完全に麻痺状態に陥ったことなどは、とるに足らない事だ。何故なら、多くのビジネス・パーソンはこのことを予測し、覚悟していた。

 大混乱のシナリオは、あの日会社に向かった殆どの人達の思考回路には、織り込み済みだった。だから、このことに触れる必要はない。

 

 しかしながら、伊豆大島では災害が発生し、多くの方が土石流(洪水?)に巻き込まれた。今も懸命な救助活動が昼夜に渡り行われている。私には、無事を祈る事しか出来ない。

 新聞、TVは、緊急避難警報や特別警報を役所・気象庁が出さなかったことを責めたがっているようだ。また、町長・副町長が台風が来る事を承知しながら不在であった事も、最高責任者として不徳であり、事故は未必の故意であったとまで言いたいように見える。

 そうかもしれない。マスコミの指摘通りなのかも知れない。

 しかし、私には納得し難い点もある。

 警告は十分に発せられていた。「十年に一度の規模」「最大瞬間風速は50m/秒にも達する可能性」「数百ミリの猛烈な豪雨になる」・・・

 このような、桁外れの威力の台風が真上を通過すると言われた時に、人は「避難命令」が出ない限りは「避難不要」と考えるものでなのであろうか。

 それも、台風の通過が夜半になる事も予報済みであり、また進路を含めた予報は相当程度、的確/正確に通知されていた。明るいうちに避難行動をとらないと、寝ている最中を水に流される可能性を住民の方々は全く想像しなかったのか。

 何故、自らの意志で避難しないのか・・・

 いや、そうした人もいたと思うのだが。

 

 では、「避難命令」さえ出ていれば、今回の犠牲は避け得たのであろうか?

 

 東日本大震災の記憶が生々しく残っている今、そのことには確信を持ち難い。

 震災時の映像は多く残っているが、津波が刻一刻と迫っているにも関わらず、避難行動をとらなかった方、事態を深刻に受け止め、冷静な行動を決断しなかった方は、残念ながら数多くいた。

 「犠牲が出たのは、行政の適切な指示・指導が無かったからだ」との結論付けは、よくよく状況分析を行ってからにしないと、悪い意味で思考停止に陥り、今後の適切な再発防止につなげられなくなる可能性がある。

 単に結果責任を負う為だけのヒール役を作ることになってしまわないか。

 

 犠牲になられた方のことに触れたいのではない。

 私たちは、未知なる「危険」には臆病になるべきだし、その存在を嗅ぎ取った際は、自らの意志で「防衛」のための行動をとるべきだと言いたいのだ。

 そこに、行政とか為政者の存在は不要だ。

 結果責任は取ってくれるであろうが、それらが「万全な体制」で私たちの生命と安全を保障してくれると思うのは、少し楽観に過ぎると思う。

 それが、私たちの「3.11の教訓」ではないか?

 

 今回の台風の雨で、福島原発の冷却水は溢れ出して敷地内に拡散しているらしい。

 この状態(雨が降れば汚染水が溢れるような施設である事)を知っていて「コントロールされている」と、国の最高責任者は全世界の人に向かって説明しているのだ。そう言えば、「終息宣言」は、それよりもさらに前に出されている。

 リスクを嗅ぎ取り、自衛の行動をとる事は、今や「自己責任」の範疇にあると言える。自らの命には、自ら責任を持とう。

 くやしいが、それが今の日本という国だ。国に求められるのは、せいぜい損害賠償と災害支援だ。

 駅のホームをウオークマンを聞きながらケータイを触って歩いていた小学生が線路に落ちた事故があった。今日のニュースでは、歩きスマホの中年が遮断機をすり抜け線路内に入ったところを電車に跳ねられ亡くなったと言っていた。台風が迫る嵐の海を見に行った小学生2人が行方不明だそうだ。これまで、台風接近時に船を見に行く、田んぼの様子を見る、といって帰ってこなかった人は数えきれない。夏・冬を問わず、毎年のように軽装の登山者が遭難事故を起こしている。中には、その救助に行ったヘリコプターが墜落し、救助隊員が亡くなるという事もあった。今年の夏は、一体何人の方が熱中症でなくなったのであろうか・・・

 

 私たちは、「リスク」に対し、あまりに無防備になっていないだろうか。

 事故が起きてからでは「誰のせい」と言っても遅い。その前に、「未知なる危機」に対しては、自己責任のもとで行動しよう。

 

 津波だけでなく、

 「台風もてんでんこ」

 であるべきだ。