X'masとセーターとマフラー
街中は、X'mas景色で一色だ。
そして、今日は、止事無き方の誕生日。
25年前から今日なのであるが、ジーザス・クライストさまのその日と接近していることから、私にとってはX'masとそれがハイブリッドしてきている。
一緒くたに括るな、と叱られそうであるが、まあ勘弁願いたい。ご本人は、どちらとも天上の方なのであるから、一市民の迷いに目くじらを立てられる事もないと思う。
どちらにしても、めでたく、賑やかな1日である。
この間、彼女(小さい方)にX'masの話をしてみたら「小学生の時はサンタがいるって、本気で信じてたよ」と言って笑ってた。
Boyは、「ニンジン食べないとサンタさん、来ないよ!」と彼女(大きい方)に言われて、一生懸命食べていたことが忘れられないとか。
サンタの存在の真偽(彼は6年生になるまで信じていた)を含めて、今でも「腹が立つ」と言っている。
他愛ない話であるが、彼女と彼にとって、X'masは楽しい年中行事の一つであったようだ。
私は子供の頃、サンタにプレゼントをもらったことはない。
昭和の時代であるので、別にそれが大層珍しいことでもなく、私にとっては不幸でも不憫でもあったわけではない。
友人の中には、サンタの存在を信じていたものもいたに違いない。それは、それで羨ましいし、幸せなことだと思う。
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高校3年の時、クラスメートがくれたマフラーは、X'masプレゼントだったのだろうか。それは、12月だったような気がする。
そのあと、4回のX'masは、ある人とずっと一緒だった。あの頃は、それがずっと続くものだと思っていた。そして、お互いにプレゼントは必要なかった。
その次の年、あの女性がくれたセーターは、私へのX'masプレゼントだったのだろうか。当時の私にその認識は無い。私は「お返し」をしていない・・・
その次の年のX'mas、私から、ある女性にマフラーをプレゼントした。
そのマフラーは、その後何年か経って私のものになった。
高校3年の時にもらったマフラーは、廃棄処分された・・・
(こんなもの、いつまでも持っていたらいけないのよぉ〜、と言われた)
何か、セーターとマフラーの記憶しかない。
不憫でも、不幸でもなかったと思う・・・