オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

ある定数のお話

 エドウィンハッブルは、1889年、USAモンタナ州マーシュフィールドに生まれた。シカゴ大学を経てオックスフォード大学に留学、1914年に弁護士になった。

 しかし、天文学への興味が捨てきれず、1919年ウィルソン天文台の台員となる。

 彼は、もっぱら銀河系外星雲の観測に熱中する。

 そして、とある渦巻き星雲の中に変光星を発見する。

 それは、今ではセファイド型変光星と呼ばれるもので、変光周期と絶対光度に極めて精度の高い比例関係が見られるものだった(変光周期の長い星ほど絶対光度が高い)。

 

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 この性質を利用することで、その変光星までの距離を測定することが出来る。

 ハッブルは、観測と測定により、この変光星を含む渦巻き銀河が、銀河系外に存在することを発見するとともに、銀河の発するスペクトル暗線(フラウンフォーファー線)の波長がずれていることに気付いた。そして、それがドップラー効果によるものではないかと考えた。

 これは、画期的な発見であった。

 2つの銀河間の距離が測定されるとともに、相互の後退速度、移動速度が観測されたと言うことである。

 ハッブルは、この手法を使い複数の銀河の距離と移動速度の関係性を分析し、「遠い銀河ほど、速い速度で遠ざかっている(後退している)」と結論した。

 その速度は、およそ1パーセク(326万光年)あたり75Km/sec。

 これを「ハッブル定数」という。

 1929年に「ハッブルの法則」は発表される。

 宇宙の膨張が観測・測定された決定的な瞬間だった。

 

  そして、60年余りの時が流れる。

 

 ・・・・

 

 

 1990年4月24日、ケープカナベラル、ケネディ宇宙センターからスペースシャトルディスカバリー号が打ち上げられた。

 今回のミッションは、地上600Km地点での宇宙望遠鏡(Space Telescope)の射出である。

 

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 この宇宙望遠鏡は、全長13m、直径4m、重量1t、主鏡2.4mの巨大なものであった。

 地球周回軌道を97分という超速度で1周し、高度3万5000Kmにある追跡データ・リレー衛星と中継通信することにより、宇宙のほぼ全域に向けておよそ限界等級28等の超絶した観測眼を照準することができた。

 この人類の叡智、科学技術の粋を結集して制作された宇宙望遠鏡は、「ハッブル」と名付けられた。

 Hbble Space TelescopeHSP)の誕生である。

 

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 HSPは、稼働当初、設計通りの性能を発揮出来ずにいたが、1993年12月のスペーシャトルと優秀な宇宙飛行士達による改修作業により、見事な性能改善を果たした。

 

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 そして、この望遠鏡はいよいよその名に相応しい観測を始める。

 18個のセファイド型変光星の観測により正確なハッブル定数を求めようと言うものだ。

 およそ8年間にも及ぶ精密・精緻な観測・測定の結果、Wendy Freedmanをはじめとする研究チームは、72±8という定数を提示する。当時、これは10%以内の誤差だと言われた。

 その後の観測により、ハッブル定数は

 74.3±2.1km

 にまで絞り込まれている。

 この結果は、間違いなくHSPがもたらしたものだ。

 そして、その後の、HSPの活躍と成果は天文学400年の知識・常識の集積を凌駕すると言っても良い。

 

 

 HSPの稼働期間は、当初15年と決められていた。

 しかし、その有り余る高性能と有用性、そして実績、天文学者達からの稼働延長要請により、運用の延長が継続している。

 だが、いずれ装置・部品の消耗から、その役割を終える時はやってくる。

 もはや、修理・補修を援助する地上間との移動手段(シャトル)もない。

 彼を回収する手段はない。

 やがて、その動作を完全停止し、地上に落下し燃え尽きるものと推測される。

 全てのものごとに終わりがある。

 

 しかし、その功績は、天文学者の名とともに永遠に語り継がれる・・・