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オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

「うしろの百太郎」はOKだったのに・・

 子供の頃、「うしろの百太郎」という漫画が少年マガジンに連載されていた。つのだじろう氏が、霊魂、幽霊ものをテーマにして執筆されたものだ。

 これは、連載当時、子供達の大変な反響を呼んだ。

 学校に行くと、友人同士の共通の話題になった時もあった。

 私は以前も書いたが、全く・完全に「霊能力」が無い。よって、幽霊や亡霊にあったことは無い。

 では、「”霊”を信じていないのか?」と聞かれれば「そうでもない」と回答する。

 「”霊現象”を始めとする超常現象を信じているのか?」と聞かれれば「う〜ん」と、どちら付かずの返事をしてしまっている。

 この手の話は「嫌いではない」。

 しかし、彼女ほど「大好き」でもない。

 世の中には、不思議な事はある、と思っている。だから、全てを否定はしていないだけの事だ。

 自分のことを「理系」と認識しているので、非科学的なことを前提にものごとを考えようとは思わない。しかし、超常現象の全てを否定出来るほど全方位的な専門知識を有している訳ではない。

 「私の知らない世界」が存在しても別段不思議ではないし、不都合も無い。

 だから、以前から彼女の趣味(霊魂もの)にはつきあう事にしている。

 因に、親戚に熱心な仏教徒がいるが、その人は「論理的な人ほど、一旦信仰を始めると熱心だ」と言っていた。

 理系・文系の分野別と「超常現象の信仰」には、因果関係がないと言うことであろう。

 私は幽霊を見た事は無いが、「悟り」をひらくことには大いに関心がある。「般若心経」はときどき唱える事としている。

 しかし、「うしろの百太郎」の話はホントなのだろうか?

 私達には守護霊が必ずいて、そして、死んだら生まれ変わるのだろうか?

 ”霊魂”は存在するのか?

 心霊写真は本当に存在するのか?

 昭和の時代、「うしろの百太郎」が当時の子供達に刷り込んだ「霊魂」のイメージは強烈であった。

 

・・・

 

 「うしろの百太郎」があった頃、TVでは「木曜スペシャル」という番組が日本テレビで放映されていた。

 霊魂ネタも多かったが、やはり超有名(伝説的)なのは矢追純一氏のUFOシリーズであろう。

 「エリア51」には、マジで驚いた。USAは宇宙人と既にコンタクトをとっているのだ、と私も当時は信じかけていた程だ。

 「フィラデルフィア・エクスペリエンス」や「インディペンデンス・ディ」等の映画が現地でも結構な話題をさらう事実を見ると、アメリカの人達も結構、この手の「怪しい」話については寛容なのだ、と思ってしまう。

 娯楽の一環として発信される情報の全てが「真実」とは限らない、必ずしも科学的な証明、立証が無くとも良い・・

 それは、視聴者(受け手)にとっては暗黙の了解であった、・・・はずだ。

 科学的な証明がなされていないことについては「広報してはいけない」とのルールは、マスコミや出版業界にはそもそも存在しなかった。そんなことを前提にすると、政治をはじめとする「人」にかかわる情報は、一切発信を許されなくなってしまう。

 ”発言” ”発信” が制約されてしまうのだ。

 私は、日本のマスコミが言う「報道の自由」に関心はない。

 

 しかし、日本国民としての「発言の自由」は絶対的に守りたい、これは譲れない。

 

 そのことを踏まえると、最近話題になっている「美味しんぼ」問題については、少なからず気にかかっている。

 私はこの問題に対し、特に政府関係者がクレームに近いものを付けている事に対し違和感を持っている。

 彼らは「発言の自由」に踏み込もうとしているように見える。「風評」を理由に。

 放射線による人体への影響を科学的に立証する事など今は不可能だ。絶対的にデータ不足。

 だから、「美味しんぼ」の表現を正解とも不正解とも言えない。

 しかし政府・与党は、地元の人達に迷惑がかかるかもしれないので「確実な事」以外は発言するな、と牽制しているように見える。

 この件は既に「国家として終結宣言済み」「Under Control」なのだ、と・・・

 さまざまな関係者の方々が、この問題に対し神経をすり減らすようなご苦労をされているだろうことは想像出来る。しかし、”ダブー”では無い筈だ。

 十分と評価されるに値する情報発信と危機管理が出来ていない現政権、関係者に「風評」という、都合の良い言い訳を与える事態を憂慮している。

 福島原発事故は、まだ終息していない。

 その中で、恣意的な統制が行われる事に強い懸念を感じる。

 問題の本質は、漫画の原作者の人格ではない。

 ましてや、出版社の「倫理観」でもない。

 

 「フクシマ」を我々が、どう捉えるか、だ。