労働者蜂起の日が来るのか
5月29日は「お肉の日」だそうだ。
めでたい・・・
しかし、この日に某牛丼屋チェーンの従業員・バイトの人達がストライキを行う、という噂が広まっている。
私も、そのつぶやきをTwitterで見かけた。
外部から煽っている人もいる・・・
面白がって、拡散を仕掛ける人。
やるなら、こういう方法が良いと助言する人。
経営側からの報復を心配する「良心」の人。
ひたすらノイズを注入・拡散する人・・・
色々だ。
某牛丼屋チェーンの「ブラックさ」については私も聞き及んでいる。
中には、色々とデマや誤解もあるかもしれないが、所謂「ワンオペ」については、”酷過ぎる”と思っている。
いくら何でもこれはない。
労働者達が逃げ出すのも無理は無い。
これを合理化・高効率化と考えているのであれば、経営側の時代錯誤も甚だしいと思う。
123店にも及ぶ閉店、パワーアップ改装工事の現実は、この会社のビジネスモデルの限界を露呈している。
現場オペレーションは、ほぼ、破綻状態にあると言って良いと思う。
最近聞かなくなったが、「黒字倒産」とはこういうシチュエーションで起きるのだ。
居酒屋も牛丼屋も、労働者の反乱が起きないと企業経営者は、自らの不徳に気が付かないのであろうか。
経営学を知っていても、フランス革命は知らないのであろうか・・・
ビジネスで成功を収めた人物がかくも愚かな思考回路しか持ち合わせていないのか?
本当に不思議だ・・・
日本では極めて珍しい「労働者の反乱」は、果たして本当にあるのか?
その可能性はともかくとして、少し気になった点をまとめておく。
ストライキを行った結果、経営側が被った利益損失に対して、当該労働者に巨額の損害賠償請求をされたらどうする、という意見がある。
私は、これは「ない」と思う。
どうしてそのような心配をするのか理解出来ない。
特定個人が出勤しなかったことのみが理由で、事業に巨額の損失が発生するなど、一般的な概念として認められない。事業の「機会喪失」なら、あるかもしれないが。
例え、誰かが出勤できなかったとしても、それをカバーするマネジメントを求められるのは経営者(使用者)側だ。
働く側が、自らの欠損部分に対して「金額的補填」をすることなどあり得ない。
いつ何時、誰が欠落しても、安定的に事業が運営されることを確実化するのは、経営者の責任だ。それは「事業継続性」に関わる問題でありアルバイトの責務ではない。
間違いなく経営者マターだ。
さらに言えば、例え個人に起因する損失があったとしても、それを理由に個人に賠償責任を求められるのであれば、世の中の営業職やプロジェクトマネージャーは、毎日借金取りに追われる事となる。
特定事案の失敗責任の全てを個人に求めていては、安定的な労働力の提供は期待出来ない。だれもリスクをとらなくなる。それでは事業運営出来ない。
事業リスクの最終責任者は、あくまでも経営者なのだ。だから彼らは、労働者よりも高い報酬を得ているのだ。これはリスクテイクへの対価報酬だ。
牛丼屋にも居酒屋にも、顧問弁護士や社労士はいる。その人達が、そのような荒唐無稽な訴訟を追認する訳が無い。それは一般社会では「非常識」だ。
ただし、一方的なサボタージュは代替員への過重な負担を強いる事になる。
これが、非正規社員VS正社員であれば、構図として理解出来るが、非正規社員同士の一騎打ちとなれば「正直者」がバカを見る事になる。
5月29日に堂々と年休を申請すれば良い、そうすれば罰せられない。いや、経営者には年休申請に対する時期変更権がある、との議論がある。
時期変更権については、経営者側に「正当な理由」があれば確かに行使できる。この点だけで言えば「会社」の勝ちだ。
しかし、突発的な(或はやむを得ない)理由により労働者が年休を申請した場合、これは認めなくてはならない。それが労働基準法の精神だ。ブラック経営者が理解しているか、は分からないが。
当日、「体調がすぐれないので休みます」と言えば、その真偽など他人には判断出来ない。よくある新入社員の5月病と同じ。
こんな事案を法的に罰するなんてムリ。故意に事業損失を狙っているか、サボタージュであるかを証明出来ない。やったもの勝ちだ。
因に「やれ」とは言っていない。
「労働条件の具体的な改善要求をしていないのでストライキに意味はない」という意見がある。
これは正論。
一般にストライキは労働条件の何かしらとバーター(引き換え)になるものだ。「要求」の無いストライキは具体的な「果実」も無い。
経営側にとっては事業損失、労働者側は無給という痛み分けになる(これを理由に解雇はできない。だからストライキは権利と言われている)。
たった、1日の反乱であればその通り。
しかし、これが無期限に継続する事が前提となれば話は違う。
どちらかが「撤退」するまでこの状況が継続し、係争の後に残るものは焦土・残骸だけだ。およそ、過去の歴史の中で「有意義」であった労働争議など存在しない。
しかし、立場的に弱い労働者達がゲーム理論でいう「ナッシュ均衡」を得られるのはこのパターンだ。
経営側は、相手をみくびる事無く誠心誠意をもって対応しないと、双方が破滅を迎える。このゲームに勝者はいない。
よって、破滅しても良いのであれば、やってみる価値はある。
経営者にとって一番不都合なシチュエーションだ。
因に「やれ」とは言っていない。
「いやなら辞めればいいじゃん」「いや、辞めさせてくれない」「責任をとれと言われる」等、訳の分からない理由で辞めるに辞められない、との話も聞く。
・・・
如何なる理由であろうと、労働契約関係を一方的に破棄出来るのは「労働者」側だ。
因に、会社側は一方的に労働契約を破棄出来ない。合理的な理由と労働者への事前通告が必要だ。
一般に、日本の労働契約規制が厳しいと言われるのはこの点であり、政府が「解雇ルール」を決めたがっているのもこれが理由だ。
何故、労働者は一方的に「労働契約破棄」が可能なのか。
そんなことしたら、自分勝手ではないのか?
会社が困るんじゃないか?
自分が好きで選んだ会社だからある程度の我慢はするべきではないのか?
・・・それは憲法で「職業選択の自由」が認められているからだ。
「辞められない」「辞めさせない」と言っている労使は、日本国憲法ではなくて、大日本帝国時代の価値観でものごとを考えているのだ。
女工哀史の話は、誰でも聞いた事があるだろう。
その反省から戦後の日本は、憲法で「自分の好きな仕事を選ぶ自由」を高らかに謳っている。労働者は自らの意思で、いつでも堂々と辞めれば良い。因に、如何なる理由で退職しようとも、それまで働いた分の賃金は請求できる。これは「権利」だ。
自分がしたくもない仕事を雇用者に強制的に押し付けられるなんて、バカみたいな話である。
例え企業側が如何なる損失理由をつけての訴訟であろうとも、労働者は「私はこの会社を辞める」との権利については絶対に勝訴出来る。
「〜するまで退職出来ない」なんて理由はあり得ない。
先ほども言ったが、そのような一個人に対する訴訟は、企業の顧問弁護士が絶対に認めない。
簡単に言ってしまうと「大人げない」話なのだ。
因に「辞めろ」とは言っていない。
さて、5月29日は「叛乱の日」になるのであろうか。
日本経済の長期低迷を経て、社会に凝縮・沈殿した膿を出すきっかけになるのであろうか。
もし、本当に「決起」があるようなら、牛丼屋と居酒屋の社長は、小学校からやり直すべきだし、私達も今一度「働くことの意味」を再確認すべき時なのかも知れない。