オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

それは「あの人」のせい

 日本電気PC-9801を販売開始したのは、1981年のこと。

 このPCは、当時画期的な性能を有していた訳ではない。しかし、販売から10年近く経つと爆発的に売れ始める。

 その勢いは凄まじくピークの時は、1ヵ月に50万台以上の販売実績を挙げていたと記憶している。これは、当時20万円はする高級ビジネス機器が、単純計算で1日2万台近く売れていた事になる。

 今では信じられないような売れ方であるが、Windows3.1/95のリリース以降、パーソナルコンピューターというモノがコモディティ化し、一般人/家庭に広く普及して行ったことを物語る。

 しかしながら、この背景には「PCを買う」ということが一種のブームになっていたことがあり、現代のようなネット環境が整備されていない時代にあって、家庭でインターネット以外のPCの使い道があったかと言えば、これは難題でもあった。

 「俺もPCを買ったよ。それで、何をすればいいんだ?」という、笑えない冗談が当時あった。流行に乗ってPCを買ってみたものの、何に使えばいいのか迷う・・・。ブームを冷笑する強烈なギャグだった。

 

 このバカバカしい状況を受け、当時の新聞(読売か日経だと思う)に、「PCを売る(乱売する)メーカー側は、その有効的な利用法をユーザに伝えるという義務を果たしていない」との批判的記事が掲載されたことを記憶している。

 NEC富士通が、有名人を起用して大々的なコマーシャルをしていたことは事実であるが、これは、アホがやることの責任をメーカー側に転嫁してるだけのことであり、幾らなんでも無理筋の意見だった。

 そんな「へ理屈」が通るのであれば、飲酒運転で事故を起こした場合にあっても、ドライバーは「その責任は、飲酒状態でも運転出来るものを製造した自動車会社にある」と言っても良いことにもなる。

 これは、当時のPCが世間(アホな新聞記者)にとって、一種、特別な文房具として捉えられていた証だと思う。

 「訳わからんものを高価で販売しているのだから、メーカーはそれなりの誠意を見せろよ」と言っている。

 如何にも「お客様は神様です」の発想だ。

 

・・・・・

 

 スマホを使って未成年を犯罪に巻き込む、いかがわしいビジネス(出会い系サイトや詐欺商法)が後を絶たないとのこと。

 国は、メーカーにスマホ側にフィルタリング機能の設置を義務付けているらしいが、それだけでは事件を防ぎきれないようだ。

 今年、性犯罪に巻き込まれた未成年者の数は、昨年の6倍を超えているとの事。急速に増加しつつある、ということだ。

 「子供達をスマホ/ケータイを利用した犯罪から守りきる」

 これは結構難しい命題だと思う。

 何と言っても、当の子供達が興味をもってそのようなサイト(出会い系サイト)に自主的に接続しているのだから、他人がそれを防ぎきれるものではない。フィルタリングを回避する方法は、幾らでもある。

 これは「PCの的確な利用法が分からないのは、メーカーの責任」と言っていたことと似ていると思う。

 

 私だって「歩きスマホ」は、docomoau、白い犬の責任だと声高に言いたいくらいだ。

 「安全な使い方も理解できないバカにはスマホを売るな」と言いたい。

 「歩きながらではスマホが機能しないような仕様にしてほしい」と言いたい。

 

 「企業の社会的責任」(Corporate Social Responsibility)という言葉が一時流行った。

 これは、とても便利な言葉で、消費者側が都合良く捉えると、色んな事象の責任をメーカー側に一方的に押し付ける事が可能だ。

 本来、使う側の責任であるにもかかわらず、起きてしまった事件・事故を「売った側の責任」に転嫁する事が可能だ。

 「説明責任」という言葉も同様の使い方が出来る。新聞社は、記事を作り出すために、この言葉を今最大限に利用している。

 

 世の中で少なからず起きている「バカな事の責任を誰かに転嫁したい」という気持ちは、正直私にも少しある。