「離れた」のではない
LIXILグループの社長が「クルマの車検のように、住宅にも法定点検制度「家検(かけん)」を設けてはどうか。リフォームやメンテナンスの履歴を蓄積すれば、住宅の価値は高まる・・・」という類いの発言をしている(9/26日経)。
自分たちの会社、業界にとっての利益誘導発言の典型的な例であるが、気に食わないのは”法定”という発想が含まれていることだ。
冗談の程度は不明であるが、いざ「法定点検」となれば住居保有者の意思に関係なく、全戸が確実に点検を実施しなくてはならない。
もし、それを怠ったり、経済的な事情により見送ったりした場合、どのようなペナルティが課せられるのであろうか。点検証明書の類いが発行されないのは当然のこととして。
考えられるのは、住居を転売したい時に「売値」が付かないこと。
また、市場での資産価値も毀損されることだろう。
しかし、それは売る気がない人にとっては関係ないことだ。
資産価値についても、今以上に固定資産税を多く納めたいと望んでいる人がいるとは考え辛い。
一般的に考えて、「家検」が導入されて喜ぶのは、有償で点検を請け負うLIXILグループ、修繕資材を調達する部品屋、公正証書を作成する司法書士、収入印紙代をポッポに入れる国(地方財源になるかもしれない)あたりか・・・
真面目に議論・検討・推論するまでもなく、全くもってバカバカしい構想だ。
LIXILグループの藤森社長は、冗談の天才だ。
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しかし、先のバカバカしいことは実際には車検では行われている。
車検にかかるコストは凄まじい。
年次の法定点検を含めて行っていれば、維持にとんでもない費用がかかる。
新車登録して最初は3年目、その次から2年毎、10年を超えると年に1回。
これが、車検の周期。
しかし、バカバカしい。これを車種や利用環境、想定耐用年数にかかわらず、一律に「義務付け」ているのは。
大きなお世話だ。
新車の現実的な安全性点検であれば、3年毎に実施すれば必要にして十分だ。
車のコンディションが気になれば、自分で整備工場に持ち込めば良いだけのこと。国から強制される謂れは無い。本当に大きなお世話。
良く聞く話であるが、USAに車検制度はない、とのこと。欧州のことは知らない。
自らの所有する乗り物なのであるから、自己責任で安全性確保すれば良い、と思うのであるが、国は「それでは心配」と言っている。
国民は、車の内部構造や仕組みを知らないアホな連中だから、国が完璧な整備・点検を義務付けしてやっている、ということなのだ。
国にとっては車検証発行に伴う「収入印紙代」(登録費用)は貴重な財源だ。
整備にかかる費用は、自動車業界に入るが、その内容(整備の工数と部品代)にかかわらず、自動車登録(車検証発行)は毎次行わなければならない。
そして、その度に国は登録料収入が得られることになる。国にとって登録の周期は短い方が嬉しいに決まっている。
そして、それは私達にとって著しく無駄・・・
必要性に乏しい巨大な無駄。これを国家事業的に行っているのだ。
因に、陸運局で自動車登録を本人以外が行う場合は、司法書士に任せるのが本来であり、自動車販売店が代行するのは好ましくないらしい・・・、と当の司法書士が言っていた。
無駄の取り合い、争奪戦。一体誰のための車検制度なのか。
この話をしたのは、「燃費課税」が話題になっているからだ。
「燃費課税」は、消費税引き上げに伴う「自動車取得税」の廃止の代替財源として検討されている、とのこと。
これまで、自動車を購入すると、消費税とは別に自動車取得税を徴収されていた。これは明らかな二重課税だ。
似たようなことは、ガソリン税でも起きている。
ガソリン代に含まれている揮発油税にまで消費税はかけれらている。これは、税金を納めることに税金がかかっている、ということだ。
これは珍妙なことだ。税金に税金がかかるとは。
そして「燃費課税」とは日本語がおかしい。
燃料消費率に税金がかかるというのは理屈に合わない。
これは、燃料消費率に応じて「自動車取得に課税する」と言っているのであり、何のことはない。自動車取得税と概念は同じだ。つまり、自動車取得税は廃止されない。
「自動車取得税廃止」は国家的詐欺だ。詭弁である。
「税体系の抜本的見直し」も絵空事。
取れる所から取る、これしか政府・役人は考えていない。しかし、今に始まったことではない。
「若者の車離れ」
おかしな概念が吹聴されている。
先のような自動車を取り巻く歪な税体系は、若い人たちだって、それとはなく感じ取っている。
彼らは「バッカじゃないか・・・。こんな高い税金払ってまで車買わんわ」と言っているのだ。
「車離れ」ではない。
そもそも、寄って来ないのだ。
自動車の保有に斯様な何重もの税金がかけられているのは、以前の物品税の名残りだ。
物品税は別名「贅沢税」。
「金持ちから、贅沢をする人から税金を多く取る」という昭和的発想だ。
現代の日本において、自動車が果たして「贅沢品」であるのか、ブルジョワの象徴であるのか、私には分からない。新聞によると地方都市では「下駄だ」、と言われているそうであるが。
しかし、客観的に捉えてみて、自動車という存在に高課税をして容認されるのであれば、スマホやパソコンがバカ高い税金であっても、論理破綻は無いように思う。
そろそろ、政府は課税のメリハリについて真面目に考えてみてはどうか?
政府が何をどうしたいのか不明であるが、特定の物品に高い税金を課したいのであれば、それ相応の理屈をつけて合理的な考えを示さないと、消費マインドを冷やすだけの愚策を展開し続けることになる。
頭脳明晰を自負する役人達は、今こそその知恵を見せるべきだろう。
現代の日本国民は、江戸時代の農民とは違う。
言われた分の年貢を何の異論も無く納めるような人達では無い。一揆は起こさないが、歪で不自然なフィールドには立ち入らない知恵と知識がある。
「大衆は愚民である」と言うような発想をそろそろ捨てて、真に論理的な施策提示をしないと、「政府って本当は何も考えていないバカなんじゃないか」と国民に見透かされるかもしれない。
税体系からは、国の有り様が見えてくる。
不思議なものだ・・・