オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

政党交付金の存在意義

 250円 × 128,057,352人(平成22年国勢調査人口)=32,014,338千円

 

 これは、直近の政党交付金政党助成金)の総額だ。320億円。凄まじい金額である。

 上記の計算式は、日本国民、赤ちゃんからもうすぐ逝かれる寝たきりのお年寄りまで、あまねく250円づつ負担している事を示している。

 因に、使途に制限はない。

 収支報告は、きちんとしなくてはならない。

 総務省のHPを見ると「政党助成制度は、国が政党に対し政党交付金による助成を行うことにより、政党の政治活動の健全な発達の促進及びその公明と公正の確保を図り、もって民主政治の健全な発展に寄与することを目的とした制度です。」と高邁な文書が掲載されている。

 本音と建前がある日本国とは言えど、これは「あんまり」なのではないか?

 税金で320億円もの支出をしておきながら、世間の感じる政治家達の体たらくには目を覆うものがある。

 やはり、この制度は廃止した方が良い。

 制度の目的が全くと言っていいほど果たされていない。

 政治家達に、単なる小遣いをあげているだけになっている。無駄金だ。

 

 何故、このつまらない話を持ち出したのか、というと、小渕大臣の政治資金収支報告疑惑、そして、リクルートの株式上場がたまたま時期的に重なったからだ。

 「政治と金の問題」を語る時に、リクルートというネームは、過去の政治家の疑獄・事件と極めて深い因果関係を持っている。

 その点、この2つがたまたま重なったことは、とても印象的だ。彼女の父親はあの当時の自民党にあって、比較的クリーンな政治家で通っていたが・・・

 「政治と金の問題」という表現は、政治家を個人攻撃する際に「政治家の説明責任」と等価の破壊力をもつ。

 政治家個人を責め立てるのに、非常に都合が良い。ワイルドカードとも言える。

 このカードを使えば彼らをサンドバッグ替わりに出来る

 しかし、いつも思うのであるが、国会でこの手の事件の追求をいくらしたとしても、そこにある課題・問題の根本解決が図られる事は永遠にない。

 そこには、希望も展望も全くもって無い、と言い切れる。

 時間の無駄だ。必ず、事件は歴史は繰り返される。これまでもそうであったように。

 彼らは、お金にルーズというより、お金を空気のように取り扱うのだ。

 如何なる高貴な道徳心、深い理念により、使途を制約・制限しても、それは果たされない。今後も永遠に。

 政治家にとって、お金は貨幣であって、そこに魂は無い。

 使い方の指導は野暮だ。

 

 経団連は、政治献金を再開したと聞く。

 この10年間、企業の政治献金が皆無であった訳では無い。

 有形・無形、間接的な政治活動支援は、日常的に行われてきている。

 今回、経済団体から再開されたのは、「上納金」「強制としての拠出金」としての政治献金のことだ。断れない、断ってはいけない善意の寄付のことだ。

 政治献金政党交付金は、本来は相反する性質をもっている。

 政党交付金の生まれた「暗い歴史と出生の秘密」を考慮すれば、この2つの存在は両立しない。本来、政党は、両方を受け取る事は許されない筈だ。

 受託収賄や汚職防止のための政党交付金であるはず。

 一部のロビイスト、業界団体、既得権保持者の思惑に政策が左右されないため、という理念があった筈。

 

 しかし、現実には政治家達は、その両方を受け取る事を拒まないようだ。

 これは、あまりに理念がない…と言える。

 プライドも無い。

 「政治には金がかかるんだよ!」

 彼らは、ことあるごとにそう言う。

 しかし、小渕大臣は政治資金を観劇やオムツに使っているとの指摘がされている。

 で、あれば、政治家も企業人も、この30年間、何も学んでこなかった、ということだ。

 公私混同甚だしい人達に”献金”とは聞いて呆れる。ドブに捨てる金があるなら、給与に、人件費に使ってもらいたい。

 

 リクルート事件があったのは、1988年のこと。時代はバブル真っ盛りの頃だ。

 「政治献金」が全て”悪”と言うつもりはない。

 かのUSA大統領選を制するファクタの一つは資金力だ。善し悪しではなく、政治に金がかかるのは事実、だ。

 それは分かっている。

 では、使い方も、使い道も問う事はしないので、税金を使うことは止めて欲しい。

 「政治献金」でやってくれ。

 それが歪んだ政策を生むかも知れない事も、過去の自民党政治を見ているので分かっている。

 でも、その頃の政治家は、少なくとも資金集めは自力でやっていた。それが、”力”そのものでもあった。当時は、嫌な感じがしたが、しかし、今よりは”マシ”な気がする。

 少なくとも自力だから。

 何に使おうが自由だ…

 

 今時の政治家を見て思う。

 公的援助と、私的援助の両方を手にしながら、何の成果も出せないようでは存在理由が見出せない。

 彼らも、また、「宇宙ゴミ」と同じか・・・

 「ゴミ」は燃やして処理するしかない。