馴れ合いの極致
昨日の首相会見をNHKで見ていた。
同時刻、フジTVではサッカー日本代表VSオーストラリア戦が放映されており、どちらも気になるところだ。
ここで、先日から芳しくない評価をしていたJ:COMが役に立った。
タブレットでサッカーを観戦しながら、TVでは首相会見を視聴した。
「サッカーと国政のどちらが大切なんだ?」
と、野暮な質問をしてくる人はいないと思うが、「サッカー」が大事。その次が「国政」が正直な回答。恐らく、皆、それが本音だと思う。
何で、首相会見をリアルで聞いたか、というと「信を問う」ことに対し、首相がどのようなメッセージを発するか聞いておきたかったから。
新聞や編集された映像からでは伝わらないモノもある。
直接、メッセージを聞いておきたかったからだ。
結果は全く大した事は無かった。無駄とは言わないが、「やはり、こんなものか・・・」が正直な感想。
かつての小泉首相は”ワンフレーズポリティクス”だのと、揶揄されたものであるが、国民に対して強い決意のメッセージを伝えきり、強いリーダーシップをもって国政を主導するという意味では、彼は間違いなく「Reader」であった。
国民は彼の言葉に惹かれついていったのだ。
「英雄」を求める時代は不幸だ、という例えがあるが今はそうなのかも知れない。
ため息もでないような首相会見であった。
空虚だった。
・・・・・
あの会見を通じて改めて明らかになったこともある。
会見場では、TV局、新聞社の担当による質疑が行われたが、その中に著しい「馴れ合い」が発露された事だ。また、聞く(インタビュー)側の緊張感も皆無であったと言っても良い。
彼らは、報道用の質疑を行っただけだった。
「カメラの向こう側に何千万もの国民が固唾をのんで会見を見守っている」
「選挙戦に寄与する有意義な政治家の言葉・決意を引き出さねばならない」
との使命感は全く存在しなかった。
あるいは、そもそも、彼らにそのような資質はないのかも知れない。
そのことは質問内容に全て表れている。
聞いても仕方が無い事、どうでも良い事を極めて限定された時間、枠内しかないにもかかわらず行っていたからだ。
昨日の質問者は、かかる重要事態にマスコミを代表して質問しているという自覚に欠けていた。意味の無い質問が大半であった。
「解散の理由は何か、勝敗ラインはどこにおいているか?」
「税制度を改変する際は”信”を問う事が政治の王道。民主党が壊滅したのはそれを行わなかったからだ。勝敗ラインは連立与党で過半数を割った場合」
これは、「民主党はバカ」「政権交代しなければ勝ち」を意味する。よって、当たり前であり意味の無い質問と回答。想定質疑のど真ん中。
「増税見送りは国際公約の反古であり、国際的な信任を損ねる事にはならないか」
「ならない」(理由は不明)
「どうやって、増税の環境を作り上げるのか」
「アベノミクスは失敗していないので大丈夫。次はやれる」(意味不明)
問題なのはこの次だ。
「・・・社のXXです。お疲れさまです。首相は〜」
この「お疲れさまです」に著しい馴れ合いを感じる。
国民数千万の目が見ている中で「お疲れさまです」は無いだろう。
相手はAHOであるが、一国の内閣総理大臣だ。
「お疲れさまです」
何なんだ。これは・・・
社内ですれ違った会社役員にでも声をかけているつもりか?お前は総理のお友達か?
私は呆れた。
彼にとって、この会見場は、いつも仕事の場であり、解散の国民向け会見にあっても、そこに緊張感は何もないのだ、と感じた。
この連中こそ、かかる事態の重要性を分かっていない輩なのだ。
現に、何人かの記者はマイクももたずに話始めたため”社名”や質問自体が聞き取れなかった。
マイク無しで喋っても、会見場では声が通る(聞こえる)ので不便はない。しかし、TVの向こうで聞いている国民には何も聞こえない。
記者達は、そんなことも考えていない、気がついていないのだ。一体、誰のための会見だと思っているのだろう?
新聞を作るための会見ではないはずだ。
政府もマスコミも、こんなもん・・・。
私達は完全に無視されているのだ。
自分が生きる社会、時間、空間が「こんなもん」という現実。
そして、国家の中枢に見える馴れ合いの極致。
アホなものを見てしまった感が一杯だ。
「お疲れさまです・・・」
その言葉を聞いて、思いっきり「疲れた」