バラエティは駆逐される
今朝の日経に地上波各TV局が番組配信を開始する、との記事が出ていた。
民放も放送とネットの融合政策について、遅まきながらNHKに追随する訳だ。
私達にとっては、TVをリアルタイムでしか見る事ができないというのは時代遅れである。
今はVTRとは言わないのであろうが、家庭用レコーダーの使途の多くは「タイムシフト」ではないだろうか。
仕事にプライベートに多忙な現代人が、昭和の頃のようにちゃぶ台を囲んで家族全員でTVドラマを見ているなんてシチュエーションを選ぶ事は考えられない。
気になる番組は、撮り溜めしておいて後日ゆっくりと・・・、がフツーだと思う。
某局バラエティ番組に、「今週の瞬間最高視聴率ベスト10」などという意図不明のコーナーが存在する。
少なくとも筋書きが読めない筈のドラマで、「瞬間最高視聴率」に触れる事自体が企画サイドの頭脳構造を疑う。
何時何分にどのような場面が現れるか分からないのに、特定時間に視聴が集中した事を後付けで論じる訳であるから、思考回路がノーマルではない。
たまたまの数字をコーナーに仕立て上げる関係者の商売根性は見上げたものであるが、それを当たり前のように継続する神経の図太さに、彼ら業界人の非常識を見て取れる。
このような軽薄なことをできる人達では、放送とネット配信の融合政策をビジネスとして昇華することは相当難しいのではないだろうか。
NHKにとってはこの競争は有利だ。
受信料が収入源であるから、コンテンツをどのような媒体を介して配信・発送しようが関係ない。
ユーザーである視聴者に番組・コンテンツが迅速・効率的に届けばそれで良い。
極端なことを言えば、現行NHK法がある限り、どのような番組を制作し、どんだけ視聴率が悪くとも受信料収入は不変だ。
一方、民放は頭を使わなくてはならない。
今後も、コンテンツの中にスポンサー広告を挿入する形態を維持するのであれば、民放各局は、それを視聴者に確実に見てもらう仕掛けを考え、その手法をスポンサーに納得してもらわねばならない。
私だけではないと思うが、一旦コンテンツが録画されると、その間に存在する広告はスキップされるケースが多分に想定される。一部を除き、CMは見たくて見ている訳ではないだろう。
ネット配信においては、これまでと同じパターンでスポンサーがつくかは定かではない。
リアルタイムで視聴率を稼げるコンテンツは、今後、スポーツ、報道など、限定されていくであろうことは容易に想像出来る。
各局のBSやケーブルTV向けの番組を見ていると、地上波とは異なりバラエティが極端に少ないことに気がつく(私が合わせるCHでは皆無)。
あの、見飽きた芸人や評論家もどき、怪しい身なりの専門家・有識者をひな壇に座らせて、うっとおしい司会者が何かを発言すれば、つまらんつっこみを返すというお決まりの番組パータン、スタイルのもの。
このことは、あのような作りの番組に真の視聴者ニーズが少ない事を物語っているのではないか。
わざわざ「お金」を払ってまで、バラエティを見る人はいないと思う。何故なら、そのような価値がないからだ。
あれは、地上波の無料番組だからこそ、かろうじて成り立っているだけで、そこに「必要性」がある訳では無い。
人は、「笑い」を浴しているが、それは何でも良い訳では無い。コロッケのコンサートを見に行く事と松田聖子のそれは等価だ。そこには絶対的価値が存在する。そのことが私達の経済的行動を誘発しているのだ。
コンテンツの価値が上がるほど、視聴者がお金を払ってまで見る番組が増えるほど、バラエティのニーズは減っていくことだろう。
いずれ、有料番組としてバラエティを見る人はいなくなる。映画館にバラエティを見に行く人がいないように・・・
我が家では、バラエティは BGMのようにして流れているだけで、誰かが真面目に見ている訳では無い。彼女が「何か番組をつけておけ」と言うから勝手にTV番組を映しているだけだ。数の多さから、そこにたまたまバラエティが入り込んでいるだけ。
バラエティに未来はない。
芸人・タレントの多くは間もなく失業する。その人達のためにTV番組を制作していた関係者とともに。
TV局のビジネスモデルは大きな変化点を迎えていると思う。
単純に考えれば、コンテンツビジネスは、有料配信、VODに帰着すると思う。
今すぐ、無料のTV放送が無くなる事はないだろうが、見るのは昭和を生きてきたジジ・ババだけだろう。
あの人達にこだわりはない。
”選球眼”をもった視聴者から選別・峻別されたコンテンツが、まもなく怠惰で退廃的な粗悪品を駆逐するものと期待する。
それは、あと10年はかからない。