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オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

会議資料は誰が作るのか

 竹中平蔵氏が「正社員をなくしましょう」という趣旨の発言をしたとして話題になっている。

 当然、反対意見を主張する人達がいる。そして、それを言う多くは「正社員」である、と反対意見を批判する人達もいる。

 これに賛否があるのは当然だ。

 竹中氏の思考の詳細は不明であるが、彼は正社員を全く「ゼロ」にすればよい、と考えているのだろうか。

 彼の意見に賛意を示す方々の多くは、「雇用の流動性」「労働者賃金の底上げ」を主要効果、メリットとしてあげている。

 一方で、デメリットの最たるものは「雇用不安」であろう。ライフプランをたてること自体が難しくなるという。

 しかしながら、本当にそれが実現したとして、労働者全員が雇用不安定であれば、それは「不安定」ではない。

 全てのものごとは相対的である。皆が同じ条件であればそれは「不安定」ではない。カオスの中での「安定」なのだ。

 その場合、流動性の中での「一定の秩序」が生まれるものと想像する。

 

 正社員ゼロを求めたくなる人達の根拠は、日本の岩盤規制の一つである「解雇規制」にあると言われる。

 日本は、欧米に比して著しく解雇が難しいのだそうだ。

 確たる根拠はないが、私は少なくとも「欧州で解雇が簡単」であるというのは疑わしいと思っている。

 イングランドはともかくとして、フランスやドイツ、デンマークノルウェーで本当に労働者を簡単に解雇出来るのであろうか?あのパワフルな労働組合を持っていたり、高福祉を謳う国々で…

 

 ともかく、日本の経営者は正社員の解雇が難しいので、その数(雇用数)を予め抑制しておき、足りない労働力を非正規社員で賄おうとする。それが、全労働者の約40%、2000万人超とも言われる低賃金の「社会的弱者」を生み出している、と彼らは主張する。

 だから、正社員をゼロにすれば、正規・非正規間の労務費が均一化され、結果として全体の底上げに繋がる、という理屈。

 この社会、全員弱者だから「公平」なのだそうだ・・・

 

 給与で見れば、正社員>非正規社員、という図式は正しい。その格差の水準と根拠は別にして。

 よって、日本の労働市場における労務費全体が「変わらない」前提であれば、全体底上げは実現するかも知れない。

 しかし、経営者が格差分の「浮いた原資」を労働者賃金に均一配分せず、株主配当に持っていってしまえば、この話はオジャンだ。

 現実性の面では、連合や産別労組あたりが主張する「賃金引き上げが内需拡大を促し、経済成長を誘発する。結果として賃上げは企業業績を押し上げる」との理論と、どっこいどっこい。かなり、怪しい・・・

 

 ところで、本当に全労働者が時間契約労働者の類いになったとすれば、日本の企業で行われているおびただしい数の「ムダな会議」「結論のでない会議」の資料は、誰が期限までに仕上げるのであろうか?

 一般に、会社組織は、その規模が大きくなるにつれて、その役職の数は増えていく。

 係長、課長、部長、本部長、所長、事業部長、XX執行役員等、複雑怪奇に増えていき、その各々の役職単位に調整・連携用の「会議」が必要となる。そして、それ用の資料も。

 一般に、エラい人達は資料を自ら作成しないらしい。

 多くは、その部下達が作成している。徹夜や休日出勤してまで・・・

 非正規社員が、家族や恋人との予定をキャセルしてまで会議資料を作成することは、少し考えられない。彼らが任されている業務内容やその機密度、与えられている決済権限、裁量度から考えても、現実には「役員会議・幹部会議」用の資料の類いの作成は難しいと想像する。

 そして会議資料は、訳の分からない理由により、よく修正指示されるものだ。それも、定時間際や週末に限って。「今日中に修正しろ」と。

 正社員達は、「ハイ、分かりました」と言って、定時になっても帰宅せず、ある時には予定を変更して、黙々と残業で「それ」を修正し、約束させられた時間までに仕上げるのだ。(場合によってはサビ残してまで・・・)

 非正規社員であれば、「定時なので帰ります。修正は明日やります」と言って帰れる。フツーの企業であれば。

 これは会議資料だけの話ではない。

 例えば「今すぐXXを持ってこい!」

 得意先の顧客から求められれば正規社員の営業は、夜中であっても車を飛ばして駈けつける。

 非正規社員であれば、そんなことする必要はない。そんなこと求められるような会社であれば辞めればいい。

 そのときの雇用市場は極端なまでに「流動」しているのであるから、現代とは違い、働き先は他に幾らでもある。無理難題を求めない企業に転職すれば良い。

 会社を構成する人員が役員とアルバイトだけ、というのは案外とファンタジーであり、ユートピアかもしれない。

 

・・・・・・・・・・・

 

 竹中氏の発言を取り巻く議論には「仕事に対する責任」に関する要素が欠けている感がある。

 任せられた業務を完成させるために「自分の時間」を犠牲にしている正規労働者は限りないくらい多くいると思う。

 私は、正規・非正規の賃金格差の理由の一つは「完成責任」を有するか否かだ、と考えている。

 正規社員は、課せられた責任から逃げることは許されない。その一方で、非正規社員に仕事の全責任を求めることは限界がある。

 だから、非正規社員は正規社員である管理者の指揮・命令の元で、比較的責任の伴わない業務を担当してもらう。

 よって、彼らは長期安定雇用ではなく、有期、時間給賃金であり、その時間単価も正規社員よりも低位に設定する。この考え方は責任と報酬のバランスとしては、一定の納得性があるのではないだろうか・・・

 もし、高度な判断と責任が求められるような業務を低水準の時間契約労働者に押し付けるのであれば、それこそ「ブラック」だ(どこかの牛丼屋はこれ)。

 少なくも、非正規社員にそのようなものを期待するのであれば、もっと賃金、福利厚生などで「厚遇」すべきだ。それが経済原理だと考える。

 

 「正社員としての責務」というものは存在する。

 彼らが果たして来た「見え辛い責務」は、正社員ゼロになった社会においては一体誰が果たすのであろうか?

 全労働者が「完全ドライ」に割り切った仕事のやり方をとった場合、その企業は今の競争力を維持できるだろうか? 

 果たして「くだらない会議」のための資料は、閉め切り通りに作成されるだろうか?

 

 年明け早々、私は変な心配をしている。