格差の現実に生きる私たち
小学生6年生の頃、クラスルームで「将来の夢」を皆の前で語る時があった。
自分が何を言ったかは覚えていない。しかし、とあるクラスメイトが言った内容を今でも覚えている。
「僕は、プロゴルファーになって、試合で360ヤードのショットを打つことです」
当時の私は、ゴルフのことは何も知らなかった。しかし、彼が目標としているのが「ジャンボ尾崎」であることだけは何故か分かった。
私は日曜日の午後に、TVでゴルフ観戦をする小学生ではない。しかし、尾崎将司が「飛ばし屋」であることくらいは知っていた。
しかし、当時の小学生で「プロゴルファーが夢」と明確に表明する者がいたことも珍しい。
一般には、当時の子供の夢は「プロ野球選手」だ。「アイドルになりたい」などというハッピーでふざけた輩も皆無だった。
当時の私に「360ヤードはないだろう…」というツッコミは無理だった。そんな知識も経験も無かった。
それから3年たったある時、高校の遠足のレクリェーションの際、ちょっとしたハプニングがあった。
私は、友人と2人でちょっとしたギター演奏とフォークソングを皆の前で披露した。
とあるクラスメートはトランペットの演奏を披露する予定だったらしいのであるが、当日、出番の寸前で焦っていた。
「どうしたの?」
「無いんだ」
「何が?」
「マウスピース」
「・・・?」
彼は、マウスピースを持ってくるのを忘れてしまったため、結局、トランペットのパフォーマンスを披露出来なかった。
当時の私には、「マウスピース」の意味も必要性も理解出来なかった。
今考えると、彼はいいところの坊ちゃん(御曹司)だった。所属するクラブはテニス部。
だから、趣味も「トランペット」
因に、彼は坊ちゃんだったけど、すごく良いヤツだった。
それから、30年後…
私は、とある若い女性と知り合った。
彼女は、自分の考えを明るくハキハキと主張した。頭の回転もすこぶる良い。
彼女は、仲間との歓迎会でサックスの演奏を披露してくれた。素晴らしかった。
彼女は帰国子女だった。両親はカルフォルニアに在住していると言っていた。
凄く優秀で良い子だった。
日本企業への就職にあたって、最初にM菱重工の面接を受けたが落ちたと言っていた。
結果として、私のような凡庸な人間と仕事をすることになったのであるが、私は運命に感謝し、一方で某財閥企業の見る目の無さを感じた。
小学生の頃の思い出にはおまけがある。
何かでクラス一番の成績をとった時、「今日は良い出来だったので家に帰ったらすき焼きだ」と私が言ったら、担任教師が「ゆずの家ではめでたいことがあったら、すき焼きを食べるのか?」と言ったのだ。
私は何故か凄く恥ずかしい気分になり、その後何も言えなかった。自分の家庭が何だか貧しく不憫に見られたと受け止めたからだ。
しかし、それから30年以上経った時、関西(西日本)にはそのような習慣があることを知った。
私はまんざら、おかしなことを言った訳でもなかったが、自身にとって、あまり愉快な記憶ではない。
これらのちょっとした記憶の端々に潜むのは、各人の家庭における経済的格差の存在だ。
出自、育った家庭環境の現実もさりげなく、しかし明確に示している。この事実は、隠しようがないし、隠す必要性も無い。
格差は明確に存在するのだ。そして、今後も無くならない。当たり前だ。
戦後、日本は豊かになった。平成になり、世の中は抜群に便利になった。
しかし、経済格差とそれがもたらす様々な課題は決して無くなることはない。
世界各地で起きている戦争・紛争・テロに、この ”格差” が関係していることも間違いない。
失うものの無い人間の破滅的行動ほど、恐ろしいものはない。
この星に生きる全ての人の目標が「幸せになろう」であればいいのに…
今ほど、STAR TREKに出てくるレプリケータ(Replicator)が欲しいと思った時はない。