無い袖は振るべきではない
サンスクリット語に「マンジュシュリー」という言葉があるそうだ。
「マンジュ」は ”妙” 、「優れたこと」、「シュリー」は "吉祥" 、「めでたい=吉」を意味するらしい。このことから、「マンジュシュリー」を中国では「妙吉祥」「妙徳」と訳するとのこと。
日本ではこれを「文殊」=優れた仏の智慧(ちえ)と言う。一般には文殊菩薩を指している。
文殊菩薩像は、獅子の上に座り、左手に剣を右手に経典を持っている。剣は煩わしい煩悩を断ち切る仏の智慧を、経典はありがたき大乗仏教の教えを象徴するらしい。
何とありがたい菩薩であろうか。
悟りに至る智慧と行動の有り様を私達に指し示して下さっていると言うことだ。
ありがたい仏様であるが、どこに行けば会えるのかは知らない。
さて、もう一方の「もんじゅ」は遂に引導を渡されるようだ。
高速増殖炉の方である。
これまでの総事業費は、建設費5,886億円、運転・維持費4,524億円、総額10,410億円。維持費は平成28年度予算で185億円とのこと。
笑ってしまうのであるが、このプラント、何と固定資産税がかかっている。それも年間12億円。
文科省は廃炉に3,000億円はかかると言っているこの無用の長物に、年間12億円の資産税とのこと。おかしくて、滑稽で、笑いが止まらない。
固定資産税は、”資産価値”があるからかかるのだ。
この放射性廃棄物の巨大な塊に、22年間で250日しか動いていないプラント、それも再利用など不可能な施設に、一体どのような資産価値があると言うのだろう?
廃炉になった暁には、是非とも差し押さえをして頂き、その貴重な資産のあれこれを税務署の人達に持ち帰り頂きたい。恐らく地元の方々もそれを望んでいる。
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「電気事業連合会HP」より
今回の廃炉の方針は、誰が見ても正論であろう。
そんなことよりも、何でもっと速く意思決定が出来なかったのかの方が大問題だ。
これまでに垂れ流され続けた1兆円はもう帰ってこない。回収不能だ。
高速増殖炉の研究は今後も継続すると政府は宣う。そりゃそうだ。今さら「出来ません」とは言えないだろう。
そんなこと言えば、私達が「責任者出てこい!」「1兆円返せ!」と責めるからだ。
政府が止めるに止められない事情は分からんでも無い。しかし、そもそも高速増殖炉なんて本当に実現出来るのか?
「もんじゅ」がたびたびの事故と運用者の不手際により、永らく稼働停止していた経緯は皆が知っている。
そもそもの計画が無理筋だったのではないのか?
劣化ウランからプルトニウムを生成することは、理論上・数式上では出来るのであろうが、それをプラントとして継続的・安定的に実現することは、今の日本の技術では不可能だ、ということではないのか?
この20年間の「もんじゅ」の人生がそのことを物語っている。また、それ以前の「原子力船むつ」の辿った経緯が、この国の政府・国民の智慧の限界を示しているように見えて仕方が無い("むつ" は母港すら持てなかった)。
私達の技術力・運用力では「原子力船」すら、実用化出来ていないのだ。
「もんじゅ」は、粛々とフェードアウトさせるべきだ、と私は思う。
「もんじゅ」の地元福井県では知事をはじめとする関係者が大騒ぎしている。
「研究停止、施設の廃棄はあり得ない」と…
しかし、彼らが指向しているゴールは「夢の再生エネルギー」ではない。
地域経済を支える資金。金だ。
だから、なんやかんや言っても、関係者は最終的には「電源交付金の代替案を示せ」と腹では思っている。
分からないでもない。
しかし、この世に錬金術など存在しない。
敦賀市の住民は「高速増殖炉が実現するかはどうでも良い」「これまでと同じく地域経済を維持さえ出来れば良い」と考えているのだろうか?
高速増殖炉プランは既に破綻している。
そんなものに群がって行き延びようなどと考えない方が良いと思う。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるが、それには続きがあるそうだ。
「三人寄れば文殊の知恵、百人寄っても出ぬは金なり」
無い袖は振るべきではないし、頼るべきでも無い。
文殊の智慧は一体どこに行ってしまったのだ…