技術は流動する
1985年9月、USAニューヨークで行われた先進国中央銀行総裁会議(G5)において政策的ドル安誘導が確認された。この決定は後に会議開催場所にちなみ「プラザ合意」と呼ばれることになった。
ドル安は、日本においては必然的に「円高」を意味する。当時230円程度であった円レートは、88年後半には120円にまで上昇した。
日本の製造業に激震が走る。
輸入する原材料は安価になったが、それでモノを作っても輸出できなくなった。いや、できるが利益を生まなかった。
作れば作るほど「損失」を創造した。
この時期、国内電機産業は半導体製造が絶好調だった。
東芝、日立、日本電気、富士通の各社は、各々の工場に最新鋭、先端技術を備えた半導体製造ラインを有して全世界に輸出していた。その生産量、シェアはUSAメーカーを凌ぎつつあった。
当時、某メーカーの経営幹部は円レートが1円上昇すると、30億円の利益が吹っ飛ぶと発言している。当然、230円→120円/ドルの変化は企業の収益構造に大きなインパクトを与えた。
かくして、電機大手は揃って巨大損失を計上することになる。後日、彼らはこの劇的経済変動を「半導体不況」と呼んだ。
輸出を収益源としていた国内製造業、中小企業の多くが不況に喘いだ。多くの企業倒産が発生した(1986年の企業倒産数は17,476件)。
エコノミスト、評論家、マスコミ、経営団体は、こぞって囃し立てた。
「もはや国内に製造業を保持する意味はない」
「国際競争力保持のため製造業の海外シフトは必然」
「国内の高コスト体質を抜本的に改めない限り製造業は生き残れない」
ちなみに、日本の労働者賃金が「高コスト」になったのは円高による相対的な現象であり、生活者の消費力が上昇したことが理由ではない。
労働者たちは、自分たちの生活が楽になったわけでもないのに、いきなり「高コスト」と言われて憤慨した。しかし、経営者は彼らの賃金(生活費)を「固定費」と呼んで、その抜本的削減を志向していた。
日本の経営者たちは、「CHINA」に目を向けた。
当時の単純比較において中国労働者の賃金水準は日本の1/7と言われていた。
製造ライン、生産拠点の多くが中国に移転した。やがて中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。
この円高不況を契機に、事業構造の「再構築」の名目のもと、多くの生産拠点統合・廃止、移転が行われるようになった。
再構築は本来、re-structure の意味であったがマスコミは「リストラ」という軽薄な和製英語を用いて報道した。
軽薄の論拠。
NHKはリストラの説明として「関連会社に転出すること」と解説した。
巷の酒場では、親父たちは「気の弱いリスのような社員をトラのような怖い上司が首を切る」と揶揄した。
ドラマでは閑職に追いやられることを「リストラ」と表現した。
そこに本来意味の ”structure” 、事業構造の変革との崇高な理念は片鱗もない。
その後、リストラという用語は日本語として異なった意味で定着し、市民権を得る。
この時の、これ以降の海外シフトの潮流は、製造装置だけではなく多くの技術者の雇用を奪い、また匠の技術の流出、喪失を招いた。現在の中国・韓国の産業発展の背景には、日本の製造業、経営者が行った”リストラ”と、その受け皿としての継続的企業努力の歴史がある。
最近、三菱重工が大型客船の造船事業において、巨額の損失を計上したとの報道がなされたが、あれは日本の製造業から「(客船の)造船技術」が喪失されつつある事実の一端を示している。
すでにこの頃から、日本の技術は人・モノとともに「流動化」している、ということだ。
中国、韓国の台頭には理由が存在する。日本の経営者、政治家はそのことを知っている筈だ。
・・・
そして東芝…
見るも無残な状況だ。
タコが空腹を理由に自らの足を食しているように見える。
事業売却の結果、コアとなる技術が何も残らない可能性が見通されている。
半導体事業売却の入札に国内企業が参画していないことから、経団連、経済産業省は「技術流出」を危惧し、産業革新機構を巻き込んだ資本投入を目論んでいるとの報道がなされている。
アホらしい。
今更、何が「技術流出」だ。
製造業の技術力を軽んじ、リストラに励んだのはどこの誰だ?
この国においては、匠の精神は経営者から既に切り捨てられている。
金 >> 匠、なのだ。
金が欲しいのなら、技術ごと売るしかない。で、なければ一体、どこの誰が1兆円も出すというのだ。
「技術」はとっくの昔に流動化している。