オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

未来に対する想像力

 9/25、PM6:00、総理の会見があった。

 私はCMで邪魔されたくなかったので、NHKで記者会見を見ていた。

 「国難突破解散」…

 ???

 解散理由は理解できなかった。

 

 言っていることを聞くと、彼なりの論理(明晰かは別にして)は理解できなくはなかった。特に、高齢者偏重の社会保障制度を全世代型に変えていく、とのビジョンには有権者層の中に共鳴する向きはあるのではないだろうか。

 彼の言う個別のプランに、この場でどうこう言うつもりはない(マスコミがいっぱい書いているので)。

 ただ、公的年金制度に加え、教育無償化、子育て支援等を付加する社会福祉的施策は、北欧では以前から取り組まれているものである。

 それは、それで素晴らしい理念ではあるが、果たしてそれは、本当に日本社会が、私たちが求めていくべきスタイル・システムなのであろうか。そのような疑問が湧いた。

 疑念ではない。

 彼が言っているような社会を、一般市民がリアルに想像したことがあるのだろうか、という素直な疑問だ。

 

 ご存知のように、北欧は高負担・高福祉型の国家だ。

 所得税付加価値税は、突き抜けて高い。ABEの描く社会保障は一見バラ色であるが、その代償を有権者は正しく想像できているだろうか。

 彼のいう ”手厚い” 保証を一時のバラマキではなく、維持・安定運用していくのに、私たちがどのような負担を受容しなければならず、それが前提で成り立っている社会システムがどのようなものであるか、を有権者は本当に理解できているだろうか。

 

 基礎的財政収支(PB)の健全化と社会保障の永続的安定、人づくり・子育てへの手厚い国家補助、そして、ICBMを迎撃できる防衛力と周辺海域を絶対防衛可能な軍事力。これらを実現・維持するのに、今の税収で十分な筈がない。

 全くもって、財源不足だ。

 1000兆円の国債償還のためには、消費税率は25%でも不足だと言っている者(学者/評論家/アホなブロガー等)すらいる中で、上記の政策実現のためにどの程度の規模のアホノミクス的超大型増税が必要であろうか。

 頭がクラクラする。

 例えば、所得税50%、消費税30%の世の中で、現在の購買力を維持できる消費者はどのくらいいるのであろうか。

 その時、その社会では、労働者の生産性、企業の競争力、経済力は現在と同様に維持できているだろうか。

 給与所得の半分以上を税金で天引きされる国民の生活感・労働観を、私たちは今から想像できるか?

 

 ABEが表明した政策を恒常的なものとするのであれば、時の内閣の解散理由のこじつけ・思いつきではなく、真にそのような社会システムが日本に相応しいのかとの国民的論議が必要な気がしてならない。

 欧州には、確かに高福祉国家が存在する。

 しかし、それらは低い税負担で実現されているのはない(当たり前だ)。そして、現地に立ってみれば分かる。

 そこは日本とは全く違う社会だ(当たり前)。

 東京のような街は欧州にはない。オスロコペンハーゲン、ベルリン、どこも東京とは全て異なる・違いすぎる。

 これは、都市機能の集中度だけの問題ではない。社会・経済システム、教育・風習・文化が異なるのだ。

 日本人は本当にあのような国になりたいのだろうか。

 欧州の高福祉国家を悪く言うつもりは全くない。

 日本人が高負担・高福祉を本当に受け入れられるか、と自問しているのだ。

 ABEの言っていることは、単に消費税を2%上げ、5挑円の税収を得ただけで完成するものではない。耳触りは良いが「社会システムの変革」を意味するものだ。

 これには「我々の価値観の変革も同じく求められている」と受け止めるべきだ。

 現状、彼は絵空事を言っており、現状の有権者感覚では、到底選挙の争点には出来ない、すべきではないと考える。

 

 言い過ぎ?杞憂?

 そうかもしれぬ。

 まあ、私がABEが嫌いなだけだ。

 そう。認める。

 小泉政権下で彼が幹事長に大抜擢された時には、こんな感情は無かった。

 この感情は、彼がこの5年間の政権運営の中で私個人に抱かせたものだ。

 彼の人格は総理大臣に相応わしくない。

 「もりかけ」問題を見れば明らかだ。こればかりは議論の余地はない。

 彼が世襲議員であることも、大層個人的不安感に拍車をかけている。

 総理と副総理は揃って世襲であり、偉大な政治家を先祖に持ち、故に自分は名家の政治家として優れていると思い込んでいる節がある。

 少し言い過ぎかもしれないが、あれは「政治的中二病」だと思っている。

 理由は、彼らが有する「何を根拠とするか不明の一方的思い込みの万能感」の存在だ。

 二人を比較すると、万能感はASOの方がより強いかもしれないが、いずれにせよ「俺たちの高邁な思想は、お前ら平民の理解するところではない」と思い込んでいることが言動の節々に出ている。

 これが鼻持ちならない。

 あの人格が信用できない。

 

 一事が万事。

 今回の物事の進め方を見て、彼らが本当に日本の将来を任せられる誠実な人間性を有していると言えるだろうか。言っとくが、これは「他よりマシ」とかいう問題ではない。

 彼は、自分自身が言ったことの真の意味を理解できていない。

 彼には未来に対する想像力が欠けている。

 だから、不適格が結論。

 

 ただ、想像力というのなら、今回の解散の意義については、私たちにも同様に求められている。