旅の行方
SNSが賑やかだ。色々と…。
インターネットの普及により、誰もが自分の意見を世界に発信できるようになったことは本当に素晴らしい。
技術革新。
世界の誰かと、望んだ時に、望んだ方向でコミュニケーションを試みることができる。
本来、私たちは、もう一人ではない、はずだった。
「ネットは広大だわ…」
草薙素子はそう言った。
それが今、現実世界となっている。
AIがネットを闊歩する時代は、もうすぐそこに来ている。
しかし、SNSのネガティブな側面も私たちは十分過ぎるほどに自覚している。
他人への悪意ある言葉の攻撃、タチの悪い嘘、誹謗中傷、果ては脅迫。
匿名であることをいいことに、やりたい放題、悪口雑言を繰り返す頭のおかしい輩が少なからずいるようだ。
先日、「はるかぜ」ちゃんのブログを読んで涙が出た。
誰だ?彼女をあそこまで追い込んだのは。
彼女は何もおかしなことは言っていない。間違っていない。
ネットの中で、大人も子供もあるものか。
芸能人も民間人も発言の自由はある。
運営側の定めるポリシーに反しない限り、自己主張することは許される。それがルールだ。運営がそう決めているのだ。
なのに、彼女の自由意志を踏みにじった奴らがいる。
その中には、いい年こいた大人も相当数いるはずだ。
ネットオタクのバカはともかく、身に覚えのある大人たちは強く反省すべきだ。
匿名であることを傘に、一体何やってんだ。恥を知れ。
とにかく、この一件でSNSに群がるゴミ野郎にほとほと呆れ返った。
彼女には、はるかぜちゃんには、これからも自分の思うように夢を追って欲しい。
私は心の中で応援している。
「あなたは間違っていない」
最近、ツイッターやインスタなどで注目を浴びたいがために、意味不明の行動をするバカが増えて来ているように見える。
たまたま、結果が面白いからアクセス数が増える仕掛けなのに、アクセス数を取るために、わざわざ仕掛けを仕込むという自演・ヤラセが目立って来た。
何がホントでウソか分からなくなっている。
こうなると、ネットはまさに「便所の落書き」と同じ。
そこに、存在価値は僅かに残るが、そこに真理へ近ずくための道は、もうない。
薄汚い情報、ノイズ、ゴミ屑の山。
私は、ゴミを食べるほど情報に窮していない。
誰かとつながる…というネット最大の魅力というメリットより、ゴミを喰らって不愉快になる等、種々のデメリットの方が無視できなくなってきている。
当たり前であるが私は、ネットとの関わり度合いは、自分でそのレベルを決める。
私はスマホ(ネット)依存症ではない。
現に、月に1回はスマホを家に置き忘れて仕事場に行く(一般に、そんなことはあり得ないらしい)。
いつもネットを見ていないと、いてもたってもいられない、という人間ではない。
別に平気。
知りたいことは無限大だし、読みたい本は山ほどある。
ネットを使わずに知識を深める楽しさは知っている。
だって、私が大人になるまでネットは存在しなかったのだから。
そもそも、そんなもん、昭和には無かったのだ。
ケータイが無かった時代、恋人たちはどうやって心を通じ合ったのか?
手紙、だよ。
電子端末は必須ではない。
私は異常ではない。
私に言わせれば、皆がどうかしているのだ。
何がそんなに面白いの?
わかりません。
色々と思うところはあるが、要するにSNSはそろそろ潮時ではないか、ということ。
いずれ、SNSの自由度というものは社会的に抑制されていくものと思っている。
自分の正体がバレなければ何をしてもいい、という愚か者がこれだけ大量に出てくれば、運営側が事態を放っておける訳ないだろ。
まさか、某国のような個人情報や発信を国家が管理するようなことはないであろう。
しかし、SNSの(ある程度の)健全性を維持するために、AIを使ってでも発言を制約する時期はすぐにやって来る。
人間を使っての言葉狩りは、工数的・処理能力的に無理があるが、AIなら容易い。
いずれ、バカどもは、自らの行為ゆえに、そのバカさ加減を発揮する場を失うだろう。
そうすると、彼らは、自らの肥溜めのような腐った精神論のはけ口を、他に探し求めるようになる。
しかし、そんなものはこれからは無い。
精神的クズは、所詮、相手にされなくなる。リアルでもネットでもだ。
自業自得。同情なんてしない。自らの愚かさを恨め。
ネットは恐らく、今が一番自由だ。
これからは統制されていく。
何故?
言論を自由にしておくことの利得の問題。
デメリットが多ければ自ずと淘汰されるのがこの世の常。
国家が統制するのは問題であるが、運営側がやるのは今度は社会的要請・責務になる。
だって、色んな差別・偏見・暴力を放置しておいていい訳ないだろ。
社会の摂理だ。
人はそちらに向かう、と思う。
今、他人に対し言葉の暴力を行使している者たちは覚悟せよ。
しかし、それはお前たちが導いた終末世界だ。
そういう私も「はてブ」を何年もやっている。
ブログはそもそもは「日記」だ。
個人で何を書こうが自由のはず、だった。
しかし、見ず知らずの私に対して、内容について色々と非難の意見を口汚く飛ばして来る無礼者も中にはいる。
最近は「コメント」はクローズしている。
私は自分の思ったことを書いているだけで、評論は求めていない。
少しでも誰かの参考になる情報を話題に包含するよう意識はしてきたが、見る人によっては「上から目線」「自慢話」「マウント」になることもあるらしい。
知らねえよ。そんなこと…
じゃ、何、書けばいいんだよ。
そもそも、誰のために書くのだ?
これ、日記だぞ?
そう、潮時なのだよ。
私がこのブログを書く理由も、そろそろなくなって来ている。
所詮は日記。
いつ辞めるのも自由のはずだ。
旅の終わりは、此処かもしれない…