旅の行方
SNSが賑やかだ。色々と…。
インターネットの普及により、誰もが自分の意見を世界に発信できるようになったことは本当に素晴らしい。
技術革新。
世界の誰かと、望んだ時に、望んだ方向でコミュニケーションを試みることができる。
本来、私たちは、もう一人ではない、はずだった。
「ネットは広大だわ…」
草薙素子はそう言った。
それが今、現実世界となっている。
AIがネットを闊歩する時代は、もうすぐそこに来ている。
しかし、SNSのネガティブな側面も私たちは十分過ぎるほどに自覚している。
他人への悪意ある言葉の攻撃、タチの悪い嘘、誹謗中傷、果ては脅迫。
匿名であることをいいことに、やりたい放題、悪口雑言を繰り返す頭のおかしい輩が少なからずいるようだ。
先日、「はるかぜ」ちゃんのブログを読んで涙が出た。
誰だ?彼女をあそこまで追い込んだのは。
彼女は何もおかしなことは言っていない。間違っていない。
ネットの中で、大人も子供もあるものか。
芸能人も民間人も発言の自由はある。
運営側の定めるポリシーに反しない限り、自己主張することは許される。それがルールだ。運営がそう決めているのだ。
なのに、彼女の自由意志を踏みにじった奴らがいる。
その中には、いい年こいた大人も相当数いるはずだ。
ネットオタクのバカはともかく、身に覚えのある大人たちは強く反省すべきだ。
匿名であることを傘に、一体何やってんだ。恥を知れ。
とにかく、この一件でSNSに群がるゴミ野郎にほとほと呆れ返った。
彼女には、はるかぜちゃんには、これからも自分の思うように夢を追って欲しい。
私は心の中で応援している。
「あなたは間違っていない」
最近、ツイッターやインスタなどで注目を浴びたいがために、意味不明の行動をするバカが増えて来ているように見える。
たまたま、結果が面白いからアクセス数が増える仕掛けなのに、アクセス数を取るために、わざわざ仕掛けを仕込むという自演・ヤラセが目立って来た。
何がホントでウソか分からなくなっている。
こうなると、ネットはまさに「便所の落書き」と同じ。
そこに、存在価値は僅かに残るが、そこに真理へ近ずくための道は、もうない。
薄汚い情報、ノイズ、ゴミ屑の山。
私は、ゴミを食べるほど情報に窮していない。
誰かとつながる…というネット最大の魅力というメリットより、ゴミを喰らって不愉快になる等、種々のデメリットの方が無視できなくなってきている。
当たり前であるが私は、ネットとの関わり度合いは、自分でそのレベルを決める。
私はスマホ(ネット)依存症ではない。
現に、月に1回はスマホを家に置き忘れて仕事場に行く(一般に、そんなことはあり得ないらしい)。
いつもネットを見ていないと、いてもたってもいられない、という人間ではない。
別に平気。
知りたいことは無限大だし、読みたい本は山ほどある。
ネットを使わずに知識を深める楽しさは知っている。
だって、私が大人になるまでネットは存在しなかったのだから。
そもそも、そんなもん、昭和には無かったのだ。
ケータイが無かった時代、恋人たちはどうやって心を通じ合ったのか?
手紙、だよ。
電子端末は必須ではない。
私は異常ではない。
私に言わせれば、皆がどうかしているのだ。
何がそんなに面白いの?
わかりません。
色々と思うところはあるが、要するにSNSはそろそろ潮時ではないか、ということ。
いずれ、SNSの自由度というものは社会的に抑制されていくものと思っている。
自分の正体がバレなければ何をしてもいい、という愚か者がこれだけ大量に出てくれば、運営側が事態を放っておける訳ないだろ。
まさか、某国のような個人情報や発信を国家が管理するようなことはないであろう。
しかし、SNSの(ある程度の)健全性を維持するために、AIを使ってでも発言を制約する時期はすぐにやって来る。
人間を使っての言葉狩りは、工数的・処理能力的に無理があるが、AIなら容易い。
いずれ、バカどもは、自らの行為ゆえに、そのバカさ加減を発揮する場を失うだろう。
そうすると、彼らは、自らの肥溜めのような腐った精神論のはけ口を、他に探し求めるようになる。
しかし、そんなものはこれからは無い。
精神的クズは、所詮、相手にされなくなる。リアルでもネットでもだ。
自業自得。同情なんてしない。自らの愚かさを恨め。
ネットは恐らく、今が一番自由だ。
これからは統制されていく。
何故?
言論を自由にしておくことの利得の問題。
デメリットが多ければ自ずと淘汰されるのがこの世の常。
国家が統制するのは問題であるが、運営側がやるのは今度は社会的要請・責務になる。
だって、色んな差別・偏見・暴力を放置しておいていい訳ないだろ。
社会の摂理だ。
人はそちらに向かう、と思う。
今、他人に対し言葉の暴力を行使している者たちは覚悟せよ。
しかし、それはお前たちが導いた終末世界だ。
そういう私も「はてブ」を何年もやっている。
ブログはそもそもは「日記」だ。
個人で何を書こうが自由のはず、だった。
しかし、見ず知らずの私に対して、内容について色々と非難の意見を口汚く飛ばして来る無礼者も中にはいる。
最近は「コメント」はクローズしている。
私は自分の思ったことを書いているだけで、評論は求めていない。
少しでも誰かの参考になる情報を話題に包含するよう意識はしてきたが、見る人によっては「上から目線」「自慢話」「マウント」になることもあるらしい。
知らねえよ。そんなこと…
じゃ、何、書けばいいんだよ。
そもそも、誰のために書くのだ?
これ、日記だぞ?
そう、潮時なのだよ。
私がこのブログを書く理由も、そろそろなくなって来ている。
所詮は日記。
いつ辞めるのも自由のはずだ。
旅の終わりは、此処かもしれない…
2018年を振り返って
年末なので私的に1年間を振り返ってみる。
10大ニユースという訳ではないが人生の備忘録として(「はてブ」自体が備忘録であるが)。
1.ハワイ旅行
31年ぶりのハワイ旅行ができた。
娘夫婦の結婚式兼新婚旅行だ。私と妻の願いを叶えてくれた娘夫婦に心から感謝したい。
やはりハワイは素晴らしい。
両家ファミリーでの旅行は一生の思い出になった。
ちょっとした事情で会社から寸志を頂いたので、それでカシオのG-SHOCK35周年モデルを購入(妻には海外でも使える電波時計が必要だからと説明)し、休暇をこの旅行に充当した。
たまたまであるが、タイミングに恵まれた。
妻は「絶対にもう1度行く」と言っている。よほどゴルフが楽しかったのか…
彼女は有言実行タイプだ…。どうする?どうなる?
2.TDL
随分と長らく行っていなかったのであるが、久しぶりにTDLに行った。
孫の誕生日祝いが名目。
そうでもなければ私は行かないだろう。並ぶのは大嫌い。
妻に確認したら13年ぶりじゃね?と言われた。そう言えば、以前は入場ゲートの前にホテルは無かったし、モノレールも走ってなかった。この10年でTDLも進化したと言うことだろう。
息子が良いことを言っていた。
「TDLは誰と来るかで楽しさは決まるんだよ」
確かにその通りで、娘夫婦が子供を連れて楽しそうに歩く姿を見て、私は満たされた気分だった。自分本位でなくとも夢の国は素晴らしい。
妻「ねっ、来て良かったでしょ」
私「うん。」
妻「幸せでしょ」
私「そだね〜」(流行語大賞)
因みに、息子の嫁は彼が言うに、TDLマイスターらしい。
3.暑い夏
何で最近の夏はこんなに暑いんだろう。地球温暖化の影響?なら、温暖化じゃなくて灼熱化じゃん。
いくら何でもこの暑さは異常だ。
東京オリンピックのことも心配であるが、それより自分の夏通勤が続けられかが問題だ。もうこんな気候、ついて行けません。
一方、暑気払いについてはブログにも書いたが「プレ金:銀座ライオン」はお勧め。
実はもう一つ夏に試したものがある。
ファミマのスイカアイス(商品名は忘れました)。
が、美味しくなかったです…。
4.企業不祥事
検査データの改ざんなど、世間を騒がせていた不祥事は、年末のカルロス・ゴーンの逮捕でトドメが刺された。
彼には大好きな日産を救ってもらった自動車ファンとしての恩義と経営者としてのリスペクトがある。結末を見守るしかない。
報道が事実であれば、彼は単なる金の亡者だ。
そんな結末は悲し過ぎる。
5.政治家と官僚の堕落
「もりかけ」…だけでは無い。
今や、公文書さえ偽造されている。政府広報は信用できない時代になった。では、何が信用できる?
自分で算定したものだけだ。
著しい不効率。
ウソで居直っても総理大臣を辞めなくてもいい国。
暴言を吐き続け、人格を蔑ろにしても副総理の座を追われない国。
道理を外れても出世できるなら、それに従う役人がいる国。
それを何ら咎めようとしない国会議員とかいわれる俗物達。
それを止められない私達…。
子供の頃から、政治家はずるいというイメージを持っていた。
大人、いやジジイになった今、それは現実となっていた。
とんでもないことだが、責任は私たち国民にもある。
6.災禍
豪雨、地震…。
今年は、自然災害が目立った印象だ。
しかし、振り返ってみると災害がなかった年って、無いのかもしれない。
いつも、何がしかの災禍がこの国にはある。
私たちがやるべきこと。
それは、備えと支え合い、だと思う。
自分だけは…と思うのは本当の愚か者だ。
7.若者たちの飛翔
サッカーW杯や冬期オリンピックでの若いアスリート達の活躍が目立った。もちろん、MLBの大谷君もだ。
この国の社会は、変えなくてはいけないシステム・制度が色々とある。その中には、本来一流の力を有するアスリート達の障壁となっているものも少なくないと思っている。
スポーツ先進国にはない、くだらない制約。
彼等は本当に立派だと思う。
こんなくだらんしがらみや、訳分からんルールだらけの環境で、あそこまでのパフォーマンスを出したのだ。
私たちジジイがやるべき事は賞賛以外にもある。
彼等のメンタリティを見習う事と制約を取り払う事だ。
8.退位
平成という元号が終わる。
が、時代の節目、とは私は思っていない。ひとつの時代が終わるとも思っていない。
2018年と2019年は連続している。
それを平成最後の云々といって、わざわざ大袈裟に話題作りにしたいのは、マスコミではないのか。
だが別にそれは構わない。
また、平成最後を名目に色んな勇気を出す事は大いに結構。想っていた人に告白なんていいんじゃない?大賛成。
ものごとには、勢いも必要。
個人が節目を活用することは今上天皇もお喜びになると想像する。
そう、そういうお人柄の王様を持っていることが私たちの誇り。
与党保守系の連中の元号に関連する一連の言い分は私には理解不能だ。
あいつらこそ、天皇を政治利用(私利)しているように私には思える。
国民に対し、現代日本の皇室のあり方を明確に実証してくれた尊い方。
終わるのは、その方の身分の置き方であって、時代が終わる訳ではない。
あの方の想いは続くのだ。
9.梅
「飛梅」を書いて以降、梅干しをよく食べている。
おそらく、これまでの人生で最も梅干しを食した1年だったと思う。本当に美味しい。
来年も小田原の梅林に行こうと妻を誘っているところだ。
ただ、妻からも医者からも「塩分取り過ぎ」と言われており、梅干しについては悩ましい限りだ。妻がつけている梅酒も気になるのに。
今年の健診で血圧の高さを指摘された。初めてのこと。
年齢もある。
しかし、食生活で「塩分高め」であった事は事実。
飲酒を含め、生活習慣を変えないといけないようだ。
年をくって、少しものごとが分かるようになったら、今後は自制の時期。
ああ、切ない…
10.家族
長男が入籍し、2人の子供が自立した。
親の役割の一定部分を終え、満足感と何か寂しい気分を味わった年だった。
我が家には嫁さんが加わった。
いつか、新たな一員を見せてくれると思う。
娘の結婚式は、入籍後1年と少し後になったが、一方で孫娘を伴った旅行は素晴らしいものだった。
新たな家族を迎え、ありがたい私生活を送っている、と自覚した年…。
あと、もう少し生きていたら、もっと新しい家族を迎えることが出来る。
それを励みに、元気よく生きていこうと思う。
全ての人にそれぞれの幸あれ。
市民革命の歴史
戦う者の歌が聞こえるか
鼓動があのドラムと響き合えば
新たに熱い生命がはじまる
明日が来たとき そうさ明日が
列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに明日がある
戦え それが自由への道
・・・
悔いはしないな たとえ倒れても
流す血潮が潤す祖国を
屍超えて開け明日のフランス
ミュージカル「レ・ミゼラブル」で合唱される名曲「The People's Song」(民衆の歌)の一節。世界的な大ヒット作を代表する感動的な楽曲である。
「屍超えて開け、明日のフランス」という歌詞が大変印象的で記憶に残る。
当初、この歌を聴いたとき、アンジョルラスやマリウス達がバリケードの中で一体誰と戦っているのか、私には分からなかった。その知識は無かった。恥ずかしながら。
少なくともフランス革命が舞台でないことは分かっていた。
最近、この国の情けない政治状況、社会情勢を見ていて、この名作の時代背景を知ることが、我々、日本人にとって重要な意味があることに気がついた。
この頃のフランス史を少しだけなぞってみたい。フランス国民が自由・市民権を勝ち得るまでの永い道のりの一端である…
ビクトル・ユゴーが「レ・ミゼラブル」を発表したのは1862年。これはフランス史ではナポレオン3世による第2帝政期であり、物語の舞台はそれより少し以前、所謂ウィーン体制下の1815年からはじまる(ジャンバルジャンの出獄と司教との出会い)。
1789年、バスティーユ牢獄の襲撃から始まったフランス革命は、議会による封建的特権の廃止と人権宣言の採択により一応の戦闘集結をみた。1791年には憲法が制定される。
それまで憲法制定を求める議会を武力弾圧していたのはルイ16世、これに反旗を翻したのは「第3身分」と呼ばれた人々である。
当時のフランスの「アンシャン・レジーム」と言われた社会は、第1〜3の身分制度から成っていた。
トップのルイ国王の下が第1身分の聖職者、約10万人、人口の0.4%。次が第2身分貴族、約40万人、1.6%。最下層が第3身分いわゆる平民、約2450万人、98%である。第1、2身分は特権階級で官職独占、土地所有権・年金支給資格を有するが免税。第3身分は営業の自由がなく参政権なし、しかし納税義務があった。
2%の特権階級が全ての権力を持ち社会を支配していた。
パリの市民が蜂起した理由は凶作によるパンの値上がりにある。パンを求めてヴェルサイユ宮殿に行進する主婦達の列は数千人を超える規模であったという。
「パンがなければケーキを食べれば良いじゃない」
本当にマリー・アントワネットがそう言ったのかは知らない。
しかし、現代日本ではジョークで使われるフレーズが、当時の特権階級の意識レベルと政治能力を強烈に揶揄している。
もちろん、このことは単なる引き金・きっかけであり、パリ市民達はそれまでの永きに渡る圧政・暴政・無策に耐えかねたのだった。
革命後の1792年9月20日、国民公会が招集され王政廃止と共和制の樹立が宣言される。
これにより、めでたく市民による革命は完結し、フランスは市民が議会を運営する立憲民主国家として変質を遂げた…のでは無かった。
その後、議会は急進派により牛耳られおかしな方向へ突進していく。
共和制の開始と王家の存続は別問題としていたはずが、ここに来てオーストリア王家との秘密書簡の存在(謀議?)をたてに、国民公会にてルイを裁くべしとの意見が明確に主張される。
「ルイの処刑なくば共和制は幻だ」
時間が経つに連れこの意見に議会は押され傾いていく。
1793年1月21日、議員投票における結果は、361票対360票というものだった。1票差!
ルイ16世は、ギロチンの露と消えた…
妻のマリー・アントワネットも10月16日に処刑される。
共和制は王家の廃止(処刑)により、めでたく正真正銘の純血民主政治体制に進化したかと言えばそうでもなかった。
物価の上昇は止まらない。社会不安はかえって増大し続けた。その結果、議会は急進改革的な勢力により独裁方向に傾く。
やがて「恐怖政治」が始まる。
1794年6月10日、国民公会にて「革命の敵を根絶するために裁判を迅速化させる法案」(プレリアル法)が可決される。
裁判における物的証拠は不要、犯罪刑は簡素化されギロチン(死刑)のみ。しかし、犯罪の範囲は恣意的に拡大された。この時に創設され、制度を維持・執行した組織が公安委員会、保安委員会、革命裁判所である。
このトンデモ法の犠牲者・対象者は、宣誓拒否聖職者、外国(恐らくオーストリアやプロシア)との密謀・共謀者、穀物の買占め業者、反乱参加者等であったらしい。
ギロチン直行は約17000人、監獄行きは約50万人であった(凄…)。
現代のフランス国民が国家・制度をあまり頼りにしないことがよく理解できる黒歴史である。
またこの時期は、イギリスがロシア・プロイセン・オーストリアと同盟を結びフランスに宣戦を行なっており、フランス革命には王政国家の露骨な干渉が行なわれていた。
この混乱期に颯爽と現れた軍事家・政治家がナポレオンである。
ナポレオンは政府を武力打倒し統領政府を樹立、ナポレオン法典を公布し皇帝の地位に就く(1804年)。ここにフランス革命は完全終結し「帝政」が始まる。
これは王政復古ではないと歴史上解釈されている。
人権宣言に謳われた法の下の平等や個人の思想や信仰の自由が法典に継承されていたからだ。ただ、ベートーベンはこれを共和制の否定と捉え、皇帝への「シンフォニー3番」の献呈を取り下げている。この辺り、フランス史は複雑だ。
その後のナポレオンの活躍は有名。
彼がセントヘレナ島に流れたのは1815年10月。従者は将軍・医者・秘書など15名であったという。
さて、邪魔者ナポレオンがいなくなって欧州王達は新たな社会秩序を模索する。もちろん、それは市民革命などではなく王政による国家運営である。
ウィーン会議は、1814年9月18日開催された。そして王族・貴族達は来る日も来る日も舞踏した。次の年の6月9日まで。
恥ずかしい内容で批判にさらされるこの会議であったが、考えてみれば欧州連合の素地は既にこの頃出来上がっていた訳であり、最初から王立連合国家を目指していれば世界大戦は避けることが出来ていたのかも知れない。
しかし、歴史に if はない。
ウィーン議定書の内容は、各国の領土線引きが種々なされているが、フランスにおいては、
①1792年当時の領土に戻す(ナポレオンの占領地を返還)、②旧王家の復活
が主なもの。
これは革命の否定、後戻りである。
時計の針は30年戻され、フランスで王政復古が実施された。
欧州諸国は、市民革命を警戒・抑制するため神聖同盟、四国同盟(後にフランスも参加し五国同盟)を締結する。これは、どこかの国で市民革命が勃発すれば各国が軍事介入しそれを抑えるという意味合いがあった。
立憲民主主義への道は遠い。
ルイ18世の即位により名門ブルボン王朝は復活した。しかし、王政は長くは続かない。
その後、王となったシャルル10世は貴族・教会偏向の旧態政治を進め、それに反発する議会を解散した。しかし総選挙に敗北すると選挙法改悪、事前検閲復活など、言論・出版統制の勅令を出した。
この暴挙にパリ市民は爆発、工場の閉鎖、労働者・学生による街頭デモを行った。これに対し軍隊が発砲、双方が交戦し流血の事態になる。
市民は街灯を破壊し夜の暗闇の中、軍隊への襲撃を繰り返した。
(この辺りの状況は「レ・ミゼラブル」公演を連想させる)
大規模な市街戦に発展したが、1830年7月29日、市民はパリを完全掌握しブルボン王朝は崩壊した。
この戦闘は「栄光の3日間」と言われ、欧州各国に自由主義運動として飛び火し、ウィーン体制を弱体化させる。
歴史はこれを「7月革命」と呼ぶ。絵画「民衆を率いる自由の女神」はこの革命を描いたものとのこと。
しかし、これで王政が終わった訳ではない。ルイ=フィリップ公の即位により王政は継続された。
フィリップ王は、神聖同盟を脱退しウィーン体制からの脱却を示したが、政策が露骨な銀行家・大資本家優遇のものであったため、労働者の支持を受けることはできなかったらしい。政治・社会は未だブルジョア階級に実質的に支配されていたのだ。
そして、お決まりの愚行、言論・出版の自由侵害、普通選挙を求める市民の声の圧殺、そのための政治集会の弾圧等、フィリップは過去の為政者達と同じ過ちを繰り返した。
やがて、1848年欧州に未曾有の事態が訪れる。
悪政にブチ切れたパリ市民のデモはやがて騒乱に発展、フィリップ王を退位に追い込み革命となる。この革命は「2月革命」と呼ばれる。
この革命は、欧州における民衆のそれまでの社会システム(王政)への不満を爆発させる起爆剤となり、ムーブメントはオーストリア、プロイセン、ハンガリーへと波及した。
やっぱり王政ではダメだ。社会主義こそが我々を救う道だと欧州の人々は考えたのだろうか。マルクスが共産党宣言を出したのはこの年の2月である。
フランスは、2月革命により共和制に再び戻る。ようやく自由選挙も実施される運びとなった。しかし、これで現代のフランス政治体制が出来上がった訳ではない。
この後も、ナポレオン3世による第2帝政(1832〜1870)→第3共和制(1875〜)を経て世界大戦を迎えている。それまでは長らく社会主義政権であったようだ。
話を「レ・ミゼラブル」に戻すとアンジョルラスやマリウス達によるバリケードでの戦いは1832年の政変以降の話のようだ。7月革命から2月革命の間とういう事だろうか。
彼らは、「自由」を求めて王政と戦っていたのだった。
『悔いはしないな たとえ倒れても 流す血潮が潤す祖国を 屍超えて開け明日のフランス…』
何という市民革命の永い歴史であろうか。
何という民衆の力、自由への行動力。
自分たちの権利を勝ち取るために、社会変革の原動力を全て国民の血で贖ってきたとも受け止められる。
彼等が求めたものは、議会による国政、そのための普通選挙の実施、それを維持するための言論自由だ。
そこは極めて一貫している。
彼らの歴史の前では、我々日本人は幼稚だ。
デモをやらない。
ストもやらない(何とやったら民衆が文句を言う)。
休みを取らずに働き続ける。搾取されっぱなし。
嫌なら憲法に保証されているように自由に職業を選べばいいのに辞められないと言う。
挙句、命を落とす労働者がいる。
言論の自由に当事者(マスコミ)が興味ない。サロンを作って政府広報をやっている。
国民も新聞もお上が間違っても文句は言わない(いや、金(株価)のために何でも支持している)。
一例…
・立憲主義を政府最高責任者(首相)が知らない(無知が罪ではない)。
・議会を勝手に自分の都合(論理的理由なし)で解散する。
・国会で嘘をつく(やってません、会ってません、辞めます、丁寧にします、寄り添います、以下キリがない)
・国民との約束を守らない(新たな判断と詭弁を垂れる)
そして、国民の半数は選挙に参加しない。
世論調査結果の1/3は「わからない」だ。
今の我々は、社会を変えるための努力を全くできていない。
改めて考えてみる。
私たちは、政治に無関心である事がクールと捉え、法治国家だから権利は保証されると盲信することを「未熟な思考」として、認識する必要があるのではないか。
欧州の歴史を踏まえた上で、この国の政治・社会情勢を正常に判断できているのだろうか?
今、フランスの彼の地では市民によるデモが激しく行われている。
燃料増税への反発が直接原因と言われているが、マクロン大統領は
「(軽油やガソリンを買うお金がなければ)電気自動車を買えばいい」
旨のことを言ったそうだ。
マクロン氏は、自国の革命で散ったハプスブルグ家出身の王妃の最後を学校で習わなかったらしい。
彼も我々も、民衆を冷笑している場合ではないのだよ。
PIZZA-LAクイズ
今日、お客さん(娘と孫)が来たので珍しくピザの出前を取った。
と言う訳でクイズです。
以下のクォーターピザの商品名を当てて下さい。
ちなみに我が家の女たちは、どれがどれか分からない、本当に注文したものか?などと楽しそうに騒いでました。
4種類を4つ注文したら16種。結局、訳分からなくなり、届いたものが正しいのかどうか判断出来なかったと言うオチです。
でも、16種類、美味しかったよ。
これ、一見すると全部同じだよね。
一応、商品名のタグは付いていたらしいけど「何だか違う!明太子が入ってない!」「お餅はどこ〜?」とか言って騒いでました。
あ〜、楽しかった。満腹。
小さな世界、ふたたび
世界は一つ…
彼女らのいないステージ
年末のNHK紅白歌合戦の出場歌手が発表された。
この番組については、既に言及したことがある。
↓
http://blog.hatena.ne.jp/azuyuz/azuyuz.hatenablog.com/edit?entry=12704830469097221733
なので、くどくどと愚痴るつもりはない。
しかし、この番組企画(出場歌手選定)の馬鹿さ加減がどうしても我慢ならない。
その極め付けの根拠を最後にもう一つだけ挙げておく。
なぜ、昨年、kalafina を選抜しなかったのだ?
彼女らのNHKへの貢献は絶大だ。言うまでもないだろう。
昔のヒット曲やつまらんメドレーしか持ち歌のない歌手ではなく、彼女達こそが昨年出場すべきだったのだ。
しかし、もう遅い。
kalafina はもういない。
j-castの取材によると、出場歌手の選抜基準は次の3つだそうだ。
「今年の活躍」「世論の支持」「番組の企画・演出」
NHKはアホか・・・
17条憲法と民主主義
17条憲法の内容。
・仲良くする(殺し合いで天皇を決めるのはやめよう)
・仏教徒になれ
・礼儀正しくせよ
・訴訟は公平に裁く
・勧善懲悪を徹底する
・皆、ちゃんと仕事をしろ
・会社には早く出社してとっとと帰れ
・信を義の根本とせよ
・怒るな
・公務員は業績評価とすること
・ 国民から税を不当に取らないこと
・ 役人はプロフェッショナルであるべき
・ 他人を嫉妬するな
・ 私心を捨てよ
・ 事業に国民を動員する際は時節を踏まえよ
・ 独断ではなく議論して決めろ(勝手に合戦を始めるな)
これを制定したとされる厩の皇子は、推古天皇の強烈な推薦により摂政に就いたわけであるが、その天皇自身は蘇我馬子の崇峻天皇謀殺によりそのポジションを得ている。
当時、朝廷に相当に血生臭い政権争いがあったことは疑うべくもない。
それらの諸事情を踏まえるとこの内容は、憲法というよりも、むしろ当時の官僚達にむけた訓戒と受け止めるほうが正当であろう。
この当時の政治事情を勘案した場合、いやそうせずとも、いかなる曲解をもってしても、この17項目を「民主主義の定義」と捉えることは、一般的知能としてはあり得ない解釈だ。
デモクラシー(Democracy)の語源はギリシア語のDemokratiaと言われているが、「権力は人民が行使する」との由縁が、我が国の公務員向け通達「17条」にどう関係するのか、発言者は理論的な説明をするべきであろう。
最近、「保守」を気取った政治家に救いようもないバカが多いのは気になる。彼ら、学校に行ってたのか?
憲法のルーツ
マグナカルタは、貴族階級の人たちが当時の国王(ジョン王)に圧力をかけ、憲章への署名を強制した結果のものだという。よって、憲法のルーツと言われるものは「市民革命」によってなされたものではない。
貴族達が自分達の身分保障のために作ったものとも言える。
その内容は概ね以下のようなものらしい。
①教会に介入しないこと
②勝手に税金・負担金を課さないこと
③裁判を公正に実施すること
④都市、商業の特権(ロンドンでの商売の自由)に関する規定
⑤地方官の職権乱用防止
⑥狩猟に関する弊害除去
⑦人質の返還、当面の苦情処理
⑧以上のルールを順守するために25人の貴族による監視委員会を設けること
この憲章は、1215年6月テムズ湖畔ラミニードに参集した貴族達によって作成された条項が元になっているが、16年、17年に改定され、その後の40回以上に及ぶ追記・改定・整備が行われているという。
マグナカルタは、イギリス憲法の原典と見なされているが、その内容は実に封建的文書であるとのこと。
上記①〜⑧には ”主語” がないが、相手は紛れもなく「国王」、封建時代の絶対権力者である。
つまり、独裁者の独断専行を”制限”したものなのだ。
それから400年が経過した1628年…。
イギリス議会は、国王チャールズ1世に貴族および庶民の権利と特権を謳った11項目からなる要求を「請願」という形で行った。
これは「権利の請願」(Petition of Rjght)と呼ばれている。
詳細はよく分からないが、
・国王が借入金の名目で人民から金銭を巻き上げたこと
・これに応じないものを勝手に投獄したこと
・兵士を一般市民の家に宿泊(民泊)させたこと
・通常の法によらず軍法会議を乱用し処罰を行ったこと
等を非難し禁止する旨のものだったらしい。
これもマグナカルタと同様に、時の支配者、絶対王の専行に”制限”を加えるものである。
イギリス議会の上下両院は2ヶ月間に渡りこの請願文書を討議したそうだ。
上院は王様の味方(特権階級)、下院は国民代表である。各々が法律の専門家を国会に招聘し激論を交わしたと歴史の教科書にはある。
王様側は下院側を何とか懐柔し「王の主権維持」を記した妥協案を通そうとしたが、それは通らず結果として、両院議員、王様出席の議会において請願と全く同じ内容の法案が裁可された。
「お願い」は法律となった。
それからさらに61年後。1689年…
「人民の権利と自由を宣言し王位継承を定める法律」(Bill of Right)が制定される。
その内容は、次の禁止事項である。
・王権により国会の承認なしに法律の効力を停止したり執行を停止すること
・教会のトラブル処理に従来の機関(宗務官裁判所)とは別のものを設置すること
・王の権力を笠に国会の承認なしに金銭を徴収すること
・国王の請願により収監、訴追すること
・平時に国会の承認なしに軍隊を常設すること
そして、追記された承認事項。
・国会議員の選挙は自由に行わせること
・国会内での言論の自由を尊重しこれを非難しないこと
これらの条項は「権利章典」と呼ばれているが、前代の王様であるジェームス2世の数々の愚行を踏まえ、議会が王位継承者であるウィリアム3世に戴冠の条件として差し出したものである。
因みに、権利章典にはウィリアム3世が死んだ後の王位継承順位についても詳細に定めてあるとのこと。当時、絶対権力者の横暴とその権力継承に国民が如何に苦労を強いられていたかが伺われる。
この章典は、成文憲法が存在しないと言われるイギリス政治の中で、最もそれに近いと解釈されているものであり、多くの国々に文化的・政治的輸出がなされた。
条項の多くはアメリカ連邦憲法、州憲法に取り入れられたと言われるが、事実として制定されたのは、1776年6月12日、ヴァージニア州憲法制定議会が初めてである。この年、アメリカの13州は独立宣言を発した。
ピューリタン達が自らの権利を国王に主張してから、およそ150年後、移民の子孫達が新大陸にて民主主義の遺伝子を開花させたのだった。
このムーブメントは止まらない。
アメリカの独立戦争は、それを支援したフランスの国体自体を揺るがすリバウンドを起こした。
絶対主義は終焉に向かっていた…
ボ〜ッと生きてんじゃねえよ!
それを見て驚いたことがある。
サマータイムの賛成比率だ。何と31%もの人が「賛成」と意見表明しているのだ。
反対は55%いるので大勢は「反対」ではあるが、それにしても3割以上の人たちが肯定的であるのだ。これは怖い。
日本でサマータイムが効果を上げるとは到底考えられない。想像ができない。
例えば、30分の早起きが出来ずに、毎朝、駅で駆け込み乗車をする輩が大量に存在する社会で、2時間の時間(時計)ずらしが上手く働くか?
プレ金すら活用されていない現状で、終業後の余暇活用が図られるとお思いか?
経済効果が本当にあると想像できるか?
サマータイムを支持する層(30%)って、一体何を考えてるんだ?
体内時計を2時間もずらすって、めちゃくちゃしんどいぞ!
若い人は、ともかくジジイ、ババア含めて大丈夫か?
朝7時に家を出る人は、恐らく6時には起きているはず。
サマータイムになればこれは4時起床になる。
一方、夜は23時就寝なら21時に寝床に入ることになる。
本当にそれがスムーズにできるのか?
皆、朝準備の余裕がなくて、駅に駆け込んで、朝飯は電車の中でおにぎりを食ってるんじゃないのか?
そもそも、18時に帰社出来ない小心者が、16時に会社を出られるか?
そして、そっから友人誘って遊びに行くか?
欧米はやってるっていうけど、日本人は皆現地に行ってそれを見た事はあるのか?
そこで生活した事はあるのか?サマータイムを体験してみたか?
あっちの通勤事情、労働事情を知って言ってるのか?
あっちは日本ほど時間にうるさく無い。
ある意味、のんびりとしている面がある。
日本ほど、せかせかしていない。
家族第一だ。バカンスの習慣がある。会社人間は存在しない。
あっちでは定刻に電車は来ないことはよくある。
しかし、それで遅刻しても会社で文句言う人はいない。仕方がないから…
向こうとこっちでは、社会構造は違う。
気候だって昼の長さだって日本とは違う。イングランドやフランス、ドイツは日本の北海道より北にあるんだぞ!地球儀見てみろ!
だいたい、欧州に人口1.2億の国なんか無い!
一千万人が住む首都などない!
3分に1本、入線してくる鉄道など無い!
乗車率150%なんてクレイジー!
何でミソもクソも一緒にする?
欧米の真似ができるというなら、政府はまず、労働時間(休暇・余暇時間)を合わしてから提案せぇよ。
そんな大切なこともできないで、こんなブラック社会を放置しておいて、サマータイムだけ持って来たって上手くいく訳無いだろう?社会が混乱すること必至だ。
私はサマータイムを30%もの人が支持(日経世論調査)していることに恐怖を感じる。
これは、「何も考えていない人」「思考停止している人」が30%もいるということに等しい。
私たちは、恐ろしい無責任社会に生きているのだ。
オリンピックのマラソン対策との声もあるが、では試しに朝5時に起床してみればいい。
家の外は全く「涼しい」とは言えない(犬の散歩をしてるので知ってる)。
2時間違いの温度差なぞ、せいぜい数度だ。
気温効果はない。
「マラソン対策」とは詭弁だ。そんなのすぐ分かるじゃん。
みんな…。
「ボ〜ッと生きてんじゃねえよ!」
世論調査には真面目に答えようね。
呆れているが、文句は言わない。
こちらも、相当に恐ろしいけどね…
口語体労働基準法
ロマンスカーの想い出
もう遥か以前のこと。
若い頃は週末になると友人たちと毎週のように新宿に繰り出し飲んでいた。
移動の手段としては、JRで横浜まで出てそこからは東横線で渋谷に行き、その後は山手線で新宿に出るというルート。面倒であったが仕方がなかった。
その際、小田急の側で目立って赤い車両を見ることがあった。
「なんだろう、あの車両…」
とても気になっていた。
その車両、とてもカッコいいのだ。
その後、とある女性友達ができた。
彼女は、小田急線の某所から新宿まで通勤していた。
彼女と話すうちに小田急には「ロマンスカー」と呼ばれる特急列車があることを知った。
「あの車両だ!」
私はあっという間にこの車両のファンになった。そして、彼女の話を聞くうちにどうしても乗って見たくなった(彼女は当然乗ったことがある)。
しかし、若干の問題がある。
乗る理由だ…
当たり前であるが、この列車は新宿〜箱根間を走る特急列車である。
当時私の住む場所から一番近い停車駅は町田だった。
しかし、町田〜箱根をロマンスカーで移動というのも、如何にも取って付けた感があり、乗車する強い動機には至らなかった。
あっという間に目的地に到着してしまうから…
↑ 小田急HPより
私はある日、新宿通勤の彼女にその話をしてみた。
「ロマンスカーに乗ってみたいのだけど、乗る機会がないんだよね。町田から乗ってもあっと言う間に箱根だよね。それじゃあなぁ〜」
「新宿から乗ってみる?一緒に乗ってあげるよ」
「えっ、新宿までわざわざ出る?」
「そう、出るの」
「新宿から箱根まで行った後は?」
「そのまま帰ってくる」
「え〜!」
「乗るならそれしかないでしょ。ロマンスカーは特別。」
「せめて、箱根に泊まれないもんかね」
「えっ、私困る…処女だし。」
「そうだよな(別に聞いてないぞ…)。」
↑ 小田急HPより
彼女とは、そんな会話を夏の頃にしていた。
秋になると彼女が言った。
「箱根のロマンスカー、泊まりでもいいよ。そろそろ紅葉の季節だし箱根は良いよね」
彼女は自宅住まいだ。
「両親には何て言うの?」
「まあ、適当に。ただし、泊まる部屋は別だよ」
「了解」
こうして私の念願であったロマンスカーの新宿〜箱根往復の旅は実現した。23歳の時の話。
ロマンスカーの旅は素晴らしかった。
当時は、ネイビーのワンピースを着た色っぽいお姉さんがワゴンを押しながら車内販売をやっていた記憶がある。
ロマンスカーの最前列に一度座ってみたいと思っていたが、それは10年後に実現した。
向ヶ丘遊園に息子を連れてウルトラマンショーを見に行く際に、最前列のシートが予約できた。
あれは素晴らしい景色だった。
私が大好きだった車両は、今年でラストランを迎えたとのこと。
きっと、これまで多くの人たちの夢を乗せて走っていたのだと思う。
ありがとう、LSE…
まだタバコを吸ってるのか?
タバコの値上げがあるそうだ。
記事では「ついに500円台に」とある。
しかし、「まだ500円で買える」とも受け取れる。
ご存知のようにUSAでは1000円も当たり前。今後も繰り返し引き上げられることだろう。
TDLやUSJの入場料が値上げされると行くかどうかも疑わしいのに、何故か腹が立つ。
しかし、タバコについては一向に気にならない。逆に「どんどんやれ!」と暴言を吐きたくなるくらいだ。
以前も書いたが、この嗜好品は他人にこの上なく迷惑をかけるものだ。
副流煙の問題、街中へのポイ捨ての問題、くわえタバコの危険性の問題…etc
いまだに分煙していない飲食店は意外とある。
そもそも、食べ物を扱う場にこの物体の存在はそぐわない。
この物体の吐き出す煙と強烈な匂いは、食べ物の風味を殺す。
寿司屋や蕎麦屋でこれが吸えること自体が信じられない。
お店の良識・常識を疑う。
吸うのは本人の勝手。相応の税負担もしているし。健康に悪いと言いながらも吸っている全員が肺がんになるわけでもない。そう、だから吸うのは勝手。
しかし、他人に迷惑をかける点でどうしても容認できない。
蕎麦を食べながらタバコを吸う人は流石にいない。蕎麦を食べ終わってからタバコに火をつける。
しかし、少し考えてみて欲しい。
あなたは蕎麦を食べ終わっているが、隣にいる私は食べてる最中だ。
果たしてお隣に迷惑だと思わないのか?
思わないよね…。
そんなことを気にしていたら、いつまで経っても吸えないもの。だから吸いたい時に吸う。
だ、か、ら、迷惑なの!
存在そのものが迷惑。吸う人間のマナーに期待することももはや無理。
この物体、その愛好者との共存は無理。
だから近寄らないことにする。
そこでお店側にお願い。
タバコOKな店なら、看板にデカデカとそう書いてもらいたい。
入店してから気づいても遅い。
この間の蕎麦屋がタバコ可であることは隣のリーマンがタバコに火をつけたことで初めて気づいた。しかし、もう遅かった。
他の誰もタバコなんぞ吸っていなかったので分からんかった。そりゃそうだろ…。だって蕎麦屋だぞ。
あの蕎麦屋には二度と近づかない。
家の側にとても美味しいラーメン屋がある。
しかし、分煙していないので行ってない。
将来、分煙が実現したら行ってみようと思ってる。ささやかな望み。
近所の公園のベンチに座ると、必ずと言っていいほど吸い殻が散乱している。
おい、喫煙者。公園で寛ぎたいのであれば、そこを汚すな。お前が去った後が汚くて座る気になれないのだよ。
公園での癒しを求めるくせに、そこを汚すとは何事だ?おかしいだろ!
とにかく迷惑。
迷惑千万。
とにかく非常識。
歩行喫煙している人がいたら注目してみて欲しい。
果たしてその人は、もう片方の手に携帯用灰皿を持っているかを。
私はまず見ることがない。
では、その手に持ったタバコは吸い終えたらどこに処分されるのだ?
100%の確率で道に捨てられる。
それ、有害なゴミだぞ。
こんなものが市民権を得ることなどあり得ない。
歩行喫煙は反社会的行為だと思う。
言っても仕方ないが、敢えて言う。
「まだ、タバコ吸ってるのか?」
アホか、と思う。