オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

「ただ決める政治」のリーダーシップ

 「眼下の敵」という映画がある。

 戦争映画であるが、友情、尊厳、信条、反戦、戦術・戦略、さまざまな要素が込められた傑作だ。

 主演は、ロバートミッチャムとクルトユルゲンス。今見ると、特撮シーンはしょぼいが、実写部分は本物の駆逐艦を使って撮影しており、相当な迫力がある。残酷なシーンはないので、女性にもお勧めできる秀作だと思う。

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 私は、この映画には先に挙げた要素に加えて、リーダーシップのあり方を考える点で多くの示唆とヒントが込められていると思っている。

 駆逐艦(ロバートミッチャム)と潜水艦(クルトユルゲンス)の2人の艦長が主人公であるが、当然、この2人はキャラクターが異なる。駆逐艦の艦長は、作戦指示をする際に、部下に「君はどう思う?」と聞き返したりしている。しかし、迷っている訳ではない。決めているが、部下の意見も聞いているのだ。

 一方、潜水艦の艦長は、部下の意見は聞かない。ただ、信念をもって命令する。

 副長は、この艦長を尊敬し、また畏怖の念ももっているようだ。艦長はこの副長を「君は私の友達だ」という。副長は「そういう関係ではありません。時々艦長が怖くなります」と言うが、「いや、友達だ」と繰り返す。

 戦闘が長期化し、潜水艦内に「このままでは、負けるかもしれない」とクルー達に不安が立ちこめた時、艦長は士気を高めるために言う。

 「軍人は死ぬのが仕事だ」

 「しかし、死なない。私が死なせない」

 クルー達に安堵の表情が戻ったように見えるが、死の覚悟を全員が共有したようにも見える。この艦長、駆逐艦の執拗な攻撃(心理戦でもある)に悩まされるが、最終局面で、相手の戦術の弱点を突いて反撃にでる。一撃必殺の。それは見事。

 ラストシーンでも彼は呟く「彼は私の友達だった(過去形)」

 彼のリーダーシップは、部下との相互信頼の上に成り立っている。これは、とても重要なことだ。

 

 2人とも戦争に嫌悪感を持っている。駆逐艦の艦長は、妻を戦争で失っている。潜水艦の艦長は、「この戦争には救いがない」と嘆く。ヒトラーも大嫌い。

 異なるリーダーシップを発揮しながらも、2人は戦い続ける。最後に2人は、お互いの艦上で対面することになる(おかしな表現であるが映画を見てもらえばわかる)。お互い、戦いで部下を失いながらも、祖国のために戦った敵に尊敬の念を込めて敬礼を交わすシーンがとても感動的。

 古今東西、映画・ドラマには色々なタイプのリーダーが登場し、さまざまな意思決定を見せてくれる。それらには、社会において、如何にリーダーシップを発揮するべきであるのか、のヒントが隠されていると思いたい。

 スタートレックのカーク船長、クリムゾンタイドの艦長と副長、ガンダムブライト・ノアシャア・アズナブル、おっと、ランバ・ラルを忘れるとファンに叱られる。NERVの葛城ミサト碇ゲンドウは論外)、ヤマトの沖田十三、連合艦隊の山本五十六、アポロ13の誰だっけ(トムハンクスが演じた)?ウルトラ警備隊のキリヤマ隊長・・・。

 彼らは皆、困難な状況下で決断、意志決定をしている。決定のプロセスはさまざまであるが、そこに至る過程にそのリーダーの人間性、人生観、価値観、信条が宿っている。尊敬されるか否かの分かれ目だ。

 「決断」がいつも正しい結果をもたらしているとは限らない。だから、リーダーは難しい。

 

 さて、我が国の現リーダーは、ビートルズやサッカーはご存知のようであるが、リーダーシップのあり方には関心がないようだ。新聞は「決める政治」と言って今回の彼の決断を評価している節もある。

 本当にそうだろうか。

 そりゃ、決めない事はよくないが、こんな決め方が国のリーダーとして相応しいやり方なのだろうか?

 

 何故、これまでの宰相が「決めること」ができなかったのか?というと、手続きが大変だから、ということがある。

 政権公約をして、選挙を戦い、勝って首班指名を受けなくてはならない。内閣を組織し、優秀な財務大臣、党幹事長、国対委員長を選出し、与野党に周到な根回しをせねばならない。

 マスコミ対策も必要(世論誘導には必須)、そして、ここからが最も重要な手順である「国民との対話」を成功させねばならない。これは相当骨が折れる。一般的にこの手のことに国民は賛成したくない。

 その後の国会論戦、特別委員会、公聴会、そして法案採決。現実は、さらに複雑なプロセスを経ているはずだ。過去の宰相は、この道程のどこか途中で皆頓挫した訳だ。おそらく、熱意だけで計れば、ほとんどの宰相はこの論議を完遂、完結したかったはずだ。いまの彼だけが熱意に優れているとは思えない。

 何故、今回、ここまで事態が進展したのか?

 それは、彼がプロセスを吹っ飛ばして決断したからだ。彼は、本来踏むべき手順を全く無視して今回の法案を通した。政党政治を行っているにもかかわらず、党内手続きと国民との対話、議論の部分を全く無視して、野党との談合を行ったのだ。汗をかくべき部分をリープしたのだ。

 憲政史上、稀に見る快挙と暴挙である。

 本音が何であれ、「筋を通せ」といって離党する者がいて当たり前だ。まともな行動をしている議員がいて、私は少しだけ救われている。

 「決める政治」と「ただ決める政治」をごっちゃにしてはいけない。

 人生経験や人間関係に未熟な、中途半端な人間が、エグゼクティブ・デシジョンをするとこういう事態になるという社会勉強を我々はしている。

 「リーダーが決めたのだから部下はそれを支えるべきだ」という意見もある。一理あるが一理でしかない。リーダーが間違った時に、それを止めるのも部下の役割だ。他人は止められない。リーダーに右に倣えをして不祥事に至ったり、廃業に追い込まれた組織もある。

 妄信はバカのやることだ。組織論が人格の上に立つ事は許されない。

 リーダーシップとは難しい。

 

 おまけ。政治家としての評価を国民にではなく、歴史に委ねるというのは、重大な背信行為だ。私たちの投票行動がそれを決めるものであるはず。私たちの「決める政治行動」の機会を奪ったリーダーシップを私は認めない。