オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

お友達を論功行賞したら悪いのか

 安倍総裁は、着々と新政権の準備を進めているようだ。

 当面は経済対策中心の政策を取るとのことであり、デフレ脱却に向けた金融政策について、選挙戦でのビジョン(公約)実現に向け、機敏に動いているように感じる。

 やはり、総理経験者であるせいか、動きがスマートに見える。

 以前聞いたことのある、経済財政諮問会議を復活させるらしい。

 「コンクリートから人へ」ではなく、「人よりもまずは公共工事」。

 昭和、平成初期の自民党式政策運営の復活だ。めっぽう金がかかり土建業者、仲介業者、特定の権益保持者が多いに潤うことだろう。

 一定の経済成長が見込める期待感も少しはある。安定志向の国民には受けることだろう。あと、これ以上所得税を払うことのない長生き老人たちにも。

 これらの財政負担の転嫁先は”中堅層”だ。がんばって税金払ってね。

 

 さて、組閣の行方にマスコミは注目している。国民以上に。

 私は毎日生きていくことに必死であり、誰が何の大臣になっても、そんなこと関係ない。誰が入閣しようが、それで私の生活が楽になる訳ではない。私の関心は、既に永田町にはない。

 マスコミはとても嬉しそうだ。仕事のネタだもんね。

 

 そこで、安倍次期首相が、前回の反省に立って「論功行賞とお友達」の組閣人事からの脱却を図れるかが評価の視点だ、という旨の論評を日経はしている。

 ?

 前回、安倍さんは何か間違った人選をしたんだっけ?よく思い出せない・・・

 「論功行賞とお友達」というのは、組織運営上、人事施策としては極めて正しい。

 会社に働いたことのある人であれば、皆経験している。これが、古今東西を問わず世の中の常識だ。一体何を反省し、どのような組閣をすればマスコミから100点をもらえるのであろうか(誰も満点を欲しがっていないけど)。

 論功行賞というのは、総裁選で自分を支援した人を党、政府の主要ポストに登用することだ。

 自民党では、総裁選に20人以上の推薦者がいないと立候補できない。多いときは、200人を超える代議士を有する党内で、この人数を集めることは派閥の領袖であったり、役職経験者であればそんなに難しい人数ではないはず。

 しかし、これが難しいのだ。

 それは、自分が推薦した人が総裁になれなかったら、推薦した自分が新体制下で重用されないことが決定してしまうからだ。

 そのような人達は、新総裁から見れば、対立候補の兵隊である。フツーの神経を持っていれば、目障りであって好きになれる訳がない。

 よって、論功行賞というが、総裁選からの一連の活動を踏まえれば、自らの支援グループ(普通は派閥)の主要スタッフにポストを与えるのは当然だろう。

 これは、一般社会でも通用する”常識”であり、鎌倉幕府の頃から続いている正しい人事政策だ。

 成果主義を唱える人達が、論功行賞を責める論理が私には理解できない。苦労し成果をあげたものに報いてはいけないのだろうか。わけ分からん。

 また、”お友達”というが、思想・価値観・行動、そして議員生活をも共にできるほど理解し合った”仲間”を指していうには例えが失礼だ。

 例えは良くないが、漫画「ワンピース」の主人公を取り巻く同士たちを”お友達”と言ったら、ファンから苦情がくるだろう(彼は”仲間”と言ってる)。それと同じ。

 政治家というのは、驚くほど人間としてはピュアだ。汚く言う人もいるが、彼らは他人の世話になり、その人達の支援を受け、他人をこき使って生きている。人の琴線には敏感だ(これは一種の才能)。

 彼らが形成する人間・信頼関係は、私が普通に見て感じているものとは違う。もっと強固で普遍的で尊いものだ。

 今月の日経新聞の「私の履歴書」を森喜朗氏(元総理)が書いている。この人、総理としてはパッとしなかったが、人脈が凄い。いや、人脈(だけ)で総理にまで登りつめた人だ。

 この森氏や野中広務氏(元官房長官)の回顧録を読んでいると、議員同士の人間関係、信頼関係が政治活動の上で如何に重要であるかが感じ取れる。人間関係を上手くコントロールできる政治家こそが、政治の舞台で大きな仕事をしているのだ。小沢一郎が政界で嫌われる理由がよく分かる(彼は結果的によく人を裏切る)。

 よって、為政者が自分の思想を最も理解してくれる近しい人物を重要ポストにつけることは当たり前であり、極めて正当だ。

 最近、この例外を見たのは、オバマ大統領がクリントン氏を登用したことぐらいではないか。しかし、この選択が正しかったことはクリントン氏自身が仕事で証明した。オバマ氏は彼女が極めて優秀であるからこそ、対立候補であったことを超えて起用したのだ。

 

 日本のマスコミは、この世界共通の社会常識を”お友達”と茶化してしまうところが凄い。

 恐らく、共に死んでもいいと思えるような人間関係を築いたことがなく、真の友邦を持たない人達で形成されている業界なのだ。

 この業界の人達は、時宜に沿わず状況にそぐわない歪曲したイメージを与える日本語の用法が好きだ。例えば、

・バラマキ

・唐突

・密室

・丸投げ

独断専行

・政治と金

・説明責任

 これらは、おおよそ時のリーダーを非難するためだけに使われる正体のはっきりしない日本語だ。これらの言葉は一方でリーダーの行動特性を表すポジティブなものに置き換えることができる。少し考えれば、マスコミが確信犯として恣意的に使っていることが分かる筈だ。

 マスコミは、いい加減、子供みたいな言葉遊びは止めて欲しい。

 私達はそんな言葉に乗せられるほどバカではないし、政治家のセンセイ方にも失礼でしょ。彼らなりに一生懸命やっているんだから。

 それに、お友達同士で論功行賞人事をやってる会社の人達から言われる筋合いじゃない。