オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

HONDA、夢へ向かって

 「赤いペガサス」という漫画があった。

 村上もとか氏が1977年から書かれたF1を舞台にした話だ。当時、日本でF1を知る人は今ほど多くなかったと思う。

 私もその一人で、この漫画を読みながらまだ見たことの無い史上最高峰と言われる自動車レースを想像し、「F1って、すっげぇ〜」と唸っていたものだ(年齢が知れるね・・・)。

 この漫画の凄いところは何と言っても先駆的であった、ということに尽きる。

 1977年と言えば昭和52年。

 今から35年くらい前だ。

 まだ、ケーブルTVや衛星放送がなく、海外の番組を見ることなんて出来ない時代。”F1”という言葉とレースを雑誌で読んで知っていても、それを見ることは不可能に近かった。

 当然、その頃「F1日本グランプリ」なんてやっていない。レースの舞台はヨーロッパだ(当時はUSAグランプリもなかったと思う)。

 主人公は日本人ドライバー、赤馬研(ケン・アカバ)。

 「サンダーボルト・エンジニアリング」という日本企業が、エンジン、シャシー、スタッフ、ドライバー、全てを純国産、フルワークス体制でF1に参戦するという、夢のようなお話。

 この会社のオーナーは元レーサーで、レース中の事故により、車イスに乗っている。何だか、故ウィリアムズを彷彿させるが、彼がモデルになっているかは知らない。

 この話の中には、マリオ・アンドレッティニキ・ラウダをはじめとする実在のレーサーが数多く登場する。そして、話がとてもリアルだ。

 チームパートナーであるロック・ベアードや、妹(ユキ)、ペペ・ラセール(後にユキの夫となるが・・・)にまつわる人間ドラマは重く、儚く、泣かされる。

 そして、さらに素晴らしいのは、この漫画がF1とそれに関係する人達のレースに対する真摯さ、夢、情熱、信念を描いていることだ。

 

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 F1の素晴らしさ、過酷さ、魅力、そしてその文化を伝えたという意味で、当時まさに画期的な漫画であったと思う。時代が過ぎて、バブル期にフジTVでF1レースが放映されると聞いた時、真っ先に思い浮かんだのが、この「赤いペガサス」だった。

 「F1を見ることが出来る・・・」

 本当に夢のようなことだった。

 

 そして、現在・・・。

 昨日(2/9)、「ホンダ、F1復帰か?」という旨のニュースが流れた。

 ご存知のように、ホンダは64年〜68年、83年〜92年、00年〜05年にF1に参戦している。

 ホンダが初めて4輪車を世に出したのは62年だ(それまでは2輪メーカー)。F1参戦の発表は63年、そして64年からフルワークス体制で参戦している。

 4輪車を開発して僅か2年後に、フルワークスで最高峰の自動車レースに参戦するということが、如何に常識外れであり、無謀であり、また壮挙であったかは想像に難くない。

 当初ロータスシャシー供給の約束を取り交わしていたらしいが、シーズン直前に反故にされたらしい。

 僅かな準備期間でエンジンだけではなく、シャシーまで開発しろ、なんてどだい無理なことだ。

 普通の人達なら、ここで参戦を諦めるであろう。

 だって、そんなに簡単にF1シャシーなんて作れないし、当時のホンダにシャシー開発の経験とノウハウがあった訳がない。

 

 しかし、ホンダは、本田宗一郎は諦めなかった。

 コーリン・チャプマンからのシャシー供給の断りの電報に対し「電(文)見た。ホンダはホンダ自身の道を進む」と返信したそうだ。

 この後、ホンダとロータスは30年近くにわたり別々の道を歩むことになる。

 そして彼らが、血の滲むような努力で、飽くなき情熱でレースに打ち込み続け、やがて世界が驚くような快進撃を続けるようになったのは、第2期80年代後半からである。

 余りに強過ぎるホンダを何とか止める為に、関係者がF1のレギュレーションまで変えてしまったのは周知の事実。

 ターボの技術的な可能性に賭けていたホンダは、このレギュレーション変更に伴いレースから撤退した(と、当時言われた。当時の桜井総監督の弁。言い訳かも知れないが)。

 そして、第3期は確たる成績を出す前に、経営的な事情からレースから引上げざるを得なかった。

 あれから・・・、ホンダがF1から撤退してから8年経つ。

 F1は、2014年からレギュレーション変更により、ターボエンジン(V6、1.6ℓ)が復活するという話も聞く。

   

 ホンダは、あの人たちは、また夢に向かって走り出したのであろうか・・・