鎮魂の想いを込めて
今日、2時47分に黙祷を捧げた。
46分が公式なのかよく確認していないが、私にとっては47分だ。
別にそれでいい。
あれから、2年・・・。これからも、この日が来るたびに、「あれから、XX年」と数え続けるのだろう。
”あの日”から1週間くらいの喪失感は、それまでの人生で感じた事の無い、尋常ではないものであったが、その感覚もほぼ無くなった。一方で、これが被災地の方々の言う「風化されたくない」という想いの根拠なのであろう。
「〜されたくない」は恐らく文法上は誤りであり、「風化したくない」と表現するべきなのであろうが、先の言い方が、関係する方々の心情を的確に言い当てていると思う。
日曜日(3/10)は、多くの報道番組が被災地からの中継と現地の現状報告を行っていた。あれから2年が経つにもかかわらず、思ったように現地の復興は進んでいないように見えた。
復興資金捻出の為に早々と増税を決定し、復興予算の名目のもと2年間被災地への投資を行ったはずにもかかわらず、これは一体どうしたことなのだろうか。「様々な理由がある」と報道にはあったが、やるせない気持ちで一杯になる。
一体、どういうことなのか・・・。
各々の方がベストを尽くしていると思いたい。
しかし、成果、結果がない以上、関係者は”怠慢”の誹りを甘んじて受けるべきだろう。皆さん、それを職業としている以上、プロなのだから。
1.政府
政権交代があり、震災当時の関係者の多くは野に下り、普通のオヤジ、あるいは猿(木から落ちた・・・)以下の存在になっている。
あの時、関係者は大変厳しい判断・決断が要求されたと推測するが、反省すべきはしっかりと反省・総括を行い、今後の教訓としてほしい。もう、それくらいしかあの人達にできることはない。恐らく、2度と”そこ”に戻ってくることはないだろう。
時の総理大臣が現地視察をしたため事態を悪化させた、との評論が大勢であるが、私は”違う”と思っている。
彼の現地入りが”ベント”を遅らせたのであれば、それもまた東電の責任だ。
私が現地の責任者であれば、総理が来ようが、オバマが来ようが、宇宙人が来ようが応対などせず、現地対策をやっている。それにより、プラントの安全を左右するベントをほったらかすことは断じてない。エンジニアはそんなことはしない。
総理への応対の為、現地が混乱したのは事実であろうが、技術的なデシジョンにそんなことは関係ない。この場面では”技術者倫理”が重要・最優先であり、”安全確保”を鑑みたとき、接待云々などにより作業の優先順序に変化があるわけがない。
それがプロだ。
現に当時の吉田所長は、本社命令に背いて原子炉への”注水”を続けていたではないか。
冷静な考慮は、私達国民にも必要だ。
これも教訓。彼を責めても大きな教訓はない。
私が彼の立場であれば、恐らく同じ判断をしたと思う。
現地の情報が全く無い中で、高度な政治判断などできない。
迷惑がかかるから現場に行けない、などというのはマネジメントのあり方として異常だ。実際、現地ではそうであったかもしれないが、ディザスタ・リカバリを確実にしたいのであれば、本来あるべき姿を考えるべきだろう。
人を責めるより教訓とすることの方が重要だ。
リスクマネジメントのことになると、どうして日本人はこうも支離滅裂になってしまうのだろうか。
2.官僚(政府の一部でもある)
被災地の役所の方々のご苦労は想像を絶するものがあると思う。
しかし、現状が思い通りに行っていない限り、今暫く現地を支えて頂きたい。ご本人自身も被災者としての現実があると思う。
大変、ご苦労があるとは思うが、何とか頑張って頂きたい。
一方、中央官僚はこの未曾有の災害時にあっても、何ら思考回路に変化はないらしい。これまでの自分たちが作った常識(慣行)をもとに、省庁間の予算配分、権益確保に余念がないようだ。
どこまでが真実なのかは分からないが、本当に復興予算で沖縄の道路整備をやったのであれば、そのような予算執行を考案した役人とそれを止めなかった部下達、見過ごした大臣達は皆地獄に堕ちるべきだ。
誰が何と言おうと、そんなことあって良い訳が無い。
法律の解釈だとか、屁理屈はこの際どうでも良い。
このような国難の時に、このような卑しい事を考えつく人間がこの世にいる事が私には信じられない。どのような立派な方か知らないが、神仏を恐れない人間でしか考えつかないと思う。
確かに金は、金。色もついていない。
増税して回収した金をどのように使おうが、法律に抵触していなければ逮捕されることはない。
だが、しかし、その人は本当に人間なのか?
この国に生きる人達の想いをこれほどまでに踏み躙る行為はない。私は許さないが、誰がその人なのか知る術は無い。
この言い方は嫌いだが”1000年に1度の災害”が発生したのに、この数年間やりたかったこと、通年予算の補完に財源を流用してしまうことなど、あっていいわけがないだろう。
地獄に堕ちなさい・・・。あの世で、震災被害者に詫びよ
3.経済界
愚かな経団連のことは既に書いた。
今年は賃上げが話題になっているが、期待などしていない。「賃上げ」は個別企業の対応、と素知らぬ顔をするのは今年に限ったことではない。何十年も前に朝日新聞が言ったように”春闘”など、とっくの昔に終わっている。
それよりも、あなた達は自分たちがいなくなった後の経済界のことを考えなさい。
優秀な経営者、マネージャーを育成することを考えなさい。
そもそも、福島原発で未曾有の事故が起きた事は、必要人材の育成とリスクマネジメントを怠っていたことが遠因だ。外交も結構だが、足下を見よ。
あと、言っておく。
あなたたちの考え方では、民族・国家を超えた連帯など生まれない。金が全て(解決できる)だと思っている時点で猿以下だ。
定年してやることがないのなら、企業の枠を超えて、個人の資質で世界をわたって欲しい。
4.マスコミ
時代の真実とトレンドを伝える事を本分としているくせに、時代・歴史に学ぼうとしない愚か者のままだ。この2年間で一切成長が見られない。国会議員の先生方ですら、あれだけ身長(ものの見方・感じ方)が伸びたのに・・・。
自分本位でガラパゴス。
いつも業界価値最優先で、おかしな職業的優越感をもつ気の毒な人たち。この人達のいう「報道の自由」ほど滑稽なものはない。
私はこの人達の言うことは半分くらいの信用度で丁度良いと思っている(本人達はもっと高いと自負しているのであろうが)。
前にも書いたが、マスコミはもっと専門性を高めるべきだ。原発報道に始まり、iPS細胞にかかわるデマ報道、ヒッグス粒子報道における無知さらけ出し、PC遠隔操作事件での不正確極まりない事件報道など、突っ込み所満載だ。本当に恥を知るべきだ。
理工学、情報工学系の人材を登用しないと、今にクイズ番組の回答者にすら笑われる事態になること確実だ。
あなた方がいつも謙虚であれば、私だって他人のミスをこのように責めたりはしない。
身の程を知るべきだ。
5.被災者の方々
・私達が、あなたがたを忘れる事はない。決してない
・できることならば、新しい土地ででも生きて欲しい。住んでいた場所に拘るのは当然であるが、住居がなければ新たな人生が始まらないこともまた事実だと思う。先祖も大切であるが、子孫がどこに生活の基盤を置くべきであるのか、それを考えることも必要な視点だと思う
・「被災地」「被災者」という表現が早く無くなる事を祈ります。努力します
6.私達
悲しみに耐えない。
私達は、生きていく。苦しい事があっても生きていく。自分の意志で。
そうしないといけないと思う。
この命は、自らの意志では放棄しない。そんなことすべきではない。
彼の地で亡くなった方々のことも思いながら生きていく。
私は、たまたま、あの日、命を落とす事もなく家族のもとへ帰れた。
それで十分だ。
それで、十分、これからも生きていける。
それが私にとっての3.11の意味。