「どちらとも言えない」を何とかしたい
憲法記念日を前に、96条の発議要件が話題になっている。
与党に加え、「維新」も賛成派に回りそうだ。
自民党にとって「改憲」は結党時からの運動方針でもある訳だから、衆参で大勢力を持つ今は、千載一遇のチャンスだ。
まさに、「今でしょう!」と気合いが入る理由も理解できる。
天皇制のあり方(変だね。上手い表現が見つからない)、環境権の明示、自衛力・国防軍としての取扱い、等が具体的な改正項目として挙げられているようだ。
これらの内容については、特に大騒ぎするようなものではない、と思う。
「国防軍」という表現には、抵抗感を持つ人もいるかもしれないが、問題の本質は「呼称」ではない。自衛隊の位置付け、役割の明確化がその核心だ。
自衛隊については、紛争地帯での国際協力、災害時の人的救援活動、有事の際の行動(具体的には”攻撃”だ)範囲、集団的自衛権の取扱い、等々、これまでさまざま議論がなされ、必要な際はその度に時限立法で対応してきた経緯がある。
その理由は、現憲法に自衛隊自身が定義されていないからだ。しかし、日本的な曖昧な解釈による防衛出動指示は、そろそろ止めるべきだろう。
彼らは、今でも実質上「違憲の軍隊」だ。本当に必要であるのかの議論を皆で死ぬほどやるべきであり、その結果、必要なものは「必要」と明記すべきだ。
彼らは、自衛隊は、命をかけて防衛行動をとる。よく分からない政治的な思惑により、彼らに命を賭けさせるべきではない。彼らに対して失礼だ。
2年前の震災により、「日本には自衛隊がある」と再認識した国民は多いと思う。感謝もした。誇りにも感じた。で、あれば、そろそろ法的な根拠を明確にすべきだ。
「救助」は彼らの本分ではない。今の彼らは「防衛」のためにいるのだ。
一方、USAがいなければ、尖閣諸島は間違いなく武力により、あの国に占領されると思う。あの国は、国際的な批判など、屁とも思っていない。虎視眈々と狙っていると判断すべきだ。
私達が、あの領土を真に守りたいと思うのであれば、自衛軍(自衛隊ではない)をあそこに常駐させるべきだろう。そして、現行憲法にしがみつく限り、そのような行動は決断されない、決意出来ないと思う。それも、仕方ない。
日本の若者を戦場に出すつもりか!
またしても、アジアで人殺しをするのか!
声高に叫ぶ人たちもいる。
その人達は、思考回路がおかしいと思う。
今の日本でそんなことを考えて改憲を考える人などいない。
イシューは、自分達の国の有り様だ。
どのような国家体制を構築し国際貢献をするのか、という先進国であればどこでもはっきりとさせている判断・行動基準、ポリシーを決めましょうということだ。
誰も人殺しの手段を考えている訳ではない。
このあたり、いつも論議がすり替えられる。思考停止する。
すぐそういう物騒な論議を持ちかける人は、真の問題解決への決意が欠落しているのだと思う。
私は、「改憲あり」と考える者の一人だ。
しかし、96条は今のままで良い、と思っている。
「過半数」では危ない。自民党、民主党が政権与党であれば、100%確実に強行採決で決めてしまうと予想しているからだ。
あの程度の頭脳と政治力、交渉力しかない人達に、1/2採決の権限を与えることは危険過ぎる。
先日、TVで憲法96条改定の街角アンケートをやっていた(つまらない企画だった)。
ざっくり言って、賛成30%、反対30%、どちらとも言えない30%の結果だ。
一番の問題は、「どちらとも言えない」が1/3もいることだ。
いつも通りの「態度保留」・・・。
この人達を何とかしないといけない。日本が何も決められない国になっている要因の一つは、このフワフワした「浮遊層」の存在だ。
いい歳をこいた大人が「どちらとも言えない」は如何にも情けないだろう。
「どちらかに着かねばならない時」の判断が出来ないのだ。それも日本らしいが。
とは言え「何が正解が判断が難しい」からといって、賛否の態度そのものを保留してしまうという行動は、分別のある大人のやることではない。それは、子供達の特権だ。
この「決めない文化」を変えられない限り、私達は真の意味での自国憲法を持つことはできないのだ、と思う。
50%の国会議員の賛成、50%の支持があるかの国民投票、その時の投票率は50%以下・・・
こんな恐ろしい話はない、・・・と思うけど。