オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

「ロボコップ」に見えるデトロイト

 今朝のニュースで「USAのデトロイト市が財政破綻した」と報じられていた。

 市の財政破綻というと北海道の夕張市のケースが強烈な印象に残っているが、デトロイトってそんなに財政が苦しかったの?

 USAでも自治体の財政破綻ってあるんだ・・・。

 デトロイトのことは良く知らない。行ったことも無いし。

 「自動車産業の街」「五大湖の傍にある大都市」というイメージ。

 そう言えば、80年代にヒットした映画「ロボコップ」の舞台はデトロイトだった。

 

 この映画、友人に言わせると「スーパーB級映画」だそうだ。

 上手く表現するものだ。

 確かに上質なメッセージの込められた文芸大作映画とは違う。映像表現もどことなく暗〜いイメージだし、悪者退治したりするシーンは結構グロい。

 あまり好きになれない描写の多い映画であったが、続編を含めて3本も制作されたのだから、本場でも相当な人気があったのだろう。

 あまり好きでないと言いながら、私も全作品を見ている。

 この映画の舞台、デトロイトは極めて治安の悪い都市として描かれている。

 ギャング団のような不良達が「これでもか!」というほど登場し、悪行の限りを尽くしている。

 そして、そこに出てくる警察は「民間」によるものだ。市警ではない。

 悪者退治は、この映画の世界では既に民間委託されている。

 冷静に考えると無茶なストーリーだと思う。いくらなんでも、民間企業が作り出したサイボーグ警官が、犯罪者達を次々と殺して行く訳だから荒唐無稽な話だ。

 しかし、この映画が聴衆から評価(好意を持たれた)された理由の一つは、世紀末的な世界観の中にあっても、「USAの正義感」が相応に描かれていたからではないだろうか。

 多くの犯罪者が容赦なく射殺されてしまう中にあって、ただ一人の人間の尊厳や、子供への想い、エッジにいる人達の切なる訴え(犯罪者を含めた)にフォーカスしている部分が残酷なシーンとミクスチャされていてとても印象的だ。

 デトロイトを見たことが無い私にとっては、「ロボコップ」の世界観くらいしか、この街のイメージが沸かない。ちょっと、極端すぎてUSAに対し失礼だと反省している。

 

 この映画ほどではないにせよ、デトロイトの治安の悪化や、貧富格差は相当なものだと伝わって来ている。

 まさかサイボーグ警官の登場が期待される程の状況には無いとは思うが、GMを始めとする自動車産業の復興をもって地域経済の回復を想像していた私などの楽観は全くの的外れであったようだ。

 これは、USAにおける地域経済の現実を示唆する象徴的なニュースだった。

 

 ところで、「ロボコップ」が友人からスーパーB級と評された理由の一つは、時々挿入されたシュールなジョーク表現だと思っている。

 例えば話の途中に、ニュース番組が出て来て「ロボコップ」の活躍を報道するのであるが、その番組のコマーシャル部分が面白い。

 「お勧めします、YAMAHAのスポーツ心臓」とJapanを皮肉ってみたり、

 「でっかいことは良いことだ」と恐竜に言わせてキャデラック風の大型自動車を宣伝したりする。

 またTVのインタビュアーがロボコップ

 「あなたは全米の小学生達のヒーローです。彼らに一言メッセージをお願いします」

 というと彼はこう答える。

 「勉強はまじめにやれ」

 これを受けたスタジオ側のキャスターが大笑い・・・等々。

 これは第1作目だけの特徴だ。この後の作品にはこのような「おちゃらけ」は出てこない。総じて真面目に作られている。

 

 この映画は、USAの持つ多種多様な価値観、骨太な正義感、確固たるヒューマニズムをサイボーグ警官の活躍と彼の悲しみを通じて伝えてくる。

 まるでデトロイト(=USA)の光と影を表現しているようも感じられる。

 確かにB級であったかもしれないが「スーパー」であることも確か、だ。 

 

 USA産業のシンボル、デトロイトの再生を遠い日本から願っている。