真似して、そして負ける
以前、日産に「ローレル」という車種があった。
この月桂樹という名を冠された車の特徴は、2ℓ直列6気筒エンジンを搭載した4ドアセダン、ホイールベースは2.6m前後をとった十分なボディサイズ、アクセルを踏んづければそこそこ速い、というものだった。
ターゲットとする客層はおのずと中年になる。
高年層にはセドリック/グロリアが充てがってあるので、そこは中心軸ではない。比較的収入に余裕のある世代、そして車で家族旅行に出かけようと言う昭和の平均的な勤労者世帯(4人家族)を想定している。
内装はゴージャスだった。下品な程に。どこかのスナックの内装に似ていた。
ドレスアップしてヤンキー仕様に改装されると、そのケバケバしさは凄まじく、そのみっともなさはライバル車の追随を許さなかった。
究極のお下劣さで、この車に勝てるものはいない。ダッシュボード上に紅色の絨毯を敷いたローレルをよく見たものだ。
しかしながらこの車・・・
日産が勝手にライバルと想定していた「マークⅡ3兄弟」には、販売面で全くと言っていい程勝てなかった。
そう・・・、足下にも及ばなかった。
日産は、モデルチェンジの度に知恵と工夫を加え、時には最新技術を導入しながら、懸命にマークⅡを追撃したのだが、その差は開くばかり。
日産としては「コロナ対ブルーバード」の販売競争と同じように、「マークⅡ対ローレル」の図式を中型車市場に描きたかったのであろうが、現実は勝負にすらならなかった。
ローレルが売れなかったのは、性能が悪かったからではない。スペックに対し価格が高すぎた訳でもない。
マークⅡを研究しきった上で開発しているのであり、性能・機能性・先進性・価格等、全ての面でマークⅡと同等と言えた。いや技術的には先行している時もあったはずだ。
80年代後半から、マークⅡは爆発的に売れるようになり、その規模は月に2万台以上になることもあった。やがて、日本の道路と言う道路は、白色のマークⅡで埋め尽くされた。
その拡散度合いは現在に見る「プリウス」どころの話ではない。マークⅡは、凄まじい勢いで生産され続け、やがてその走る姿は社会の風景として普遍化されていった。
2ℓ直6の高級車とは、マークⅡを意味するようになった。
トヨタの本音を代弁すれば、マークⅡは高級車ではない。彼らにとっての高級車とは「クラウン」だ。
マークⅡを高級車と言ってしまうとクラウンユーザーから大目玉を喰らうことになる。クラウンとマークⅡでは、価格以前に「車格」が違う。
しかし、この車があまりに爆発的に売れ続けたので、世間の、購入者達の「高級車」との評価に、トヨタは異を唱えることはせず、敢えてそれを是認することにした。
その方が都合が良かった。
世間が勝手に中型高級車という、これまでにはないカテゴリを作ってくれたのだから。こんなラッキーなことはない。
ともかく、この車の売上はトヨタに莫大な利益をもたらした。
一方、日産はあまりに売れない不憫なローレルを前にして、とうとうプライドを捨てる事を決意した。先進的なサスペンションを持っているだの、スムースな6気筒エンジンだの、何だかんだ言っても、結局車は売れなくては意味が無い。
「マークⅡの真似をしよう」
そう思った日産は、それまで以上にマークⅡを熱心に研究した。
同じケバい内装であるのにマークⅡは売れローレルは売れない。この謎の理由は分からなかったが、ともかく「あのような感じ」のエクステリア・内装にすることに務めた。
エクステリアは熟慮に熟慮を重ねた。
これまでの角(かく)や尖りを基調としたボディラインに曲線を取り入れた。
もうこれで、文句は言わせない。今回のローレルは完璧な「マークⅡ」クローンだ。
これで売れない訳がない!
これで売れなければ、もうやる事が無い!
・・・
しかし、ローレルは売れなかった。
自動車評論家、徳大寺有恒氏はローレルをこう評した。
「マークⅡを真似して、そして負けている」
それから数年後、日産はローレルの生産を打ち切った。
今、日産に2ℓ直6の高級車ラインナップはない。
マークⅡは、マークXと名を変え、現在も絶滅危惧種セダンとして生き残っている。
マークⅡがアンビバボーなほど売れ、ローレルが惨めな程にユーザーから無視され続けた謎は、未だに解けていない。不明なままだ。
しかし、日産はこの時学習した。
因に、ローレルの末期モデルには、直6/直4/V6のエンジンを選べるものがあった。
単一車種でこのようにエンジンのバリエーションが広い例を私は他に知らない。日産の迷走でもあるが、トヨタには絶対に真似出来ないことであった。
・・・・
とのニュースが先日流れた。
『「奇想天外で野心的な課題」に挑戦することが条件で、年300万円を上限 に研究費を支給する。失敗も許容するという、中央官庁としては異例の事業となる。』
とのこと。
この「和製ジョブズ」という言い方が痛々しい。
と、いうか恥ずかしい。
日本政府が本気でこのようなアホなことを考えている事が、USAの人々にどうかバレないで欲しいと心底思っている。
笑われるから・・・(正に猿まね)
ジョブズは確かに天才かも知れない。
しかし、iPod、iPad、iPhone、iTuneの全てを彼が考案し、アーキテクトしたのではない。LisaはPARC(ゼロックス社)にあったALTO(試作コンピュータ)が原型であるし、MacはApple社内の彼とは別の開発チームが設計したものだ。
彼の周りには天才が集まってくる。
そして彼は、自分と同類の才能を持つ人間を見抜く能力があった。
彼は、そういう人達を集めて今のAppleを作ったのだ。だからAppleは、ユニークかつ先進的で、さらには消費者が「ワオッ!」と叫びたくなるような製品を次々と生み出す事が出来たのだ。
一方、彼は自身が告白しているように「ドラッグ」をやっていた。癇癪を起こした。人を嘲った。自分の意見に固執したがために、経営に失敗しAppleを倒産寸前にまで追い込んだ。だから、そこを追われた。
他人の功績を横取りすることなんて当たり前。社内では独裁者。
ジョブズが「現実歪曲フィールド」を展開することは、関係者が皆知っている事だ。彼は自分の都合の悪い事は絶対に認めない。
それが、スティーブ・ジョブズだ。
真似して、意図的に作れるものなのだろうか。
彼の破天荒な生き方と強い意思、燃え盛る情熱、突き抜ける野心を受け入れる土壌・器量は、この国には無い。
「和製ジョブズ」を作れるものであれば、是非ともやって見せて欲しい。下手をすると、ただ自分勝手なAHOoooを量産するだけだ。
「奇想天外で野心的な課題に挑戦すること」を ”ジョブズ” と呼び、300万円の国家補助を出す事がAppleに匹敵する起業・事業創世のさきがけになる、と考えている日本政府の陳腐な発想とセンスに脱帽。
こんな恥ずかしい想いをしたのは久しぶりだ。
真似をして、そしてそれでも負けてしまう・・・、という先例。
よく噛み締めるべきだと思う。
役人達は、USAのパイオニア・スピリットを甘く見過ぎている。
お金をだせば、それが真似出来ると考えている。
そして ”ジョブズ” の名を軽々しく使っているくせに、その「何たるか」を分かっていない。