やめる勇気
台風11号が接近している。
この煽りを受けて、第96回全国高校野球選手権大会の開会式と初日の対戦試合が中止された。
高知でのよさこい祭りの前夜祭も同様に中止。
巨大台風が間近に迫っている事からも、やむを得ないし、関係者の妥当な判断だと言える。
昭和の頃の台風は、甚大な被害をもたらしたものもあり、後日、固有名詞が付けられている。四国、近畿を通過したものとしては、「伊勢湾台風」「第2室戸台風」等が有名だ。
今回の11番目の彼女(台風)は、「第2室戸台風」のコースと似ている。
近年、このコースを通る台風が皆無であった訳では無いが、過去には空前の被害をもたらしている。用心に越したことは無い。
一方、台風とは関係ないが、弘前ねぷた祭りで事故があり、そのため行事は中止の決定がなされたとのこと。
こちらは、突発的な事故であり、台風通過を予測した上でのリスクマネジメントとは性質が異なる。
「何も中止しなくとも・・・」
「せっかく、遠くから見に来たのでやってほしい」
「実行することが故人の弔いになる」
等、種々意見は出ているようである。
3番目の意見は、個人的には如何なものかと思う。これを口にしていいのは遺族だけの筈だ。他人が言うと「何があっても私はやりたい」と聞こえる。
少し前の話であるが、某コンビニがフォアグラ乗せハンバーグ弁当を発売中止にした。ほんの数件のクレームをもらっただけで・・・。
私は、こちらの方は、過剰反応し過ぎだと思っている。
別の話・・・。
バブルの頃、とある日本企業に赴任していた海外からの派遣員が業務を終え、帰国することになった。
日本側のスタッフは、送別会を兼ねたゴルフコンペを企画した。
よくありそうな話だ・・・
ところが、コンペ当日はたまたま暴風雨になった。
スタート前、幹事を含めた関係者が集まり、プレーするや否やを相談した。
彼らは、せっかく準備した会だし、送別を兼ねているのだから出来る限りプレーをやるべきだ、と判断し風雨の中、コースへ出た。
数時間後、散々な目にあってクラブハウスに戻ってきた海外派遣員は言った。
「日本人は、何でこんな嵐の中でプレーをするんだ。クレイジーだ!」
・・・・・・
日本人は、一旦行動を起こすと、それを中止する判断が出来なくなることがあるらしい。
リスクマネジメント以前に、「せっかく」や「もったいない」との感情が脳を支配するのかも?
あるいは、先日述べた「戦争を止められない」のと同様、そもそも行動を起こす/やめる、の論理的判断基準を持たないから、かも知れない。
話は飛ぶが、アテネオリンピックを前に野球代表チームの監督であった長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れたのは、2004年3月4日のこと。日本中の多くの野球ファンが長嶋氏の病状を心配した(私もその中の一人)。
しばらくして、長嶋氏は意識を取り戻し重大なる危機は去ったように伝えられた。
オリンピックが5ヵ月後に迫る中、関係者は長嶋氏の回復可能性を探りつつ、後任監督の人選を進めていたことと思う。
しかし、監督交代が発表されたのは8月に入ってから。
何と、オリンピック開会の直前であった。
長嶋氏本人の強い希望もあったとは想像するが、私は、関係者がここまで監督交代を引っ張った根拠が理解出来ない。
脳梗塞で倒れた人間が、たった5ヵ月間で完全回復し、イチローが神経性胃炎をかかえてまで戦わざるを得なかった重圧いっぱいの国際試合の監督を最後まで全うすることが出来る、と考えることが異常だ。
私は、野球関係者が「長嶋を外すことはタブーだ」と言い、マスコミが「長嶋が采配を振るえば盛り上がる(あるいは金メダルをとれる)」と考えていたこと自体がクレイジーだと思う。
一体、人の命を何だと思っているのだろうか。
マネジメント以前に、想像力がなさ過ぎる・・・
このエピソードをとってみても、私達の住む社会には、常識の無い人、リスクマネジメントの出来ない/考えられない人、がうじゃうじゃいることが分かる。
そういう人たちは「論理的」にものごとを考えることが出来ないのだ。
日本人すべてがそうとは言わない。
しかし、相当数いる、と思っている。それも、組織の上の方や、ある意味で有名な方々の中に・・
お祭りや高校野球は中止されたが、台風が来るのだから仕方ない、と考えることにしよう。
常識としての「やめる勇気」を持とう。
「今さら」とか「せっかく」とか「もったいない」に引きずられてはいけない。
それらの感情は、時に決断を誤らせる。