罪深い代行
8月も明日でおしまい。
長い夏休みを過ごしていた学生さん(子供たちも)は、今、憂鬱な気分でいるに違いない。
他人の不幸は蜜の味・・・
今、夏休みの宿題代行業がちょっとした話題になっている。
私も、この間、たまたまでTVニュースの特集で見た。
算数ドリル、漢字の書き取り、作文、果ては読書感想文、自由研究まで扱ってくれるらしい。
対象顧客は小学生だけでなく、大学生のレポートや論文もOKだと言っていた。引き合いも多く、大層繁盛しているらしい。
脳科学者の茂木健一郎氏は、そもそも夏休みに宿題を出すこと自体を批判されている。それは、「夏休み」本来の趣旨を蔑ろにする教師の自己満足であると。
一方、教育評論家の尾木ママは、「不正行為、犯罪に等しい」と発注する側(主に子供達の親)を強く批判している。子供達にマネーパワーの歪みを教えることになると。
どちらの仰ることも道理だと思う。
また、代行業を使う側の親達の言い分・論拠には確かに同意し難い。
世の中に、物事の本質を見間違える愚か者がいることは既知であったが、ここまでやるか?と思ってしまう。
呆れる。
小学校の何年生の頃であったか思い出せないが、夏休みの宿題に40問のドリルを渡されたことがある。
「1日1問。40日間かかさずやりなさい」ということ。
私はこれを夏休みの最後の3日間でやった記憶がある。
死ぬか、と思った。
そして、「毎日積み重ねていくことが大切である」ことを学んだ。
・・・
しかし、大人になってもそのことは役に立っていない。
性格的に、毎日、他人に命じられた積み重ねの行動をすることは私にはムリ。そんなこと無理してやるとストレスになる。精神衛生上良くない。だから、やらない。
もし、やっていれば大成して、今頃、総理大臣になっていたかも知れない(ウソ)。
でも、やっていれば良かったとも思っていない。
私は違ったアプローチで自分の信じた努力をしている。その中に些細な毎日の積み重ね行動もある。
これは、自分で考え決意したからできることであって、他人からとやかく言われても出来ない。
茂木さんの言う通り、夏休みの宿題が今の自分にとって役立っていることがあるかと考えてみると、人生における知識、経験、意識、姿勢の全ての面で役には立っていない、と思う。不幸であったとも思っていないが。
一方、宿題の無かった中高生の頃は、夏休みは部活でバレーボール漬けだった。ずっと、ボールを追っかけていた。
これは、心身の面で私の血となり肉となっている。人格形成をしていく中で替え難い経験であった。
「長い夏休みを有意義に過ごす」
「有意義に」と考えるから話が面倒になるのかもしれない。
「私にとって今最も有意義なことは何?」と、小学生たちが考え、想い悩む必要がないように、予めノルマ、目標値を与えておこう、という発想をしているのが先生側。
茂木さんはアイデンティティ重視の方だから「そんなこと自分で考えろ」「何もしないと決意することも立派」とポジティブに考える。リスクはこちらの方が大きいが・・・。
私も人の親としては、放任には一抹の不安が伴う。自分自身は全然宿題をしなかったくせに・・・
子供たちが、自分で考えて目的を設定し、実際に計画し、実行して、何かの目標を成し遂げる(結論を得る)。いや、必ずしも達成・完成しなくても良い。
これを実験してみるのには、夏休みという長期休暇はもってこいだ。本来、先生方が求めていることもこういうことなのだ、と思う。
私自身が大人になった今、子供たちには、是非そういう実体験をしてもらいたい、と思っている。親の一人として。
でも、言われる側としては鬱陶しいよね・・・。よく分かる。
一体、何がベターなんだろう。
でも、これだけは言える。
宿題代行業などというものが存在すること自体が、この国に偽装や捏造を生む土壌となっている。
ニーズがあるから商売になる、と業者は居直るだろうが、それは不倫や売春を肯定するのと同じ理屈。商売になるなら、何をやっても良いというものではない。
そんなもの「必要悪」として認めてしまうと世の中の仕組みがおかしくなり、モラルが崩壊する。
ダメだよ、それは。
世間は、STAP.小保方さんのミスを責めまくっている。
でも、彼女はコピペをしたが、論文を業者に丸投げした訳ではない。
共同執筆者はいるが、基本的に論文の執筆は彼女自身で行っている。
研究も自身が行っており、STAPの存在真偽はグレーゾーン上で、現段階では彼女が意図的に捏造を行ったとは言い切れない。
一方、代行業のやった宿題やレポート、論文を自分の成果として、文教組織に提出する行為は、彼女のとった行動・結果よりも罪が深いと思う。
金銭授受が伴っており、発注者側は「確信犯」である。
この代行は、いただけない。