労働者派遣法の意味すること(1)
私の名は、デューク西郷。
東京都内にある、とあるIT企業に派遣されて早いもので5年になる。
仕事の内容は、端末操作に関する問い合わせ対応だ。この会社では業務用PCに自社開発のERP(統合基幹業務システム)をバンドルしているため、社員がその操作に迷った時の為に、専用の問い合わせ窓口を設置している。
私は、そこ(社内ではヘルプデスクとも呼ばれている)でERPの操作方法全般に関する問い合わせ対応を担当しているのだ。
派遣社員として赴任した当初は、慣れないERPの仕様理解と問い合わせ対応に苦慮したが、1年も経つとそれにも慣れてきた。
今では、大概の問い合わせに対し、的確な回答ができていると思っている。
ここには、過去の問い合わせ内容とそれへの対応指示をデータベース化しており、端末から問い合わせに関する主要なキーワードを入力すると、想定される「対応指示」が自動的に画面に出力される仕組みが出来上がっている。
このデータベースの内容は素晴らしく、問い合わせの90%までは、この仕掛けによりオートマチックに回答出来る。バックヤードにいる専門部隊に、問い合わせ内容をエスカレーションすることは稀だ。
さあ、今日も頑張って問い合わせ対応を行うとしよう。
・・・・
午後を少し過ぎた頃、管理者(スーパーバイザ)が一人の見知らぬ男性を連れて私のいるブースにやってきた。
「西郷さん、少し手を止めてもらえますか」
「リーダー、何でしょうか」
「この方からの質問に簡潔に答えてほしい」
「失礼ですが、どなたですか?」
「労働基準監督署の”ゆず”と申します。西郷さん、私は今、この会社の現地査察を行っています。この会社が受け入れている派遣労働者の業務実態について把握するためです。私の質問に正直に答えて頂けますか?」
「は、はい。もちろんです。」
ろうどうきじゅんかんとくしょ、って何だ?
USA生まれで、つい10年ほど前に母の生まれ故郷である日本にやってきた私は、日本の行政機関の仕組みはよく分からない。
この人は一体誰なのだろうか…
・・・・・・
「西郷さんの業務内容を教えて下さい」
「はい。当社の業務用アプリに関する問い合わせ対応です。」
「西郷さんは派遣社員ですね。いつから、この会社で今の仕事についていますか。派遣された理由は何ですか?」
「この仕事についたのは約5年前です。在籍する派遣会社から、この会社の社員に対し、社内専用業務ソフトの運用支援をやるように言われました。」
「そうですか。その業務ソフト、業界ではERPと言うのですか?そのERPの操作は高度なITスキルや専門業務の知識が要求されるものなのですか」
「いえ。特別なITスキルは不要です。規則で決められた通りの手順に沿って、所定のデータを投入すれば必要な処理は実行されます。ただ、社内業務の仕組みをある程度理解できていないと、自分がPCに向かってやっていることの意味は理解できないかもしれません。」
「そうすると、西郷さんのやっている業務は、社内業務の仕組みや、ERPの内部構造に対する専門知識がないと担当出来ない類いの仕事になるのでしょうか」
「以前ではそのような要素もあったと思います。しかし、今は違います。問い合わせ対応用のDB/ナレッジシステムが出来上がっていますので、ある程度の訓練と経験を積めば誰でもできるようになると思います。現に私がそうでした。」
「問い合わせをしてきた社員に対して、特別な技術教育を施したり、特定の専門知識に関する情報を提供することはありますか?」
「まれにありますが、あくまでもレアケースです。私の仕事はあくまでも運用支援・問題解決ですので…」
「西郷さんは、今の仕事、派遣業務ではありますが、今後もここで継続する意思はありますか?」
「あります。5年間、この仕事をやってきてようやく一人前と言える仕事ができるようになったのです。これまで指導して下さったリーダーの方々に対しては深謝に絶えません。対応した際に感謝を表されることも中にはあり、そのような時には、『この仕事をやっていて本当に良かった』と思ったことは何度もあります。」
以上のような、何でもない会話が「ろうどうきじゅんかんとくしょ」との間で交わされたのであるが、一体、この会合がもたらした効果・実益とは何だったのであろうか…
数日後、デューク西郷はスーパーバイザから派遣契約を打ち切るので、派遣元に戻るよう言われた。
その理由を尋ねると、現状は労働者派遣法に反する業務実態にあるので、直ちに是正するよう当局に指導されたからであるとのこと。詳しい理由は「ヒドラ」の上長に聞けとのことだった。
西郷には訳が分からなかった。
何か自分がこの国で不都合でも起こしたのであろうか…
・・・ to be continued