オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

忌むべき思想

 あの日から30年が経った。

 今日のTV番組は、あちこちで ”あの事件” の特集を組んでいる。

 今年は、あの大事故からの節目にあたる年である。

 そもそも、今回に限らず、過去からの教訓を得る意味で振り返る意義はあると感じている。

 何年か前に、事故時のボイスレコーダーの内容がTV番組で公開された際、その内容を聞いて戦慄を覚えた。過酷な状況下で、パイロット達が墜落を逃れるために獅子奮迅の働きをしていた事実を知り、胸の圧迫が押さえきれなかった。

 機内にいた乗客達の恐怖を想像すると言葉が出なかった。

 尾翼を失った飛行機は舵が効かないため、パイロット達が、右に左にバンクしながら何とか飛行高度を維持しようとしていたことは、その飛行航路を見れば理解出来る。

 あの蛇行の軌跡は、関係者の渾身の努力を物語るものだ。

 

 どうすればあの事故を避けることができたのかを考えることは、今でも十分に意義のあることだと思う。

 危機管理、安全管理の重要性を考える上で、極めて重大な教訓を残した事故である。

 改めて、犠牲者の方々の冥福を祈る次第である。

 

 墜落したジャンボジェット機は、ボーイング社製だった。

 過去に尻餅事故を起こした際のメンテナンスの不十分が事故の起因になったとのこと。

 私達にもっと十分な保守技術があれば、あの事故は避けられたのであろうか。

 または、そもそも国産製であれば、あの事故は起き得なかったのか。

 ボーイング社の整備指示に対する瑕疵があったことは事実であろうが、その技術供与を受けていた日本人の私達に、もっとできる努力は安全面でなかったのであろうか。

 

 純国産の大型商用ジェット旅客機は、現在に至っても私達は持ち合わせてはいない。

 その ”技術” がないからだ。

 だから、大型商用ジェット旅客機は輸入している。

 その遠因は、先の戦争に負けて、USAから永らくジェット機製造を禁止されたからだと聞く(国産プロペラ機であればYS-11がある)。

 そう言えば、昭和の時代、日本航空をはじめとする航空会社の振り切った高処遇制度の理由は、終戦後、パイロットが国内で調達出来ないため、わざわざ国外から外国人を雇ったことに起因すると聞いたことがある。

 パイロットに併せ、スッチー(CA)が当時、ハイヤーで最寄りのホテルから送迎されたという厚遇の理由もそれによるものらしい。

 当時の日本は、情けないことであるが、特攻隊員にパイロットを消耗してしまい、人材が残っていなかったというのだ。 

 

 なんだか、本当に情けない話である。

 終戦後、暫くの間、日本には飛行機もなければ、操縦者もいなかったのだ。

 だから、一時期、それに携わる人達は一種の特権階級でもあった。

 あの業界は、永らく私達日本人の憧れの的でもあったのだ。

 飛行機を飛ばす、ということ自体が…

 

 日本の航空機業界の安全を確たるものにするには、少なくとも国産技術による航空機開発は必須であろう。

 他人の作ったものを使っておいて、その運用において完璧なる安全システムを構築することなど不可能だ。

 その意味で、日本は「飛行機」や「ジェットエンジン」について先進国ではない。

 まだまだ、他国に学ばねばならない部分がある。

 私達には、未だ熟知していない技術分野が多く存在するのだ。その事に対して、私達はあくまでも謙虚であるべきだと思う。

 

 昨日(11日)、川内原発が再稼働された。

 このことについての議論は尽きない。

 今朝の日経新聞には、原子炉の加圧水型と沸騰水型の構造比較記事が掲載されていた。

 この手の技術項目が新聞に紹介されること自体が珍しいとも思えるのであるが、その内容を理解出来た国民は、一体どれほどいたのだろうか。

 

 何故、国内には大きく2種類の原子炉技術が存在するのであろうか。

 ・・・

 その理由は、端的に言うと、炉の設計がGE(General Electric)かWH(Westinghouse)かの違いなのだ。

 原子力プラントも、ジェット機と同様、輸入技術なのだ。

 東芝製=WH、日立製=GE、だ。

 私達は、生活の根幹にかかわるエネルギー生産技術を外国に頼っている、とも言える。

 この事実は、戦後70年変化していない。

 私達の生活の安寧は、USAのおかげです…

 

 最近、「日本や日本人は凄い」との論調の書物やTV番組を目にすることがある。

 愛国心は大いに結構。

 しかし、「日本人は手先が器用」とか、「日本民族は繊細で感性に優れている」、ひいては「日本人は勤勉で真面目で優秀」とかいう言説は本当なのか?

 何をもってそんなことを言えるのであろうか。

 少なくとも、私はドイツやイタリアの方々は、十分に手先が器用だと思っている。

 私は「日本は凄い」というような表現は忌々しいと感じている。

 70年前まであった選民思想に通ずるようなものを感じて気持ちが悪い。

 自分たちのことを卑下する必要はないが、他民族よりも「優秀」であると確たる根拠を持ち合わせず考えることも、言葉にする必要もないと思う。

 何故、そのようなことを考えねばならないのか?

 何故、そのような思想をもつ必要があるのか?

 

 私達には学ぶべきことが多くある。

 原発に関してだけでも、私達日本人は、「スリーマイル島原発事故」「チェルノブイリ原発事故」の双方に学んだとは言い難い。

 私達は本当に優秀な民族なのか?

 

 「すごい国、ニッポン」という前にやっておくべきことはある。

 あれから、30回目の夏を迎えて改めて思う。