社会はたるんでいない
東京オリンピックエンブレムは、ついに採用が白紙撤回された。
メインスタンジアムである国立競技場に続き、イベントの重要項目に大きなケチがついてしまった。
当然、あちらこちらから、選考過程について批判がでている。
密室でセンスのかけらもないおっさんたちが勝手に決めるからだ、と元TVキャスターの長谷川氏はブログで発言している。
確かにそうかもしれない。
本件の選考過程に関連して、経済同友会の小林代表幹事は「社会全体がたるんでいるんじゃないか」との苦言を呈している。
彼が何を根拠に「社会全体のたるみ」を指摘しているのかは不明である。
しかし、特定関係者や組織・機構ではなく、日本全体がオリンピック開催に関連し「たるんでいる」と発言している。
これに「カチン」ときたのは私だけではあるまい。
「たるんでいる」のは、国立競技場の問題を見ても明らかなように、政府・役所・組織委員会の関係者である。
一般国民は、今回の一件については問題指摘について逆に「貢献」をしている。
そもそも、佐野氏のデザインにはオリンピックエンブレムの他にも模倣がある、との具体的な指摘をしたのは「国民」だ。インターネットを通じて。
例のトートバッグを始めとして、ネチズンから指摘された「パクリ」の具体例は数多い。
彼ら(ネチズン)は、具体的な証拠を示して指摘・警告しているのであり、関係者のおっさんたちの言い訳よりも、はるかに現実的な対応だったと言える。
経済同友会は発言を撤回・修正すべきであろう。
「たるんでいる」のは社会ではない。
本件に関連し、インターネット社会は「たるみ」ではなく、「健全性」を示したのだ、と言える。
モワッとしたものに責任を求める経済同友会の姿勢こそが問題だと思う。
ある意味、日本の企業経営者の体質を示した発言と受け取れる。
今回のエンブレム騒動を踏まえると、デザイン案を国民の投票で決めることも一案かもしれないと思う。
少なくとも投票者からは「これ、XXに似てね?」とのパクリ指摘は頂ける。
我々はデザインに関しては素人であるが、密室のおっさん達よりはマシかも知れない。
今回の騒ぎを通じて、素人の視点が偏狭な専門性を上回ることもある、との一例が示されたのであり、これは痛快なことでもあり、また不安なことでもある。
今後、具体的な大会運営について検討すべきことは山ほどある。
開会式や聖火リレーのプラン、各種競技の会場設営、選出村の運営、来訪者の受け入れ態勢等々…
プロジェクト遂行にあたり、重要なことは責任と体制を明確にすることだ。そして何よりも、強いリーダーシップ。
2020年まであと5年。
東京オリンピック・・・、本当に大丈夫なのか。