役満は自摸るしかない
随分、前の記憶。
南場の何局目であったかは覚えていない。
好調なツモにより私は10巡目辺りで聴牌した。手の内は大三元、対々和の ”中” 待ち。自摸れば「大三元・四暗刻」のダブル役満だ。
私は敢えてリーチをかけた。
理由は正確には覚えていないが「今日のメンバでは、その方が当たり牌が出易い」と判断したからなのは間違いない。
記憶では、場に三元牌はまだ出ていなかったと思う。私の捨牌からは手役は平和系に見えたはず。序盤戦であるが故に、
「字牌なら出る」
恐らく私はそう考えていた。
その時、下家のAが追いかけリーチをした。
Aは、顔を覗き込ませて言った。「ゆず、どんな手?」
私の手牌を見て、Aは絶句した。何も言わなかった。
上家のUが「ゆず、でっかいの?」と聞いた。
「まあまあ」
このやりとりを対面のHがじっと見ていた。そして、呟いた。
「ハハ〜ン」
私はマズイと思った。彼を引っ掛けようと思っていたのに、Aの反応で手牌を読まれたような気がした。
この場面、例えば私が、純全帯・三色同順・一盃口・ドラ2を聴牌していたとしても、恐らくAが示した絶句の表情にはならない。
「でっけ〜」って顔をするくらいであろう。
Hは恐らくAの表情から私の手牌を読んだ。
「恐らく役満。それは三元牌が捨てられていない場を見れば分かる。恐らく国士無双ではない。『大三元』だ。」
そして、その読みは当たっていた。
私は、Hに恐らく上がり牌を読まれたことを覚悟した。
Aが私の牌列を覗き込んでこなければ、こうならなかったかもしれないが、今さらそう言っても仕方が無い。
「ここは自摸るしかない」
役満を目指す故に、そう考えた。
結果、この場は流局となった。見事なのはHである。流局になって手持ちを開いた時、Hの手牌の中には しっかりと ”中” が握られていた。
「やっぱりね。ゆずは危ね〜わ」
Hはそう言ったが、私はこの勝負に負けたことを自覚した。
このこと以来、私は自分の手牌を他人に見せることを止めた。リーチをかけたら直ちに牌を伏せることにしている。
「でかい成果を目指すのであれば、他人に頼ること無く自分自身の手で成し遂げねばならない。そして手の内は見せるものでは無い」
麻雀で得た人生の教訓だ(実はそんな大袈裟なものではない…)。
麻雀には、さまざまなローカルルールがあり、それが不便であり、また楽しくもある。
私は横浜に出てきて、あちこちの人達と麻雀をやってみてそのことが興味深く、また、楽しかった。
・ゲイシャ
・ワレメ
・花牌
・タテ/ヨコのウマ、等々
まあ、色々と考えるものだわ。
しかし、様々なローカルルールの中で、やはりゲーム実行に当たって、よく調整に苦労したのは下記のもの。
①ルールは「ありあり」or「なしなし」→ものすごく揉める
②ウラドラ、カンドラの扱い
③ダブル役満の取扱(何に適用するか)
④大車輪は役満とするか
そして、これらに加え事前の合意形成を忘れていると思わぬ時に揉めてしまう役満ルールがある。
無さそうで、意外と起こり得る。
それが「人和(レンホー)」だ。
これは、「地和(チーホー)」から派生した役満だと推測するのであるが、地家が1巡目に自摸るのではなく、場に捨てられた不要牌を当たるのが「人和」。
細かな定義では「上家の捨牌にしか当たれない」とのルールもあるそうだ。
私の友人達は、1巡目全ての捨牌に当たっても「人和」としていた。比較的柔らかい取扱だったようだ。
この手牌、珍しいことは確かなので、その取扱を満貫とするか役満とするか、それはその地域各々の価値観として決定されていたのだと思う。
・・・・・・
妻は「悪くないね。ビジュアルとイメージは大切だよ」と言っている。
まあ、頑張って下さい。
しかし、ひとつ言いたいことがある。党の幹事長が野田佳彦だと?。
「人和」いや「蓮舫」は、一体何を考えている?
今さら、この男を党の幹事長に据えるだと?
わざわざ、あの忌まわしい記憶を我々に思い起こせとでも言うのか?
こやつの顔なぞ、見たくもない!
こう思うのは私だけだろうか?
「マニフェスト」
この 本来は堅い意味を持ち、しかしフワッとなっていた”日本語” を日本から駆逐したのはこやつだ。
21世紀においてさえ「政治家は約束を守らない」「政治家は汚い」を実践して見せたのもやはり、こやつだ。
私は約束を守らない人の形をした生物を、生涯絶対に許さない。
若い頃のほんの少し間、政治に関わったことのある者として、これは絶対の不文律だ。
蓮舫代表には、幹事長がどのような人物であれ、頑張ってもらいたいと思っている。
そして、あなたの名が示すように、大きな成果は他人に頼らず、自らの手で刈り取ってもらいたい。
役満はツモるものだ。