オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

road to kamakura

 1333年5月7日、遂に足利尊氏丹波国篠村から陣を動かした。

 鎌倉の北条家を攻撃するためである。

 これに呼応し、新田義貞稲村ヶ崎から鎌倉市内に突入したのは5月21日とのこと。

 一瞬、磯から潮が引いた機会に、あの岸壁を回り込んで進軍したらしい。

 これに先立ち、彼は黄金の太刀を海に投げ入れ龍神に祈願したと、地元には伝承されている。

 「なげ入れしつるぎの光あらはれて千尋の海も陸となりぬる」

と、稲村ヶ崎の歌碑にある。

 

 この逸話の背景には、鎌倉が三方を山に囲まれ正面には海がある、という防御するには打って付けの地形であったことが挙げられる。この地を幕府の拠点としたのは頼朝の達観である。

 彼は自然が形成した立地を開発・活用し要塞とした。その跡形の一つが「切通」(きりどおし)である。

 鎌倉には7つの切通がある。

 

亀ケ谷坂(かめがやつざか)

化粧坂(けはいざか)

巨福呂坂(こぶくろざか)

大仏切通

極楽寺切通

名越(なごえ)切通

朝夷名(あさいな)切通

である。

 

 どれも、鎌倉から大船、藤沢、京都、三浦、六浦方面へ、人や物資を行き来させるために山を切り開いて道としたものだ。

 鎌倉七口と名付けられている。

 この中の名越切通は、海沿いからではなく、小町から山を超えて直接逗子へ通ずることができる道だ。

 昨年の秋、名越に行く機会があった。

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この下は横須賀線が走っている

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 大町口からひたすら山道を登る…

 

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 今は、海岸沿いの134号線が整備されているので、敢えてこの道を選ぶ人はいない。

 しかし、地元のピクニックコースとしてはそれなりに有名。

 実際に歩いてみると、結構な難所である。

 昨年の台風19号の影響で、道のあちこちで倒木があったが、散策するのに問題はない。

 さて、大町口から30分程度、名越切通を越えると崖を切り拓いた遺構が見えてくる。

 「まんだら堂やぐら群」だ。

 

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2m四方の穴が150以上ある

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13世紀後半から16世紀頃まで使われていたらしい

 やぐら群の中には、五輪塔と呼ばれる供養塔がおかれている。

 5つの石を重ねたものであるが、下から地輪・水輪・火輪・風輪・空輪と呼ばれており自然界の5大要素を示すとのこと。

 大変厳粛、壮大な遺構であるが、いつ・誰が作ったものか分かっていないらしい。鎌倉にまつわる謎の一つ。

 「まんだら」(曼陀羅)と呼ばれていても、特段、仏教色を感じさせるわけではない。

 しかし、使われた時期から考慮して、鎌倉時代の寺社関係者が造営したことは間違いないであろう。

 

 ここは、いつでも見学できるわけではない。

 毎年、4月と10月の一定期間しか公開されない。

 私は、昨年秋、妻から誘われ鎌倉に行った際に足を伸ばした。

 これだけの大規模な遺跡は、大変珍しいとのこと。

 鎌倉観光の一環として、是非お勧めしたい。

 

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そばには断崖もある

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日蓮宗法性寺の近くにあるお猿様

 まんだら堂辺りの地名は「お猿畠」と呼ばれている。

 これは、鎌倉を追われた日蓮上人が、この付近で3匹の白猿に助けられたという伝承に因むらしい。

 ここにも日蓮の足跡を見ることができる…