オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

しぐれて友の野辺送り

 今日、先輩の告別式に参列した。

 突然の訃報に驚いた。そういえば、最近、社内で姿を見かけなかった。

 周辺の人たちに聞くと、昨年の夏辺りから闘病されていたらしい。

 全く知らなかった。

 とても優しい人で、入社して知り合って以来、よく声をかけて頂いていた。

 若い頃に、戸塚の飲み屋で偶然出くわして、2次会でカラオケを一緒に歌った記憶がある。

 つい、この間あった時も、いつも通りニコニコしていた。

 享年60歳とのこと。

 霊前で手を合わせ呟いた。

 「先輩、ちょっと早かったね…」

 

 野辺送りは辛い。

 棺に花を添える時の遺族・親類の方々の嗚咽に私は耐えられない。

 そもそも、涙もろい。

 EQスコアを見ても、共感性の部位が特に高く、周りに影響され過ぎな資質である。

 葬儀のセレモニーは苦手だ。いや、得意な人はいない。

 今日、礼服を着て黒いネクタイを締めたが、正装なんて一体何年振りだろうか…

 

 ふと、昔のことを思い出した。

 20年程前、某組織の代表であった私は、メンバの葬儀にとある街に行くことになった。

 聞いたこともない土地である。交通手段も詳しくは分からない。

 そんな時、事務所の電話が鳴った。

 「ゆずさん、彼の葬儀に行ってくれると聞きました」

 「うん、直接面識はないけど仲間だからね。焼香だけはさせてもらうつもりだ。」

 「ありがとうございます。彼は僕と同期入社なんです。」

 「そうか、残念だったね。お悔やみを言うよ」

 「彼の葬儀には、同期の仲間たちと一緒に行くつもりです。彼の実家は、かなり、駅から距離のある場所なので私たちは車で乗り合わせて行くつもりです。もし、予定がないのであれば、私たちの車に同乗されませんか?お互い、不便がないと思いますが」

 「えっ、いいの?同期の皆に混じっちゃって。」

 「良いですよ。そもそも、僕らの同期は先輩方に比べると圧倒的に少ないんです。そんな中で、私たちの友人の葬儀に来て下さる先輩がいるのなら、是非ご一緒したいです。」

 「なんか、ウルッときた。ありがとう。喜んで提案に乗るよ。」

 私は、およそ10歳くらい年下の若者たちと数時間の車旅をした…

 

 私が以前いた会社に就職した時は、「SEが百万人足りない!」と日経は吹聴していた。

 大学卒のコンピューターエンジニア志望者は引く手数多だった。

 私が入った会社も、数年前から300人規模の大量採用を行っていた。

 そんな中、バブル終焉後のまさに「失われた10年」にさらされた彼らの同期入社数はなんと50人だそうだ。

 当時、我が社は既に社員4000人を超え、売上は2000億円を越していた。

 そんな中で、50人という同期数は当時の我が社では過去に例がない少数派だった。

 だが、それが彼らにとって特別な意味があった訳ではない。

 私に連絡をとってきた彼は言った。

 「先輩方が羨ましいです。同期入社の仲間が多くて。でも、私たちも良いところがあります。数が少ない分、関係性が濃いんです。より深く同期の個々の部分を知っている。理解している。」

 「すごいね。」

 「彼の見送りにあなたが来てくれて嬉しいです。」

 「いい仲間だったんだね」

 「はい」

 彼らの親しい友人の告別はしめやかに行われた。

 ご両親とも話す機会があった。

 大層、参列に感謝されたがそんなお気遣いをされるようなものではなかった。

 組織の代表として行っただけだ。にも、かかわらず、社内の彼を含めて随分と気遣いをさせてしまった。

 申し訳なかった。

 だが、彼らとともに、仲間を見送れたのはよかった。

 帰りの車中で、彼らの会話を聞いていて本当にいい仲間だったんだな、と改めて思った。

 

 数ヶ月後、彼から連絡がきた。

 「彼の墓参りに行って来ました。丘の上から故郷が見渡せるとてもいい場所でした。ゆずさんとは短い旅でしたが、彼もきっと来てくれたことを喜んでいると思います。」

 

 これまで生きて来て、こんなさりげない、胸に刺さるメッセージをもらったことは後にも先にもない。

 今、彼ら・彼女らはどうしているんだろうか。

 

 本当に、久しぶりに葬儀の場に行った。

 自分もそう長くない将来、同じ境遇にいると思う。

 それも宿命。

 

 先輩、本当に早過ぎたね。

 

 「蝉時雨、しぐれて友の野辺送り」

 

  野辺送りは苦手だ…