オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

翼あるもの

 以前に記した「市民革命の歴史」は、1848年の3月革命までの経緯である。

 さて、歴史には当然のことながら続編がある。

 フランスの3月革命は欧州の各王国に飛び火した。

 ”革命” は、プロイセン、イタリア、イギリス、ベーメン(ウィーン)、ポーランドハンガリーなどに一大市民運動を起こさせた。

 それらの多くは失敗に終わるが、社会主義者(=労働者たち)の台頭により、”ウィーン体制”も終焉を迎える。のちにこの欧州の一大ムーブメントは「諸国民の春」と呼ばれるようになる。

 果たして、この時期、大国帝政ロシアは何をしていたかと言うと、欧州の東方に進出し勢力拡大を図っていた。1849年のハンガリーの民族運動にも介入し、これを鎮圧している。ワルシャワ公国もすでにロシアに編入されていた。

着々と欧州各国の領土侵入に邁進するロシア。この時、思わぬ事が起きる。

フランス=ナポレオン3世が、聖地エルサレムの管理権をオスマン帝国から奪い取ってしまったのだ。

 この時代、パレスチナオスマン帝国の領土内にあったが、古からこの聖地の管理権は、カトリック教会とギリシア正教会の間を行ったり来たりしていた。

 16世紀以降は、フランスが保有していたが、フランス革命の際にロシアの横槍により、管理権はギリシア正教会に渡っている。これをナポレオン3世が、オスマンに政治圧力をかけ、カトリック教会に貢物のように渡してしまったのだ。

 これに、ロシア皇帝ニコライ1世は激怒。ギリシア正教徒の権利回復と保障、聖地管理権の返上をオスマン帝国に要求した。

 オスマン帝国は、正教徒の権利回復は約束したものの、管理権については「大きなお世話。内政干渉すんな!」と突っぱねた。

 オスマン帝国のこの態度は、ニコライ1世に領土拡大の絶好の口実を与えた。

 1853年10月16日、ロシアは5万の大勢力をもってオスマン領への進撃を開始した。

 オスマン軍とロシア軍は、クリミア半島で激突した。

 クリミア戦争の始まりである。

 この戦争には、結果としてイギリス、フランスも参戦し、オスマン帝国と連合軍を形成しロシアと対峙した。

 イギリスには、カトリック教会への管理権移譲に同国大使であるカニング公が関わっていることに加え、黒海の航行権を巡る思惑があった。黒海艦隊を巡る利権争いは、この頃から歴然と世界史の中に刻み込まれていたのだ。

 当時、”瀕死の病人” と揶揄されたオスマン帝国は、国力の低下からバルカン半島をはじめとする領土分割、帝国崩壊の危機的状況にあったが、イギリス・フランスの肩入れにより、ロシア軍と対等の戦いをしたと歴史の教科書にある。

 しかし、その戦闘の内実は酷いもので、両軍ともに支離滅裂な作戦指揮により決定的な勝敗がつかず、双方に甚大な人的被害が出るばかりであったという。

 悲惨な戦闘は、1855年9月10日のロシア・セヴァストポリ要塞の陥落で終結した。この難攻不落要塞での攻防戦は1年に渡って行われた。

 救いの無い戦場であったが、ここに天使が舞い降りる。

 名を「フローレンス・ナイチンゲール」という。

 彼女は、イギリス看護婦団の団長であった。

 彼女は、激戦地であるオスマン領スクタリ基地に赴き、そこに野戦病院を作った。そして、セヴァストポリ要塞攻防戦で傷ついた夥しい数の将兵を収容し治療に当たった。

 ナイチンゲール看護団の活躍は目覚ましく、それまで座して死を待つより他なかった負傷兵たちに希望の光を与えた。真夜中もランプを手に病棟を巡回し、傷ついた兵士たちに優しい言葉をかけ慰める姿はまさに ”天使” そのものであった。

 しかし、彼女はのちに有名な言葉を残している。

 

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」

 

 彼女が野戦病院で取った看護手法、衛生活動は、その後の医療のスタンダードになっているとのこと。また、万国赤十字社の基礎を築いたことも彼女の歴史的偉業、貢献である。

 

 

 今、彼女の意思・DNAを継ぐ人達が世界中で命をかけた ”闘い” を続けている。

 相手は、人間ではない。生物でもない。

 ウィルス。

 相手の正体は未だ不明だ。

 闘いが何時終わるのかも定かではない。

 それが、人々を疑心暗鬼に駆り立てる。

 その恐れが差別や偏見を生もうとしている。

 彼ら、彼女らを "媒体" として疑う卑しい思考だ。

 もし、高邁な職業倫理観のもと、犠牲的・献身的看護行動をとる天使たちに敵意が向けられるのであれば、それは敵がウィルスから人間に変わることを意味している。

 それは紛れもなく悪夢だ。

 

 「翼あるもの」には敬意こそが向けられるべきだと思うのだが、私は間違っているのだろうか…