オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

創造的破壊の誘惑

「政府は、社会保障の支え手拡大の観点から、企業に定年の引き上げなどを求めている。一方、新浪氏は社会経済を活性化し新たな成長につなげるには、従来型の雇用モデルから脱却した活発な人材流動が必要との考えを示した。」by 共同通信

 

 サントリー社長、新浪氏の「45歳定年制導入」については、世の中に一定の論議を呼び起こしたようだ。

 この荒唐無稽とも見える提言は、経済同友会の夏季セミナーにて飛び出したそうであるが、これに同意する経営者も複数名いたとのこと(具体的にどの程度いたのかは不明)。

 後に本人は幾ばくかの釈明をしたとのことであるが、何をどう伝えたかったのかについては、今もって私には不明。何をしたいのかさっぱり理解できない。

 冒頭の共同通信の記事引用にあるように、政府は労働力確保・年金財源確保のため「定年延長」を志向しているのであり「定年前倒し」は少なくとも政官からは出ていない。

 理由は、社会システムが維持できないからだ(そんなこと子供だってわかってる)。

 新浪氏は45歳定年制導入により「会社に頼らない人間」を創出できるとともに「20〜30代の若者は今よりももっと勉強する」ようになると述べているそうだ。そして、それが起業家の大量生産を促し、ひいては日本経済の活性化を促すのだと。

 まあ、ネットの賑わいを見るに多くのネット民はそれには同調・賛同はしていない。

 私も同調できない。

 新浪氏は自分の言っていることの意味を分かっているのだろうか。

 とはいえ、本当に45歳定年制を導入したら社会に何が起きるか?少し考えて見た。

 

 まず、企業側に起きること。

 45歳で定年だから、当然、45歳以上の社員・労働者・ブルーカラーは企業に存在しなくなる。今の会社に65歳以上の正社員がいないのと同じ(非正規であれば今もある程度は存在すると思う)。

 では、45歳以上の人たちが会社に存続するとすれば、一体それは何者?

 ”役員”だ。

 執行役員だとか取締役。専務や "しゃちょーさん"。

 課長とか部長は役員ではない。社員だ。だから、管理職も皆45歳未満。

 今と比べると随分若い管理職ばかりだ。

 この場合、一体何歳から管理職に登用されるのか知らないが、管理職とは言っても皆勤務経験はおおよそ20年未満。明確には想像できないが、大卒入社で7〜8年、30歳くらいで課長、35歳から40歳で部長。そして45歳で定年というパターンが考えられる。

 しかしながら、現実論として35歳で部長になったとして、その年齢・経験で重要な経営判断が果たして出来るのだろうか…。

 まあ、この仮想社会では超優秀な人でないと管理職にはなれないだろう。さもなくば、会社が潰れる。

 ここで起きるのは深刻な「人材不足」だ。

 まず、40代の働き手がいない。管理職のことではない。

 発汗作用を伴った実質労働をする者のことだ。

 真面目に一生懸命、24Hr365DAYS 働く社員のこと。

 日本は労働生産性が低く、真面目に働く中年が存在しないかの如く言われているが果たして本当にそうなのか?

 それが本当であれば、賃金が高く生産性が低い、いてもいなくても同じであるどうでもいい労働者がどっと消滅する事になる。

 それは素晴らしい。

 全企業に著しい中空構造が労務構成(人口ピラミッド)の中に現れることになるが、仮説が事実であれば社会全体の生産力は全く落ちない。

 街にホームレスが爆発的に増えるだけだ。これにより国の生活保障費は財源が枯渇する。

 私はそんなこと(何の影響もなし)はなく、国全体の生産力が壊滅的に落ちると想像する。

 事実は分からない。やってみるしかない。

 しかし、そのような社会システムの中にあって、企業は一体どうやって経営者・管理者を養成するのであろうか。知ったことではないが…。

 

 この仮想社会においては、会社の勤続は20年程度になるが、当然、初任給・賃金カーブ・上昇の加速度に変化はない。

 中年がいなくなった分、若手の賃金が劇的に上昇するなんて事は…起き得ない。この国では絶対に。

 余った金は全て経営者のポッポに入るか投資家に配当されるかのどちらか。

 お金は労働者に還元しても経営者には何のメリットもない。社員はとにかくただ働けば良いのだ。会社に頼るな、と新浪氏も言っている。

 労働者に分配はない。資本家に移動する。どれくらいの時間をかけては分からないが。

 今もそうであるが富は経営者や富裕層、投資家など「持つ者」にさらに集中する。著しい加速度で貧富の二極化が進む。

 一旦分化した資産・資金は経済学の唱える理想論とは異なり社会や階層を循環し再分配されることはない。そんな事は起き得ない。経営者や富裕層は社会資産を独占し続ける。

 やがて、そのことは階級社会を復活させる。そして富を有するもの(権力者)たちは、労働者階級の暮らしを継続的・永続的に圧迫させる。

 中世の欧州王たち権力者、富裕層(特権階級)が庶民に対しどう振る舞ってきたか、ハプスブルグ、ブルボン、ルイ王朝等の覇権の歴史を鑑みれば、資産の社会的再分配の結果は明らか。

 この国には200年ぶりにアンシャンレジームまがいの階級社会が復活する。欧州にではなくこの極東の島国に。

 欧州で同じことをしようとすると一揆や打ちこわし、革命が勃発するので、それは…無い。

 今更、欧州で極端な労働搾取は起きない。彼らはバカな政府や会社の言いなりにはならない。絶対に。

 彼らは国を社会秩序を壊してでも自分たちの生活・生存権は守る。そういう歴史をかいくぐってきている人達だ。我々日本人とは違う。

 自分の身は自分で守らないといけない事を身を以て経験しているのだ。

 特権階級の権力者の横暴が可能な先進国は、日本と中国だけだ。

 

 さて、45歳が苦役のGOALなら、35歳くらいで賃金カーブは寝るだろう(抜擢者とそうでないものに別れる)。賃金抑制の万有引力は今よりおよそ10年は早くなる。

 この定年前倒しがもたらすパラダイムは、流通業・サービス業のような元から非正規比率の高い業界にとっては大したことではないかも知れないが、製造業にとってのインパクトは凄まじい。

 熟練工の存在をベース・前提とする製造業は壊滅する。

 例えば、トヨタ自動車からは設計者も優秀なライン工もいなくなる。レクサスの流れるようなボディをハンマーで叩ける熟練工員がいなくなる。

 機械、ロボットがモノを作っている企業は平気だが、モノづくりに人手を介しているところは操業が維持できなくなる。その社会的影響がどの程度であるのか私には想像できない。

 つい数年前の台風19号の去った後の生産停滞どころの話で済まない事は間違いない。サプライチェーンの問題ではない。プロダクトの存続の問題だ。

 この国から匠の神業は死に絶える事になる。

 「幾ら何でもそんな事はない、起き得ない」と夢想している企業経営者は…結構存在する。

 

 働く側の変化はどうか。

 まずもって、今回の件、65歳まで働くことが「会社に頼って生きている」と経営者から解釈されていることを我々は自覚する。

 身を粉にして働き、休日を返上してまで会社発展に貢献している、と盲信していた企業人はこれを機に自我に目覚める。そしてとてつもない憤りを感じることだろう。

 事業発展のために身を削って働くリーマンがもし存在するのであれば、もうその生き方は止めた方がいい。

 経営者はあなたの献身を「全く評価していない」。

 果たしてそのような生物が現存するのかは知らないが。

 さて、45歳で定年である。

 30歳前で結婚したとして子供がいれば、1番目は中学生になった頃だ。これから(定年後)少なくとも6年間は学業が残っている。

 今後の学費を含めた教育費は非正規の不安定で安価な水準の給与から捻出せねばならない。

 申し訳ないが、子供たちが高校卒業後、大学・大学院への進学を希望するのであれば、彼らには自費で行ってもらう事になる。ブラックな「奨学金」という制度を利用して。

 2人目がいたら、その子の学費はどうしようか…。全く目処は立たない。

 45歳定年を機にこの国の進学率は大きく変わるかも知れない。

 

 そう言えば今は借家にいるが持ち家はどうしようか。

 当然、住宅ローンを用いるが「フラット35」は使えるのだろうか。22歳で就職し即座に家を購入。35年ローンを組んだとしても23年経過したら定年。ローンの残債務は12年分ある。

 そんな条件で銀行は「融資」をしてくれるだろうか。

 頭金は物件価格の30%、ローン支払い額も月収の30%が一般論であるが、それだけの貯金、毎月・ボーナス時の支払いは可能か?

 

 一般に持ち家は親からの財産分与でも無い限り無理だろう。

 車を購入する余裕などとても無い。

 この社会システムを提言した人は「45歳までに会社を作れ」と言ったそうだが、そんな資金はない。給与は全て生活費に回ってしまっている。

 今は1円を資本金に企業設立が可能らしいが、そんなのは会社法、「仮想」の話。法的に可能であることが現実的であるとは限らない。

 一体全体、資金もなしに何の会社を作れると言うのか。

 何にせよ、この国に「安定した生活」は無い。生活の安心・安定は政治家のいう絵空事政権公約で今ではユートピアだ。霞を食って生きてはいけない。

 2021年現在、法定最低賃金は時給1000円が確保されている訳ではない(実質首都圏のみ)。

 時給1000円で1ヶ月20日(一応週休2日、祝祭日は休みとしたい)働いたとして月収16万円。年収200万だ。

 45歳定年は、これを底辺(標準とはいわない)として生活設計をせよと言っている。

 もう一度、振り返ってみよう。

 私は45歳。勤続22年。妻は42歳。長女13歳、長男10歳。神奈川県在住。現在ハローワークに通っている。年金支給開始年齢まではあと20年ある。

 ・・・

 

 これが新浪氏の描く活力ある国・社会の姿だ。

 旧態とした社会を変革するには従来の延長線上の発想ではダメらしい。

 「創造的破壊」が必要なのだそうだ。

 この奇天烈で矛盾した日本語は今でも一部の人たちに好んで使われている。

 …なんかカッコイイ響きだ。 

 創造的で破壊的。

 しかし、破滅的でもある。

 新浪氏は「プロ経営者」だそうだ。

 「眠れる獅子日本」を目覚めさせるのは彼のようなアントレプレナーらしい。

 で、あれば単に”創造”だけすれば良いだけではないか。

 私には彼が何をしたいのか、さっぱり分からない。