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オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

お見合いがしたい!

 「出会い系サイト」なるものがあるらしい。

 聞いた事はあるが、見た事も行ったこともない。そもそも、日本語として曖昧過ぎる表現だし、いかがわしい雰囲気を醸し出し過ぎの名称である。

 いくらなんでも、このような名称のサイトに興味を持つ事自体が信じ難いし、そのような類いのものに集まってくる見知らぬ人達と接触を持ってみようという好奇心が凄過ぎる。

 「若さ」がそれを成し遂げさせるパワーの源泉なのだろうか。

 この手のサイトが話題になるのは、決まって犯罪がらみだ。

 「またか・・・」と、おっさんの私は思うのであるが、若い男女にとっては人と出会う、という機会を得る事の方が何よりも重要、というように見える。

 どこの馬の骨とも分からない人と出会うリスクよりも、「運命的な出会い」の機会があるかもしれない、という可能性に賭けることの方がプライオリティが高いのであろうか。

 その心理を読み取ってか、その手の筋のアンダーグラウンドに生息する人達は、そこを金儲けの市場にしようとしている。大変、いかがわしいことだと思う。

 

 TVでも、しばしばお見合い番組を放映している。必ずしも、田舎の農村に住む若人が主役とは限らない。見ていると、それなりに感情移入してしまう。編集もあるのかもしれないが、登場人物は概ね好青年であり、素敵なお嬢さん達だ。

 TV企画を無視して、上手くいけば良いのにね・・・、と思ったりしている。

 

 時代は、私が子供の頃の妄想から考えると、今や完全な近未来になっている。

 昭和の時代とは異なり、情報通信の発達は著しい。

 個人が不特定多数に自由に意見を発信し、友人と独自のつながり(ネットワーク)を形成できる時代だ。全くもって素晴らしい。

 このような、自由闊達なコミュニケーションを形成できる時代であるのに、何故「出会い系サイト」などといういかがわしいものが存在できるのか・・・。不思議だ。

 言えている事は、今時の若い人達にとっても、”異性” との素敵な(運命的な?)出会いの場所は必要だ、ということだろう。個人的には「運命的」というキーワードは不要と思うのであるが。

 で、あれば、「お見合い」はどうだろうか?

 こんな、合理的な「友人探し」「婚活」はないと思うのだが。

 そのメリット、合理性を挙げれば、

 

「信頼できる人の紹介であれば、ある程度信頼できる人間性の人と出会える」

 

ということに尽きる。

 これは、人と人の出会いにとって、とても重要なことだ。

 これが一定のレベルで担保されているということは凄いことだ。

 以前に、良い本を読みたいのであれば人の勧めるものを選べば良い、という趣旨の事を書いた。これと同じ。

 「類は友を呼ぶ」と言われるが、友人関係は自分自身の人格の鏡だ。

 価値観、心情、嗜好を友人関係はものの見事に包含している。

 自分が信頼できる人、尊敬している人の紹介であれば、間違いなく自分にとっての「良い人」と出会えるチャンスがある。

 絶対に「出会い系サイト」より良いに決まっている!

 

 この「お見合い」という友人・知人紹介制度がフツーになれば良いのに。

 もちろん、紹介が目的だから、必ず結婚しなければならない、なんてことは無い。

 おっさん、おばはんの面子や体裁はどうでもよく、自慢話のネタを作る事が目的ではない。

 皆が素晴らしい友人、パートナーを得る為の「簡単な」「安全な」手段をおっさん達が提供してはどうか、という提案だ。

 ネットの「出会い系サイト」より絶対にいいと思う。

 

 私は「お見合い」がしてみたい。

 想像しただけでワクワクしてしまう。

 残念ながら ”彼女” がいるので、それは叶わないが・・・

 「お見合い」というシステムは、今よりも、もっと素敵な地域・社会を、世代を超えて構築していける原動力となる、と妄想している。