私はニワトリさんを食べました
母の故郷の実家では、ニワトリを飼っていた。10匹はいたと思う。
毎朝、元気よく鳴く。そして、たまごをポコポコ生んでくれる。
帰省している期間、朝の食卓用のたまごをニワトリ小屋に取りにいく役割を私は良くやった。
ある日、叔父が「ゆず、何か食べたいものあるか?何でも作ってやるぞ」と言った。
まだ、幼かった私は何も考えずに無邪気に言ってしまう。
「チキンライス!」
叔父は、「そうか!分かった。今夜はそれにしよう」と二つ返事でOKしてくれた。
「わ〜い、今日はチキンライスだ!」
大好物が夕食に出ると知って、私は大層喜んだ。
その夜、従姉妹の皆と食べたチキンライスはとても美味しかった。
毎年、ニワトリさんが1羽ずつ減っていっていることを私が意識したのは、もう少し後になっての事だ。
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駐日大使が、有名人としてはオリビア・ニュートンジョン以来のUSA的「イルカ漁批判」をした。久しぶりにUSAに怒られた・・・
過去、クジラファミリーの捕獲に人道主義を持ち込むエイリアン(外国人のこと)は多くいたかも知れないが、私にとってインパクトの強かったのはオリビアだ。
これについては、「他国の文化に干渉するな」という意見が当然の事ながら出ている。
また、ファミマのハンバーグ弁当のトッピングが残忍な手法で作られた材料であるが故に、使うべきではない、と主役のミンチにされた豚さんを差し置いて、フランス人ではないところから非難が出たとの事。
結果として、脂肪肝をトッピングしたハンバーグ弁当は発売を前に撃沈された。
身を挺してミンチになった豚さんは、どう思っているのだろうか。
「オレのことはどうなるんだ!?」
と、天国で唸っていると思うのだが・・・
この2つの話題には共通性がある。これは、一種の文化の衝突だ。
双方に言い分があり、恐らくこの後も議論は平行線だろう。
私は議論に参戦する気はないのであるが、「食べる事の原罪」というようなものがあるのであれば、先に述べたような経験から、以前から意識はしている。
母の故郷では猪狩りも昔から行われている。
小さい頃、腹を捌いた猪を川で洗うところを偶然見かけた事がある。川の下流は一時的に血で染まる。これは相当エグイ光景だ。これを見ると、猪鍋にも若干、箸は怯む。
ニワトリがチキンになるところは、見なかった。周りの大人達が子供の目に触れないところで仕込みをしてくれていたのだ。
後年、実家の従姉妹は、首を飛ばすところを見てしまうと、それを食べる気にはなれないと言っていた。
脂肪肝を食べても、食べなくてもいいし、食材から気になる残忍材料だけを排除するのも結構。
食べるべきではない食材を指摘するのも結構。
その都度議論し、人道主義の観点から結論を導き出せば良い。
しかし、いくら理性的に理論的に議論しても、食材を選別しても「原罪」は消える訳ではない。
牛さん、豚さん、魚さん、植物さんを殺したのは私たちだ。